今から約半世紀前。広大な敷地に新しく建てられた巨大な高島平団地には、約1万世帯の人たちが暮らしてたという。入居の競争率は非常に高く、この団地に住みたい人で溢れていた。「地方から出てくる方が東京でまず部屋を借りる場所として、都市ガスがちゃんと通っていて、自分の部屋にお風呂や水洗トイレがあるこの団地っていうのは、やっぱり魅力だったんでしょうね。当時は、内風呂がある家なんて珍しかったと思うし」そう話すのは、2歳のときに家族で高島平団地に引っ越してきた、伊藤正徳(いとう・まさのり)さんだ。父・英爾さんが始めた床屋「ヘアーサロンイレブン」を継ぎ、現在は2代目店主を務めている。「入居するだけでも大変だったんだけど、団地でお店をやりたい人はさらに抽選に申し込んで、選ばれたら商店街に自分の店を持てるというシステムだったようです。うちの父もそれで抽選に通って、団地のオープンと同時に中央商店街でこの店を始めました」1972年当時、団地の周囲には店がほとんどなく、住民たちの衣食住を、団地の商店街が一手に担っていた。床屋さんも同じだ。人間、生きていれば髪の毛は伸びる。3万人近い団地住民たちの髪の毛を、「ヘアーサロンイレブン」を含めたった3軒の商店街の床屋が、さっぱり清潔に保ってきた。「昔は、回転を早くして、どんどん対応していかないと追いつかないくらいお客さんが来ていたんです」より多くのお客さんに対応できる環境をつくるため、ヘアーサロンイレブンでは当時の床屋としては画期的な「個別の料金設定」を導入。通常床屋では、「カット」や「シャンプー」、「顔剃り」などをすべて込みで提供しているが、このお店ではお客さんが必要なメニューだけを選べるようにそれぞれ個別に料金を決めている。「カットだけのお客さんは20〜30分で終わるから効率的だし、仕事帰りの方は、『住まいはお店の上、どうせこのあと家でお風呂に入るし、シャンプーも顔剃りもいらないよ』ってことも多いので、お客さんにとってもお得になる。そういうことを考えて、父は最初から個別の料金システムにしていたみたいですね」多いときは、8人のスタッフが働いていたという。それでも、手が回らないくらいの大繁盛だった。「その頃は予約制じゃなかったので、待っていただいている人がいる限りはやっていたんですよ。そうすると、どんどん店を閉める時間が遅くなっちゃって。大晦日なんて、仕事納めをした団地の人たちが殺到するから、朝までやってたって話は聞いてます。初日の出を見てから家に帰ったって」正徳さんがお店に入ったのは、今から30年ほど前のこと。大学進学を諦め、何の仕事に就こうかと悩んでいたとき、両親にせっかくなら、と勧められたのが理容師の道だった。「もともと親は、やらせる気はなかったみたいですけどね」と正徳さん。それまでお店を継ぐことを強制されたことは一度もなかったが、誘ってくれた言葉に応え、理容師学校に進むことを決めた。8人のスタッフを抱えながら、日々忙しなく働き、この団地で店を守ってきたご両親にとって、正徳さんの選択はきっと嬉しいことだったに違いない。理容師学校で基礎を学び、ほかの理容店での勤務を経験したのちに、ヘアーサロンイレブンに戻ってきた。ちなみに、理容師と美容師は似ているようで、まったくの別物。お客さんの肌に刃物を当てていいのは理容師だけ、というのを知っている人は多いかもしれないが、そもそも仕事の目的が違うのだそうだ。「理容師は、身なりを清潔に整えることが目的です。さっぱりさせるために髪も切るし、髭も剃る。一方で美容師というのは、身なりをより美しくすることが目的。そのセットのために必要なカットやパーマはしてOKというイメージですね」そんな違いがあるなんて知らなかったです、と言うと、「床屋さんでも案外知らないかもしれない」と正徳さんは笑う。よく人に聞かれるから、自分で調べたのだとこっそり教えてくれた。時が経ち、お父さんが亡くなった今は、正徳さんがほぼ一人でお店を運営している。団地の入居者自体もぐんと減り、周りには美容室や1000円カットのような安い床屋もたくさんできた。しかし、ヘアーサロンイレブンには今日も、お客さんたちがほぼひっきりなしに訪れている。「今はほとんど常連さんですね。団地に住んでいる人もいれば、引っ越したけれど電車や車に乗ってわざわざ来てくれる人もいる。体が元気なうちは、慣れ親しんだところで髪を切りたいって思ってくれているんでしょうね。でも、さっきのお客さんもそうだったけれど、たまにネットで検索して来てくれることもあるんですよ」ちなみに、お客さんのほとんどが男性だが、最近は「レディースシェービング」を求めて女性の来店も少しずつ増えているのだそう。肌がトーンアップし、メイクのりが良くなるらしいので、気になる方はぜひ体験してみてほしい。正徳さんがお店を継いでから、一番大きく変えたことと言えば、予約制の導入だという。お客さんが来たらとにかく対応するスタイルでやってきたが、7年ほど前に思い切ってシステムを変えた。「お客さんも高齢になってきて、ヘルパーさんと一緒に来られる方も多くなってきているから、待っていてもらう手間や労力をなるべく減らした方がいいよなあと。当時うちのスタッフが3人に減っていたのもあるし、予約制にした方がそれぞれちゃんと休みをとりやすくなるからね」「予約なしでやってたときは、朝昼と食事を抜くこともしょっちゅうだった」という正徳さん。予約制にしたことで少しはラクになったのかな、と思いつつ、頻繁に予約の電話がかかってくるのを見ると、今もバリバリ忙しそうだ。生まれ育ったこのまちで理容師として働いて、早30年以上。時代もまちも変わっていくなかで、正徳さんが理容師として変わらず大切にしていることは何かと聞いてみた。「お客さんとの会話の中で、“この人は本当のところでは何を求めているのか”を引き出すこと。たとえば、『ツーブロにしてほしい』と言われたときに、ただ単に流行っていて聞いたことがあるから言っているケースもあるわけですよ。でも、お客さんが本当に求めているものとはもしかしたら違うかもしれない。やっぱり喜んで帰ってもらうのが最終目的なので、言葉を表面的に受け取るのではなく、隠れた本音の部分を聞き出すのが、理容師として大事なんじゃないかなと思うんですよね」「あとはごく基本的な、当たり前のことをやっているだけですよ」と正徳さん。お客さんの顔を覚え、名前を覚え、その人が心地良い過ごし方を提供する。たしかな技術に加え、こうした細やかな配慮が、ヘアーサロンイレブンの基盤を強くしてきたのだろう。常連さんたちが通い続けるのもきっと、ちょっとやそっとでは揺らがない、たしかな信頼があるからなのだ。以前、取材させてもらった新高島平の「珈琲館 イヴ」や「黒田水産」と同様、このお店もゆくゆくは団地の建て替えが決まっている。「うちが辞めるより、団地の建て替えの方が先になっちゃいそうだけどね(笑)。ここがある限りは、頑張りたいと思っていますよ」と伊藤さんはさっぱりと答えた。いつかはなくなるとしても、目の前のお客さんを大切にしながら、こつこつと実直に。正徳さんの理容師としての生活はこれからも続いていく。