ここ数年、グルメな人たちを中心に、パンをおつまみにしながらお酒を飲む“パン飲み”がひそかにブームになりつつある。その言葉が広がり始めた当初は、「パンとお酒……?」と少し懐疑的な気持ちにもなったが、考えてみれば、パンとビールは同じ麦からできているし、チーズが入っているものならワインに合うに決まってる。パンとお酒の相性がいいというのはもう、明らかなのだ。板橋エリアにも、そんなパン飲みを昼から楽しめるお店がある。都営三田線 板橋区役所前駅から徒歩3分、不動通り商店街にある、「パンを楽しむ店 ぱーね」だ。2020年4月のコロナ禍真っ只中にオープンした。やわらかいフォントと、パンの入ったカゴをくわえるコウノトリのイラストが可愛らしい。店名の「ぱーね」は、イタリア語で“パン”を意味するそうだ。店内では、昼11時のオープンからパンと一緒にお酒が飲める。さらに夕方5時からは、アヒージョやサラダ、パスタなどの一品料理・おつまみも楽しめるパンバルに変身する。店頭でパンをテイクアウトすることも可能。取材に伺ったのは平日の14時頃だったが、すでにカウンターの席でまさにパン飲み中のお客さんがいらっしゃった。その優雅な昼下がりの光景を見て、「取材を終えたら絶対にビールを飲もう……」と心に決めた。「うちは惣菜パンは少なくて、食事に合わせて使っていただけるようなシンプルなパンが多いですね。お店でお酒と一緒に食べていただくのはもちろん、お家でつくったスープの付け合わせとかにも役立ててもらえたらいいなって」そう話すのは、店主の末次正樹さん。くしゃっとした笑顔が印象的な人だ。会話をしながらも、その手が止まることはなく、てきぱきとパン生地をこねたり、切ったり、測ったり、焼いたりしている。思わず「すごい、マルチタスクですね」と呟くと、「もう流れで覚えちゃってるから」と末次さんは笑う。基本的に毎日15時までは、パンをつくる時間なんだそう。そんな末次さんだが、じつはもともとは大手文具メーカーの品質管理課でサラリーマンをしていたらしい。その当時、毎日のように通っていたお店の存在が、末次さんを飲食の道に駆り立てることになる。「近所にカウンターしかない中華の居酒屋さんがあって、そこの中国人のマスターがすごく素敵な人だったんです。仕事が終わったあとに『ただいま〜』みたいな感じで行けるまちに根ざしたお店で、何度も通っているうちに自分もそういう場をつくりたいなって」そこでパン学校の社会人コースに入った末次さん。会社に勤めながら週に一度学校に通い、一年間パンづくりを学んだ。ものすごい行動力。「ちなみになぜパンだったんですか?」と尋ねると、ちょっと意外な答えが返ってきた。「当時は結婚式みたいなお祝い事が多かったんですが、料理の合間に出てくるパンがあまり美味しくないと、残念な気持ちになっちゃって。そういう手持無沙汰で食べるパンが、もっともっと美味しかったらいいのにな、と思ったのがきっかけです」しかも、特別パンが好きというわけではなかったというから面白い。ちなみに今一緒に働いているスタッフさんも、そのパン学校のときの同期だそうだ。パン学校の卒業と同時に会社を辞め、大田区にあるドイツパンの名店「HIMMEL(ヒンメル)」で3年間修行した。しかし、末次さんが本来やりたかったのは、常連だった居酒屋さんのように人が気軽に集える飲み屋さん。そのために料理も学びたいと考え、横浜のレストランでさらに3年間修行をしている。その後別のパン屋を経験したのち、結婚を機にパートナーの地元である板橋に。そこで自分のお店を持とうと、本格的に物件探しを始めた。「こっちに来てからは、板橋でお馴染みの『丸十ベーカリー』さんや、雑司ヶ谷のパン屋『うぐいすと穀雨』さん、イタリアンの名店『ブラッスリー モリ』 さんの3店で働きながら、物件を探していました。この店舗が見つかるまでになんだかんだ2年くらいかかりましたね」日常の中に当たり前にあるのに、まだまだ日本では馴染みがないパンとお酒のお店をやろうと決め、ついにぱーねをオープンした末次さん。しかし2020年4月といえば、まさに世の中が大混乱の時期。お酒の提供ができず、パンのテイクアウト販売のみでスタートした。そのぶんパン屋さんのイメージが根付いてしまい、規制緩和後にパンバルとして営業を始めたときはお客さんに戸惑いもあったというが、少しずつまちの人に受け入れられはじめた。今では、大学生からご高齢の方まで幅広いお客さんが訪れている。「看板に『昼間から飲めます』って書いていると、結構立ち寄ってくださる方が多いんですよ。仕事を終えて、家に帰って家事やもうひと仕事をやる前に、一杯だけ飲んでいくみたいな方もいます」不動のパン人気NO.1は、こちらの「あんぱん」だそう。「この子は見た目で損しているんですよ、小さいのに値段が高い!って」実際に手にとると、その小ぶりな見た目からは想像できないほど、ずっしりとした重みに感動する。「薄皮だけどもちもちしていて、他にはあまりないあんぱんになっていると思います。よく和菓子の阿闍梨餅(あじゃりもち)みたいって言われますね」阿闍梨餅みたいなあんぱん……?と思いながら食べてみると、本当にもっちもちでびっくりした。中にはつぶあんがぎっしりと入っていて、パンの塩味とよくマッチする。甘すぎないから、ぺろっと食べられちゃいそうだ。ビールはもちろん、ワインやメーカーズマークのハイボールなどを合わせるのがおすすめだという。また絵本に出てきそうな分厚いバタートーストは、歯に触れた瞬間からバターが香る。こちらももちもちとした生地で、食べていると幸せな気持ちで満たされる。これらのぱーねのパンたちは、あくまで料理やお酒と組み合わせることを前提につくられている。「パンは食卓を盛り上げるようなアイテムとして使ってほしいので、塩味が少し濃いめのパンが多いかもしれません」パン屋とイタリアンレストランでお師匠さんたちから学び、修行してきた経験がそこかしこに活きている。とくにビールは、パンと同じくらいこだわっているところだ。「うちのビールを飲んだらもう、すぐに違いがわかりますよ」と末次さん。「キリッとしていてライトな感じがパンと合うかなと思って、カールスバーグをメインに取り扱っています。せっかくの昼飲みとか、仕事終わりのときに、最初に口にするビールは美味しくあってほしいじゃないですか。だからうちでは常に最高のビールを提供できるように丁寧な管理を心掛けています」ビールの新鮮さはもちろん、機械やグラスの清潔さや継ぎ方にもこだわっているからこそ、最高の一杯が成り立つのだ。実際に一杯飲ませてもらったが、笑っちゃうくらい美味しかった。こうお話している間にも、こぢんまりとした店内にお客さんが続々と入ってくる。たまたま通りかかったらしい若い女性2人組もいれば、人間ドックを終えたばかりの常連の一人客のおじさんもいる。思い思いにパン飲みを楽しんでいて、誰もがとてもリラックスして見えた。「お客さんにとって止まり木みたいな、羽休めに使ってもらえるお店になったらいいなという思いでやってきました。親しみやすさを売りにしてるので、居心地の良さを感じてくれているといいんですけどね。もともとは他人だったお客さん同士が、ここで顔を合わせて『久しぶり』『最近どうなの?』みたいに会話しているのを見ると、嬉しくなります」アットホームだけど、ベタベタはしない。自分の心地よい距離感で、ゆるやかに繋がれる感じが魅力的だなと思った。居酒屋ともまたちょっと違う、このくらいの気軽さが、いろいろな人の生活のスキマにフィットするのかもしれない。お酒を飲みたいけれどちょっとお腹も満たしたいとき、誰かとゆるくおしゃべりしたいとき、家に帰る前にほっと一息つきたいとき。最高においしいお酒とパンと、気取らないリラックスした空間が揃ったこのお店のことを、ぜひ思い出してほしいと思う。