まちをぷらっと歩いているときの、「これはたぶん、すごくいいお店なのでは……?」という嗅覚の精度が、年々上がってきているような気がする。あえてネットでクチコミは検索せず、根拠のない自信だけで飛び込んで、アタリだった!となることが増えてきて、それがとても嬉しい。今回ご紹介する中板橋の「キッチン亀」も、最近アンテナにビビッときたお店の一つ。以前、同じく中板橋の加藤畳店さんを取材させてもらったとき、取材班でランチの場所を探していたところ、たまたま通りがかったのだ。ちょっとレトロな外観に、手描きでさらっと描かれた文字と亀のロゴ。「これは絶対に良さそう……!」と思ったものの、このときは残念ながら営業時間前。次の取材もあったので、後ろ髪をひかれつつ、泣く泣く断念したのだった。それが運よく「いたPayさんぽ」で取材できることになり、心の中でガッツポーズしたのはいうまでもない。ランチの営業時間終わりに、お邪魔させてもらうことになった。店内に入ると、ゆったりとした空間が広がる。おひとり様でも、グループでも、気兼ねなく過ごせそうだ。3代目店主の原田隆さんによると、創業当時は居酒屋さん、その後はまちの食堂として営業していたらしい。「最初はこの半分の大きさでやっていたんだけど、昭和43年頃に今の大きさになったらしいんだよね。昔のまちの食堂だから、ラーメンみたいな中華も、刺身定食も、ハンバーグもやっていたし、あんみつとかかき氷なんかもあってね。それで、1999年に建て替えが決まって、当時は周りにまち中華がいっぱいあったから、中華はやめて洋食屋にリニューアルしようって」メニューは、ハンバーグとオムライスがメイン。食堂時代の2大人気メニューを軸に展開している。ちなみに店名の由来は、よくわかっていないらしい。「両方の実家でも亀にまつわるものがないし、親戚にも聞いたんだけど、わからなくて。亀を飼っていたこともないみたい。だから、おそらく『鶴は千年、亀は万年』の縁起の良さからじゃないかなって」。隆さんがキッチン亀で働き始めたのは、20代前半の頃。調理の専門学校を卒業後、飲食店で数年働いたのちに、お店に入った。「働いていた飲食店ではホール担当で、つくる側じゃなかったの。でも、周りに料理を知っている人が多かったから、父や母にもいろいろ教わったし。それ以外にも調理の講習を受けたり、本を読んだり、ほかのお店に食べに行ったりしながら、独学でいろいろやり始めたんだよね」キッチン亀のメニューをよく見ると、ハンバーグとオムライスをベースにしつつも、斬新なものが目立つ。そのなかから、いくつか紹介したい。たとえば、オムライス人気No.1の「バークきのこオムライス」。ハンバーグを砕いてきのことご飯と合わせ、さらに当店特製みそソースで味つけして炒めた上に、生クリーム入りふわふわオムレツをのせたものだ。まさかのハンバーグ入りオムライス。あるようでなかった、人気者同士のスター共演である。じつは、このメニューは、チャーハンから発想を広げたものらしい。米と卵と肉の要素は守りつつ、卵は米に混ぜずにオムレツに、肉はハンバーグに変えて、新しいオムライスに昇華している。こちらは、総合人気NO.1の「へそハンバーグ定食」。ハンバーグに、ご飯、お味噌汁、サラダ、小鉢が付く。メディアや雑誌でもたびたび取り上げられる、キッチン亀の名物メニューだ。どこらへんが“へそ”なんだろう、と思ってしまうが、以前はほうれん草の色からとった「グリーンハンバーグ」という名前で、日替わりメニューの一品だったらしい。もともと中板橋は、板橋の“真ん中”という発想からへそと呼ばれ、1996年から「なかいたへそ祭り」が行われてきた。それに合わせて、商店街の飲食店がへそにちなんだメニューを各々つくるなか、キッチン亀では人気メニューだったこのグリーンハンバーグをただ、「へそハンバーグ」に改名して提供することに。その結果、多方面から取材が増え、もう戻すに戻せないところまでいってしまったので、そのまま改名したのだそう。存在感のあるメインのハンバーグは、肉々しくてとってもジューシー。お肉屋さんですでに挽肉になったものをそのまま使うのではなく、ブロック肉を買って隆さんがお店で自ら挽いているのだそう。「お肉をブロックで購入したあとに、うちの店で赤身と脂、筋の多いところで分けて、粗さの違う挽肉にしたり、手切りしたりしているの。そうやって、大きさの違う5種類のお肉を混ぜているので、見た目はしっかりしているけれど、噛むとほろっと解けて食感を楽しめるハンバーグになっているんだよね」この下処理が、とにかく手間がかかって大変らしい。「肉屋でブロック肉を買ってきて、もうこれで終わりにしようと何度考えたか(笑)。でもそうやってやめようか、どうしようかって考えていると、こうやって取材が来るから、じゃあまた頑張ろうと思うんだよね」と隆さんは笑う。ハンバーグにかかっているのは、生クリームと牛乳を合わせたミルクソース。濃厚だけどくどさはなく、上品な味わいだ。ほうれん草とのコンビネーションもばっちり。一度だけ作り方を変えただけで、味は30年以上変わっていない。「自分で試しにつくって食べてみたんだけど、美味かったから日替わりの中にとりあえず入れることになって。うちの親父がいた当時なんて、まちの食堂で生クリームを使うことなんてなかったから、『生クリームで飯が食えるか!』って来ないお客さんもたくさんいたの。でも、食べさせてみて最後にどうだったって聞いたら、食えた、うまかったって」人気のないメニューは容赦なくストップし、新しいものに変えていくスタイルでやってきたキッチン亀。それでも、この「へそハンバーグ」は、今もぶっちぎりの人気NO.1を維持しつづけている。ちなみに、隆さんと母・トシ子さんの2人でお店を切り盛りする日は、「へそハンバーグ定食」のみの提供になるとのこと。もうちょっとで食べ終わっちゃうなあ、と名残惜しく感じながら最後の2割くらいまで食べ進めたとき、隆さんから「ちょっと待って!」という声が。ご飯に残りのハンバーグとソースをのせて、その上に温泉卵をかけてざっくり混ぜながら食べるという、アレンジを教えてくれた。ソースが残ってしまってもったいないというところから生まれた、究極の〆レシピ。こちらもぜひ、試してみてほしい。もう一つ、取材班でも「これは新しい!」と大好評だったユニークなメニューがある。その名も、「美味ライ酢(うまらいす)」。酢で炒めたご飯に、ぷりっとしたエビ、煮しいたけ、酢はすを合わせ、ふわふわの卵をのせた、いわばちらし寿司のようなオムライスだ。江戸末期に広がった握り寿司と洋食を融合した、今までにないオムライスをつくろうという思いから生まれた、この「美味ライ酢」。開発するにあたって、隆さんは国立国会図書館に赴き、寿司の歴史を一通り調べたらしい。もともとは、4つの食材を使った、酢めしのオムライスということから、「シー(4)スー(酢)のオムライス」と名づけられていたが、テレビ番組の企画で、「美味ライ酢」に改名された。言われてみれば、大きな寿司一貫に見えなくもない……?「卵を端から食べるのと、真ん中から開いて食べるのとでは味わいが全然違う」らしい。ふわふわした食感を楽しむなら前者、卵の旨味を感じたいなら後者。両方試してみるのもおすすめ。こうした唯一無二のメニューたちは、隆さんの型にはまらない発想と、面白いと思ったらなんでもやってみようというチャレンジ精神から生まれた。「たとえば、みんなお馴染みの肉じゃがも、家庭によって汁だくなものもあれば、そうじゃないのもある。肉を使うにしても、豚バラを使う人もいれば、牛こまを使う人もいる。みんなそれぞれこだわりや思いがあって、それぞれの美味しさがあるじゃん。それと同じで、同じオムライスやハンバーグを作るにしても、じゃあ、俺がつくるならどうする?って。どういうつくり方が自分らしいのかなって、ずっと考えてやってきたんだよね」身近な料理を洋食に手繰り寄せて、自分らしいやり方を追求しながら形にする。馴染み深い和食も中華も、隆さんの手にかかれば、見たことのない新しい洋食に生まれ変わる。「意識しているのは、一言で言ったらやっぱりユニークさだよね。みんなと同じじゃ面白くない。新しいメニューを出したときに、お客さんが『キッチン亀だったらつくりそうだね』、『らしいね』って言ってくれる、そういう意味でのユニークさを大事にしていきたいんです」もう少しアルバイトのスタッフが増えて落ち着いたら、日替わりメニューを始める予定とのこと。(アルバイトスタッフ絶賛募集中とのこと!) キッチン亀らしさ全開の新メニュー、今から楽しみだ。ユニークでありながら、ちゃんとおいしい。こんなオムライス、ハンバーグがあってもいいよね、と凝り固まったものが解けていく感覚。やっぱり、ここはいいお店だった。自分の嗅覚にまた一つ、自信が持てた気がする。※スタッフの都合により、告知なく「へそハンバーグ定食」のみのご提供となる場合がございます。ご了承ください。(2024年7月時点)