日本独自の文化に、頑張った日のご褒美や大切な人への贈り物として、和菓子を手にする風景がある。洋菓子が台頭する現代においても、和菓子を求める気持ちは、私たち日本人に根強く残っているのかもしれない。甘い和菓子を一口食べると、まるで疲れがどこかへ飛んでいくような、心が癒される感覚に包まれる。そんな和菓子を最高の状態で味わってほしいと、長年にわたって提供し続けている和菓子屋がある。それが「歌う和菓子屋 辰屋かぎや」だ。東武東上線 大山駅の南口から川越街道方面に続く、ハッピーロード大山の一角に店を構えている。地元の人々に愛されて24年、店主の栗原登喜雄さんが一人でお店を切り盛りしている。初代「鍵屋」は、約300年前に上板橋宿で菓子問屋として開業したが、明治27年の大火によって廃業。その後、当時新宿の老舗和菓子屋で修行をしていた登喜雄さんが屋号を受け継ぎ、「辰屋かぎや」として復興させた。それから24年が経つ。店内には、大福やわらび餅、みたらし団子など、さまざまな和菓子が並んでおり、見ているだけでワクワクする。なかでも、あんことバターを最中でサンドした「冷やしバター最中」は特におすすめで、冷やすのはもちろん、トーストで45秒〜1分温めても美味しく食べられる。冷凍した場合は、約1か月も日持ちするという、画期的な商品だ。開発のヒントとなったのは、2号店の甘味喫茶で提供していたあんバタートースト。「リピーターが多いというあんバタートーストを最中にしてみたらどうなるのだろう」という発想から試作を重ね、この冷やしバター最中が生まれた。中にはつぶあんがずっしりと詰まり、その上にはバターがごろりと入っている。できたての冷やしバター最中をいただいてみると、パリッとした最中の食感となめらかなつぶあんに、バターの芳醇な香りと塩気が絶妙に調和する。トーストで温めると、まるでたい焼きのような味わいになるそう。いろいろな食べ方を楽しめるこの最中は、手土産にもぴったり。常連さんをはじめ、地域の人々から愛されている。24年間このお店を営んできた登喜雄さんは、商売を継続させるために大切な3つのことを教えてくれた。「まずは、継続しようと思う強い気持ち。そして、成長すること。そうしないと継続できないわけだから。 あと僕がいつも考えているのは、革新なんですよ。これをやっていかないと、世の中の時代に取り残されてしまう。だから私は、冷やしバター最中や、冷やしうす塩大福というものを作ったんです」冷やしうす塩大福は、約20年前に登喜雄さんが考案した大福だ。創業して間もない頃、大福をもっとお客さんに長く楽しんでもらいたいという思いから、もち粉や天然酵素を入れることによって日持ちする大福を開発した。それが、登喜雄さんの“革新”の出発点だったという。革新的な商品を生み出し続けること、そして長年の試行錯誤から導き出された登喜雄さんの柔軟な考え方や人柄こそが、このお店を長く継続させている秘訣なのだ。ちなみに、屋号を「歌う和菓子屋」としているのにも理由がある。もともと歌が好きだった登喜雄さん。以前から歌の大会に出たいと思っていたところ、知人からとある歌のコンクールに出ないかと誘われ、歌うことを決意。「歌う和菓子屋」を名乗り、自ら歌うことで、従来の和菓子屋のイメージを変えたのだ。歌を始めたばかりの頃は周囲から反対されることが多かったというが、その声は少しずつ肯定的なものへと変わっていった。取材中、登喜雄さんが歌ってくれた曲の題名は「愛されて板橋」。登喜雄さんの思いを汲み取って知人が作詞作曲してくれたというその歌からは、生まれ育ったこのまちを愛する気持ち、そしてこのまちをより良くしていきたいという願いが感じられた。「あるお客さんに、『71歳で趣味があるっていいわね』と言われたんです。『私は70歳になっても趣味が何一つないわ。あなたのように趣味を満喫できるのが羨ましい』と。そんな風に、僕の歌を肯定してくれる人が増えてきたんです。世の中って、そんなもんなんです。世の中の常識って、僕にとっては常識じゃなくて、そこから逸脱することで新しく生まれるものがあると思っています」常識を超えなければ、新しいものは生まれないーー。これまで登喜雄さんがさまざまな商品を生み出してきたように、新たな発想と挑戦によって生まれた革新は、確実にお店の認知や売上に繋がっている。「やりたいことを実行できるようになるまでには時間がかかるけど、諦める必要はないんです。努力が報われるときは必ずくるから、好きなことをやった方がいいですよ」お店や仕事について話すときの登喜雄さんの表情は、常に楽しそうで、生き生きとしている。好きなことを思う存分楽しんでいるからこそ、「苦労」という言葉が出てこないのかもしれないと思った。取材中、とても印象的なシーンがあった。店内に鮮やかな髪色のお客さんがやってくると、登喜雄さんは「いつも素敵な髪型ですね」と声をかけた。すると、お客さんはにっこり笑いながら「ありがとうございます」と言葉を返した。それからいくつかの会話を重ねたあと、お客さんはお目当ての大福を手にして笑顔で帰っていった。そのやりとりは一瞬の出来事だったが、側にいたこちらまで心が温かくなった。こうした、お客さんからの『ありがとう』を自然と引き出すコミュニケーションを、登喜雄さんはいつも心がけているという。「人は、相手から『ありがとう』をたくさん言われる人間にならなくちゃいけないと思っているんです。自分が感謝するんじゃなくて、相手から感謝される人間になること。 それが、本当の幸せですよ」継続と成長、そして革新が重要な要素である商売において、その成功や幸せの源は、お客さんの喜びに満ちた“笑顔”なのかもしれない。登喜雄さんがつくる和菓子には、お客さんに「一番美味しい状態で食べてもらいたい」という思いが込められている。「みたらし団子はタレをつけてから3時間後が一番美味しい」など、いろいろな知恵を分けてくれた。最後に冷やしうす塩大福をいただいたが、やわらかな餅の食感の中に、少し硬めに仕上げた小豆の歯応えがあり、言うまでもなく絶品だった。どこまでも、お客さんとこの店を思う気持ちがある。笑顔で出迎えてくれる登喜雄さんの人柄が、訪れる人々の心を癒しているのだろう。今度は大切な家族への手土産を買いに、また遊びに行こうと思う。