忙しない日々を過ごしていると、ついコーヒーやエナジードリンクに手が伸びる。眠気を覚ましたい、気持ちをシャキッとさせたい、もうちょっと自分を追い込みたい。どちらかというと、エンジンをかけるような感覚だ。一方で日本茶を飲むと、疲れた頭や心がやわらかくほどけていくような感覚がある。緊張感から解放されて、穏やかな気持ちになる。本当に頑張りたいときにこそ必要なのは、ふわっと力を抜ける時間なのかもしれない。もっと生活のなかに美味しいお茶を取り入れたいけれど、どう選んだらいいんだろう。そんな気持ちに寄り添ってくれるお茶屋さんがある。板橋区随一のアーケード商店街・ハッピーロード大山に店舗を構える老舗茶屋「大山園」だ。東武東上線 大山駅から徒歩2分。筆文字で大胆に書かれた「大山園」の看板が目印で、まさに昔ながらのお茶屋さんという風情だ。厳選された掛川茶を中心に、海苔をはじめとした乾物も扱っている。店内に入ると、「いらっしゃいませ」と穏やかな声が聞こえてきた。迎えてくれたのは、大山園の3代目店主・小原宜義さんだ。昭和26年に創業。秋田県出身のおじいさんが、当時需要の高かったお茶屋をここ大山で始めた。宜義さんがお店を継いだのは、2006年のこと。それ以前は、別のお仕事をしていたという。「『神戸屋』のレストランに勤めていましたが、小麦のアレルギーで仕事を続けるのが難しくなり、一旦辞めてフリーターのような生活をしていました。そのなかで、知り合いがやっていたお茶摘みのアルバイトを始めたところ、これはちょっと楽しいなと。今後もしお茶屋を継ぐことを考えるなら、一度問屋さんのもとで勉強した方がいいんじゃないかと言われて、行ってみることにしたんです」お茶問屋の役割は、茶農家とお茶屋をつなぐ、いわゆる仲買人。特性を見極めて農家さんから茶葉を仕入れ、火入れ、ブレンドを行うことで美味しいお茶に仕上げる。そうしてできたお茶が、大山園のようなお茶屋に並ぶのだ。つまり問屋は、お茶を総合的に知るにはもってこいの場所。宜義さんは、大山園と付き合いの深い問屋にお願いをし、静岡県掛川市で2年半ほど修行を重ねた。「静岡はお茶で有名ですが、山側、海側、平地などどこでつくられたかによってもお茶の出来具合が全然違うんです。さらに言えば、同じ掛川のお茶でも、問屋さんによってその味わいは大きく変わる。それが面白いところなんですよね」3代目として継いだ今も、宜義さんは年に一度掛川に足を運び、2〜3軒の問屋さんから質の良いお茶を仕入れている。さらには、それらのお茶を店内で一番いいバランスでブレンドしているのが、大山園のこだわりだ。そのひと手間が加えられた大山園のオリジナルブレンドには、根強いファンが多くいる。取材中、先代であるお父さんが淹れてくださったのは「口切り茶」。春に摘まれた新茶を冷凍庫で熟成させ、秋に仕上げたお茶だそう。なるほど、しっかりと深い味わいだ。おいしくて、あたかかくて、ふっと肩の力が抜けるのがわかった。「お茶はやはり、値段が上がるとそれだけ旨味を感じられるんですが、その旨味が苦手なお客さんもいらっしゃるんですよね。だから渋めのものが好きか、旨味が強いものが好みか、どんなものを飲んでみたいか、などをお聞きした上で、ご予算に合わせておすすめしています。買っていただいた方には、美味しい飲み方をお伝えするようにしていますね」また、宜義さんが3代目になったタイミングで新しく始めたのが、日本茶喫茶だ。お茶を買えるだけでなく、実際にゆったりと味わうことのできるお茶屋というのも、都内ではなかなか珍しい気がする。修業時代に名古屋のお茶屋さんがやっていた喫茶に感銘を受けたのをきっかけに、もともと居間兼事務所だった部分を改装し、カウンター7席のこぢんまりとしたスペースを設けた。お茶を使った甘いドリンクやデザート、ソフトクリームなど、種類豊富。ちなみに夏季限定のかき氷は、メディアでもたびたび取り上げられ、ひと夏で約5,000杯売れたこともあるという大人気商品だ。喫茶が混んでくると、お父さんやお母さんも含め、家族みんなで対応する。お茶とお菓子を一緒に楽しめる「煎茶セット」は、お湯をおかわりすることができ、2煎目、3煎目とゆったりと楽しめる。「なるべく最後の一滴まで注ぐと、3煎目もおいしくいただけますよ」私たちが話している間にも、20代くらいの若い男性がひとりでふらっとやってきて、抹茶パフェを食べて帰って行った。彼の足取りや注文に迷いがなかったのを見ると、きっと何度かこの喫茶に訪れているのだろう。素敵な過ごし方だと思った。「こんなのもやっているんです」と見せてくれたのは、お店の合間に自分で制作しているという「大山園通信」。お店の情報だけでなく、宜義さんの日々の出来事といったプライベートなことも書かれており、人柄や温度が伝わる内容になっている。こうしたニュースレターを定期的につくるほか、住所を知るお客さんには、DMやお礼状を送ることも欠かさない。また店内には、お客さんのコメントが自由に綴られたノートや、昨年7月に亡くなったという看板犬のクックの、可愛らしいぬり絵が飾られたコーナーも。「お客さんとの接点をつくりたくて企画しました。クックのぬり絵をして、葉書で送ってくださった方には、プレゼントを差し上げるというキャンペーンをやったりとか。クックは本当に皆さんに愛してもらって、そのおかげでつながることができたお客さんもたくさんいます」お話を聞いていると、お茶へのこだわりもさることながら、宜義さんがお客さんとの関係性をとても大事にしていることが伝わってくる。一見手間がかかるような取り組みも、すべてはお店を好きになってもらいたいという思いから。「専門店だからこそ、チェーン店にはない、一人ひとりのお客さんに合った接客をしたいと常々思っています。もちろん商品として売れるもの、流行りのものを置くというのも必要なんですが、結局はどれだけお客さんとの絆を深めて、お店のファンを増やしていけるかが重要だと、今は思うんですよね。皆さんに選んでいただけるお店にならないと、続けていけないので。だからもっともっと頑張らなきゃいけないですね」ちなみに、もともとキャッシュレス決済はいくつか導入しているが、いたばしPayを使う人も増えているという。「もし、いたばしPayの操作がわからなくても、僕が教えますし、それもお客さんとの大事なコミュニケーションのひとつだと思っています。教わってよかったな、と思ってもらえたら嬉しい」。ここ大山で生まれ育ち、まちの変化を目の当たりにしてきた宜義さん。今は商店街の役員としても、ハッピーロード大山を盛り上げていこうと、ほかのお店を巻き込みながら奮闘している。「街並みは変わっていくだろうけれど、人の温かさは変わらないでほしいと思いますね。高齢化が進み、孤独を感じる人も増えているといいます。そういうときに、気軽に来てもらえる場所にもなったらいいなと。ここでお客さん同士で何気ない会話をするだけでも、支えになると思うんです。毎日のようにお茶を飲みに来て、うちのお母さんとおしゃべりして帰るお客さんもいますし。ただ物を買って終わりではなく、そういう人とのつながりを感じられるようなお店でありたいですね」大山園が変わらずここにあり続けることで、救われている人がきっとたくさんいるのだろう。ほっと一息つきたいとき、誰かと話をしたいとき。チェーンのカフェだけでなく、お茶屋さんに立ち寄るという選択肢を持てたら、日々がまた少し豊かになりそうだ。