おむすびといえば、家庭で握って食べるものというイメージが強かったけれど、ここ数年で専門店がどんどん増えているらしい。日本食としても馴染み深く、手軽に食べられて、具材の種類も豊富なおむすび。選んで楽しい、食べて美味しい。最近、健康志向で小麦に比べて米の評価がぐんと上がったのも、人気を加速させた要因かもしれない。とにもかくにも、おむすび屋さんを見かけるとつい買いたくなってしまうのは、きっと私だけじゃないはずだ。上板橋にも、2021年に新たにおむすび専門店がオープンした。名前は、「米と酒 塩梅(あんばい)」。東武東上線の上板橋駅の北口から徒歩5分ほど。交差点の角、「手づくりおむすび」と書かれた幟が目印だ。この物件、もともとはお寿司屋さんだったそう。カウンターと椅子はそのまま、当時のものを引き継いでいる。店主の大久保裕子(おおくぼ・ゆうこ)さんは、ここからほど近くにある「Y's★cafe&bar」のオーナーでもある。会社員を経験したのち、湯島の物件を間借りして、シェアカフェを運営。ときわ台に長く住んでいたこともあり、2015年にここ上板橋でカフェバーをオープンさせた。常連さんたちに支えられ、もう少しで10年目を迎える。じつは、この塩梅を始めたのは、カフェバーのお客さんからの勧めだったのだという。「やっぱりコロナ禍に入ってね、つまらないし、生活は脅かされるしで、どうしようかなって。そうしたら、お客さん2人くらいから『おむすび屋さんやればいいじゃん』って言われたんですよ。国からの助成金もあったし、この物件が空いているのは知っていたので、不動産屋さんに連絡してみて。すでに何件か申し込みがあったみたいなんですが、急にうちに決まって、そこからはとんとん拍子に話が進みましたね」ちなみに、もともとカフェバーでおむすびを出していたわけでもないらしい。なぜお客さんたちは、おむすび屋さんを勧めたんでしょうね、と聞いてみると、「なんとなくじゃない?深い意味はないと思う。みんないいかげんなこと言いますから」と大久保さんは笑った。何はともあれ、そんなお客さんの思いつきの発言をきっかけに、こうして形にしてしまう行動力にあっぱれである。そうして塩梅は、2021年11月11日、昼からお酒が飲めるおむすび専門店としてオープンした。11月11日は「鮭の日」でもあるらしく、覚えやすいゾロ目かつ、おむすびに縁のあるこの日を選んだ。「塩梅」という言葉は、おむすび屋さんの構想が生まれる以前から、大久保さんの中に店名の候補としてあったそう。その前についた「米と酒」も、シンプルで粋だ。「素人がつけたにしては、かっこいいでしょ」と大久保さん。現在は、全部で25種類以上の具材の手づくりおむすびが楽しめる。おむすびはひとつから注文可能。具材によって、値段が少しずつ違う。一日に炊くお米は、だいたい一升。別注でたくさん注文が入れば、二升炊くこともある。種類は、その時々によって少しずつ違う。この日は、言わずと知れたブランド米・新潟県魚沼産のコシヒカリ。もっちりとした食感と粘り気があり、甘みも強い。「お客さんに教えてもらった佐渡島のお米を使うこともあります。しっかり、さっぱりしていておいしいんですよ」スタッフに新潟県出身の方がいて、同級生の農家さんからおいしいお米を売ってもらっているのだという。塩梅のおむすびの特徴は、まずその形だ。三角ではなく、丸。理由は「可愛いから」。そして、サイズは少し大きめである。焼きたてで有名な北区の海苔屋さん「小川海苔店」の香りのいい海苔でやさしく包む。「おにぎりだと、これくらいぺろっと食べちゃうよねっていう感じがいいじゃないですか。3歳のお子さんでも2個食べちゃうの。すごくないですか?」具は、中だけでなくてっぺんにも。「どこから食べてもちゃんと具の味が感じられるように」という配慮が嬉しい。定食のようにしっかりランチを楽しみたいという人は、お惣菜付きのセットメニューがおすすめ。赤味噌を使ったお味噌汁も付く。おむすびは、個数(1~3個)と具材を選べる。今回選んだ具材は、定番の「鮭」と、ちょっと変わり種の「カルボナーラ風」。「カルボーラ」は、クリームチーズとブラックペッパー、そして卵黄の醤油漬けが入ったおむすびらしいのだが、食べて驚く。口の中がまさにカルボナーラ。ガツンと濃厚な、罪の味である。そして、鮭も塩加減がよく、安心するおいしさ。お米はふわふわで、たしかにこれは2個、いや3個くらい余裕でぺろっと食べてしまいそうだ。プレートにのせられた種類豊富なお惣菜たちにも、テンションが上がる。こちらもすべて、大久保さんの手づくり。お皿や盛り付けの仕方も含めて改良を重ねながら、今の形に落ち着いた。このお惣菜付きセットも含めて、塩梅の商品はすべてテイクアウト可能なので、忙しいけれどちゃんと栄養のあるものを食べたいときのランチにもぴったりだ。じつは、大久保さんは数年前に野菜ソムリエの資格も取得している。その経験を存分に活かした、「野菜コース」も好評。季節の食材をたっぷり使ったおかずやおつまみが10~13種類ほど出て、最後は好きなおむすび2個でシメというコースだ。料理の一部が写った写真を見せてもらったが、野菜だけでなくしっかりお魚やお肉も出る。これだけおなかいっぱい食べられて5000円だというから、かなり良心的だ。事前予約制で、3人から受付可能。予約が入った段階でメニューを考えていくので、毎回違うラインアップを楽しめるのも魅力である。ちなみに、お酒はビール、ハイボール、サワー、日本酒、ワインなどだいたい揃っているので、口頭で飲みたいものを大久保さんに伝えるスタイルだそう。「メニューをつくればいいんだけど、忙しくて後回しにしちゃってて。」このゆるさも、何だか心地良い。朝からお昼にかけてはおむすびを握り、お店を締めたら、そのままカフェバーに移動してフードの仕込みをし、夜まで営業。遅いときは明け方に帰宅し、束の間の睡眠をとったら、また塩梅の仕込みのために出掛けていく。端から見ればかなりハードな生活だ。でも、「大変ですよ~!」と言いつつも、大久保さんの表情は明るかった。「バーだけだと、どうしても夜型の生活になりがちなんですが、塩梅があることでむしろリズムが整うし、リフレッシュできるんですよね。日の高いうちから仕事をするのが、身体的にも、気持ち的にもいい気がしていて。それに、おむすび屋さんとバーでは客層がだいぶ違うので、それもまたいい気分転換になっています。どちらも楽しいですよ。」これまでのお話を聞いていても、大久保さんは自分の手で毎日を楽しくしてきた人なんだなと思う。そんな大久保さんの仕事のモットーは、「一生懸命やること」。シンプルだけれど、とても力強い。「お店に立つ以上、お客さんに喜んでもらえるように一生懸命仕事をする。それに尽きるんじゃないかな。逆に言えば、全力が出せないときは真面目に休みます。普段から一生懸命やっていれば、お客さんはわかってくれると思うんですよね」ゆくゆくは、やってみたいこともたくさんあると話す大久保さん。たとえば、以前手伝っていたこともある子ども食堂とか、仕事としてもやっていた、アーティフィシャルフラワーのアレンジメントのワークショップとか。そのためにもまずは、お店を続けていくことから。「営業時間も短いし、まだお店の存在を知らない方も多くて、なかなかね。でもいいんです。こっそり続けて、いずれは有名店になろうって。小さいお子さんからおじいちゃんおばあちゃんまで、みんなが気軽に寄れて、おいしいって言ってくれるお店を目指したいですね」