まちを散歩しているとき、ふと目に入る古い建物。ひっそりと佇むこの建物は何に使われているのか、もしくは使われていたのか。わからないけれど、よくよく見ると古さの中に趣があったりして、なんだか気になってしまう。そんなことが、たまにある。この「いたPayさんぽ」の取材で初めて仲宿商店街を訪れたときも、気になる建物に出会った。土蔵造の建物自体は一見かなり古そうだが、全体的に清潔感があり、きちんと手入れがされているのを感じる。ただでさえ、このあたりはノスタルジックな雰囲気が漂っているが、なかでも特別な存在感があった。いったい何の建物なんだろう、とレンガの壁に目をやると、「板五米店」という文字。お米屋さん……? オープン前なのか、扉は閉まっていて中の様子はよく見えなかった。しかし、取材の帰りに再び通りがかると、多くのお客さんで賑わっていて驚いた。「海苔弁、甘味処、お結び」と書かれた白の暖簾がかかり、店頭にはベンチや看板などが置かれている。どうやら今はお米屋さんではなく、おむすびを提供するカフェとして営業しているらしい。雰囲気が良く、取材班で「素敵なお店ですね」なんて言い合っていたら、後日実際にお話を聞かせていただけることになった。都営三田線 板橋区役所前駅から徒歩5分。仲宿商店街の入口にそのお店はある。「この建物は大正3年に建てられ、代々お米屋さんとして営業していました。しかし、10年ほど前に当時の店主であるお父さんが亡くなられたのをきっかけに、お店は閉店。しばらくはほぼ空き家の状態だったんです」そう話すのは、「板五米店〜旅とお結び〜」を運営する永瀬賢三さん。大正3年築となれば、板五米店の歴史は100年を超える。関東大震災や第2次世界大戦の戦火をくぐりぬけ、宿場情緒を色濃く残す建物として、区の有形文化財に登録されているという。この価値や歴史を後世に継承しようと、空き店舗になっていた板五米店は2019年12月におむすびカフェ兼交流スペースにリニューアルされた。その再生プロジェクトを中心になって進めてきたのが、永瀬さんである。2階建ての店内では、できたてのおむすび定食や海苔弁当、甘味などが楽しめる。もちろん、テイクアウトも可能。近所のビジネスマンたちが、休憩時間にお弁当を買っていくことも多いそうだ。1階のキッチンでは、スタッフさんたちが手際よくおむすびを握っていた。おむすびの具は20種類を超える。「昆布」や「おかか」などのベーシックなものから、「イカ明太」や、鮭とすじこが入った「おやこ結び」といったちょっとリッチなものまで幅広い。プラス50円で玄米に変更できる。「お米は羽釜で炊いています。ガス炊きと比べると粗々しさがあって、焦げの風味も含めてやっぱり圧倒的に美味しいですね。お客さんからよくおすすめの具を聞かれるんだけど、このお米があるので『本当に自分が好きな具を頼んでください』って言うようにしています」と永瀬さんは笑う。それでも一応人気の具を尋ねてみると、「自家製サバ味噌」や「自家製ネギ味噌」だと教えてくれた。自家製系は、やっぱり強い。ではなぜ永瀬さんが、この板五米店の再生プロジェクトに携わるに至ったのか。その経緯にも少し触れたい。永瀬さんは、この仲宿商店街で生まれ育った。祖父が営む寿司屋には日々常連さんが集い、まちを歩けば知っている人ばかり。夜まで商店街で遊んでいたら、家業で忙しい両親に代わって、ご近所の誰かが家に招いてくれるのが日常茶飯事だったという。そんな幼い頃の原風景から、いつか自分もこのまちでお店を持ちたいと思い、10代後半から修行を始めて料理人に。2010年には、実際に「板橋3丁目食堂」というイタリアンレストランをオープンし、永瀬さんの夢は叶ったかに思えた。「自分の好きなまちで、自分の好きなお店を出せて、結果オーライだと思っていました。でもいざお店を始めてみたら、好きだったはずの商店街が以前とは変わっているわけですよね。昔馴染みのお店がどんどんなくなったりして、『あれ、何だこれ?』って。だったら地方で自家栽培してレストランやった方が楽しそうだぞ、と思ってしまって。そんなとき、商店街からこの板五米店の再活用に関する話を聞いたんです」空き店舗となり、シャッターの降りた当時の板五米店は、まちのなかで取り立てて注目されることのない存在だった。人のいない古ぼけた建物は、建築好きな人でなければ、その価値を見出すことはなかなか難しい。本来価値があるものだからこそ、ここを歴史資料館のようにするのではなく、もっとまちの人の日常に溶け込むものにできないか、と考えた永瀬さん。好きなまちでお店をやっているのにつまらなく感じるのなら、自分で面白くしようと、板五米店の再生プロジェクトに携わることを決めた。いろんな人にこのまちの価値を知ってもらいたい、好きになってもらいたい。それが、このプロジェクトを貫く思いだ。そのための手段の一つとしてクラウドファンディングで仲間を募り、みんなで内装のリノベーションをした。募集から多くの人が集まったというのを聞くと、こうしたきっかけを待っていたという人も多かったのかもしれない。「こういうのをやったら楽しいよね」と会話をしながら、とにかくこの建物に触れてもらい、価値を伝えていった。価値や魅力を知れば、興味に繋がるということを、永瀬さんは身をもって体感した。「板五米店」という名前をそのまま残し、おむすびを扱うことにした理由については、こう話す。「ただ古民家で自分の好きなことだけをするなら、やっぱりイタリアンのレストランをやりたいんですよ(笑)。でも、このプロジェクトの目的は建物の価値を残していくことだからこそ、屋号は絶対に消しちゃいけないなと思ったんです。だって、地図に100年以上『板五米店』ってあったわけだから。とはいえ今の時代、お米屋さんで商売が成り立つかといったら難しい。そういったバランスも考えながら、お米を扱うおむすびのカフェにしようと考えました」おむすびといえば、私たちにとって身近な日常食だ。だからこそ、おむすびを食べるという日常に根ざした行為を介せば、まちについて知るハードルも少し下がる。それを狙って、店内には板橋に関連するものがさりげなく散りばめられている。たとえば、テーブルに置かれていたこちらの可愛らしい九谷焼も、板橋ときちんとつながりがある。「江戸時代、加賀藩の下屋敷がこの板橋宿にあったんですよ。だから、この辺りには『金沢』や『加賀』という町名が残っていたりして。聞いてもへえ~ってくらいのことだと思いますが、板橋とこんな縁があるということを知ってもらうだけでもいいかなと」たしかに、それを聞いたら石川県に対して一気に親近感が湧く。また、2階の客席の横に設置された棚を見ると、書籍と一緒に江戸時代の出土品や民芸品、板橋グッズなどが並んでいる。なかなかにカオスな空間だ。「これは、近くの商店会長がくれた琵琶です。別に何があるわけじゃないけど、食事の合間に見て、『こんなのを持っている人が近所にいるの?』って話すだけで、ちょっと楽しいじゃないですか。公式サイトでは『マチノギャラリー』なんて名前をつけているけれど、実際はそんなたいそうなものじゃないんです」このくらいのゆるさが、まちに興味を持つ入口としてちょうどいいのかもしれない。時には「板五ノ寺子屋」と称して、ふだんはおむすびを握るスタッフさんが自分の得意を活かしてワークショップを開催することも。まちの人たちがゆるやかに繋がれるようなきっかけが、ここにはたくさんある。永瀬さんがやってきたことを聞くと、よくメディアに取り上げられるような、地域を盛り上げるために奮闘する“まちづくりの人”というイメージを抱くかもしれない。実際、永瀬さんのこの取り組みはさまざまな記事に掲載され、方々から注目を集めてきた。でも、彼の根幹にあるのはとてもささやかで、シンプルな思いだ。「本当はね、僕としては、近所にあるこの建物をみんなで大事にしたら楽しくない?っていうだけなんです。自分が大事にしたいものを、ほかにも大事にしたいと思ってくれる人がいたら嬉しいじゃないですか。築100年の建物に限らず、今ここには価値のある素晴らしいものがたくさんあって、それってすごいことだよね、楽しいまちに住んでいるんだねって、みんなで認識し合えたらいいなと思うんです」板橋に来るたびに、あたたかい気持ちになるのはなぜだろう、と考えていた。言葉にするのが難しい、“なんかいいよね”という、この感覚。すると、永瀬さんが「それは僕の中で一つの解があります」と教えてくれた。「たぶんそれって、商店の人やお店の常連さん、ローカルの人たちの間で何気ない会話が交わされているような風景が、まちのあちこちに見えることだと思うんです。以前、僕はまちが変わってしまって寂しく感じたけれど、よく見たら板橋にはまだまだそういう風景がたくさんあるんですよ。ただ側(がわ)が変わっただけで、本当は変わらないものもいっぱいあるじゃんって。だから今もこのまちが好きだし、こうした風景はなくなってほしくないですね」たしかに、このまちを歩いていると、挨拶を交わす声が至るところで聞こえてくる。「久しぶりですね」「元気にしてた?」「またお願いね」と。そういえば、ここに来る前の取材先でも「永瀬さんによろしく伝えて」と言われたのを思い出した。都会で暮らしていると、お互いの顔がわかって、気軽に挨拶できる人がご近所にたくさんいるというのは、じつはとても貴重なことなのだと気づく。板五米店は、そんなまちと人とのゆるやかな縁を結びながら、板橋の変わらぬ魅力と価値を未来に繋ぐ一つの拠点として、今日もここに在り続ける。板橋に縁ある人も、そうでない人も、一度ここでできたてのおむすびを食べながら、このまちの軌跡に触れてみてほしい。