「小学生くらいのときに、僕は花屋をやるってみんなに宣言していたんですよ。そんなに花が好きなわけでもなかったのにね。何だか知らないけれど」ははは、と豪快に笑うのは、「楽園空間」のオーナー・中込敬(なかごめ・けい)さん。隣で、妻のスミヨさんも一緒に笑う。それだけで、その場がハッピーな空気に包まれる。創業1996年。楽園空間は、結婚を機に敬さんとスミヨさんがふたりで立ち上げたフラワーショップだ。東急東横線沿いの祐天寺で22年間営業したのち、中板橋に移転してきた。アレンジメントや花束をはじめ、パーティー会場やイベント会場のフローラルデコレーションなど、幅広く手掛けている。店内にはこれでもかというくらいお花や植物がぎっしりで、そのエネルギーに圧倒される。ドライフラワーや観葉植物もある。生花コーナーには、王道のバラやひまわり、ユリ、かすみ草などをはじめ、ちょっと変わった花も多い。「昔からある花でも、最近はどんどん新しい種類が増えているんですよ。お客さんには常に新しいものを提案したいので、積極的に市場で仕入れるようにしています。おかげで、うちにはちょっと変わったお花を求めて来られる方が多いんです」(敬さん)よく見ると、バラやカーネーションでも色合いや柄が変わっていたり、キクも「八重咲き」や「ダリア咲き」など形・色がさまざまで、いい意味で仏花らしくないものが並んでいたりする。「基本的には、自分の目で見て可愛いと思うものしか使いたくない」という敬さん。その方がやっていて楽しいし、お客さんも喜んでくれて、Win-Winなのだそう。また、店頭には「サービスセット」と書かれた大量の花束コーナーが。「お花の組み合わせって迷っちゃうじゃないですか。だから、見本になるような『サービスセット』というブーケをたくさんつくって販売しています。以前は古臭いイメージのあったお花でも、これを機にお部屋に飾ってもいいかなと思ってもらえたら嬉しいですよね」(スミヨさん)サービスセットの花束は、税込み550円とは思えないボリューム感。サービス品といっても、品質はほかの生花と変わらない、新鮮なお花だ。これを楽しみに、毎回必ず買って帰るというお客さんの気持ちがわかる気がする。さらに、「安心・安全なお花をもっと身近に」をテーマに掲げる楽園空間では、農薬や化学肥料を使わず、有機栽培や自然農法で育てたオーガニックフラワーや、低農薬で環境にも配慮したナチュラルフラワーを積極的に扱っている。きっかけは、敬さん自身が花屋をやるなかで化学物質由来の体調不良を起こしてしまったこと。農薬を使わない栽培は難易度が高いことから、日本で取り組んでいる農家さんはまだかなり少ないのだという。それでも、すべての人に安心して触れてもらえるようにと、なるべく体にやさしい花を選んで提供するようになった。種類は限られるが、オーガニックフラワーのみでつくるブーケの注文も可能。化学物質に敏感な方へのプレゼントや、病院のお見舞いにぴったりだ。ちなみに、「花束の購入で1輪プレゼント」という嬉しいサービスも。今、接客を主に担当している社員の庭野晴美(にわの・はるみ)さんは、じつはほぼ創業時から務めている大ベテラン。もしどんな花を選んだらいいか迷っているお客さんがいれば、庭野さんはまず、店内で気になる花を1本尋ねる。それを見て、旬の花から相手の好みに合いそうな花を提案してくれる。「ご来店いただいたお客さんには、求めていることを想像しながら情報を提供したりとか、少しでも元気になって帰っていただけるように一言添えたりというのを心掛けていて、彼女(庭野さん)はそれがすごく上手なんですよ」と、スミヨさんからも太鼓判。そういえば、今さらながら「あれ?」と思ったことがある。何かが違う。そうだ、ふつうまちのお花屋さんにあるような“あれ”がないのだ。「うちはね、はじめた頃からフラワーキーパーと呼ばれる冷蔵庫を置いていないんですよ。お花は、フラワーキーパーの中では長生きするんだけど、それはあくまで仮死状態。花束にすると、あっという間に枯れてしまうんです」(敬さん)それはつまり、出荷から日数が経って古くなった花でも、15℃程度のフラワーキーパーの中ではきれいな状態が保たれてしまうということ。本来の寿命よりも長生きさせられた状態の花が、外気温とのギャップに耐えられないというのも無理もない。とくに30℃を超える夏場となればなおさらだ。一方、楽園空間ではフラワーキーパーを使わず、常に22~23℃の室温の中で花を保管しているため、店頭に並ぶ花たちはどれも新鮮で、元気いっぱい。きれいに咲いた状態を長く楽しむことができるし、温度差が少ないぶん、お花にとっても負担が少なくて済む。なるほど、植物の量が多いだけでなく、1本1本の花自体がいきいきしているからこそ、この店内はエネルギーで満ち溢れているのだ。とはいえ、すべてのお花屋さんがこの状態を再現できるわけではない。楽園空間がフラワーキーパーを使わず、常に仕入れたての新鮮なお花を店頭で扱えるのは、週末にパーティーやイベントの会場用にほとんどのお花を使いきり、また新しいお花と入れ替えるというサイクルができあがっているから。この週末にも、ずっと付き合いのあるダンスパーティの会場の装飾を任されているという。スミヨさんが見せてくれたスマートフォンの写真には、たくさんの花と植物で飾られた巨大なオブジェが。敬さんひとりで、3時間足らずでさくっとつくりあげてしまうというから驚きだ。冒頭の言葉通り、少年時代の宣言を実現させた敬さんだが、ストレートにお花屋さんを志したわけではない。独立する前は、リボンを付けた可愛らしいキャラクターでおなじみの、超大手エンターテインメント会社で営業をしていたのだという。その会社で後輩として出会ったのが、スミヨさんだ。「キャラクターグッズの営業をやっていたんだけど、自分の売上目標が年間何十億という世界で、全然リアリティがないなと思っていて。もうちょっと手の届く範囲で、自分で何かやってみたいと思ったときに浮かんだのが、子どもの頃に宣言した花屋だったんですよね」深く考えず、この世界にかけてみようと決めた敬さん。中途入社してきた後輩が、たまたま花を扱う仕事をしていたことから、力になってくれたのだそう。もちろん敬さんの行動力もすごいのだけど、結婚とほぼ同時に、未経験の花屋を始めるという、このなかなかハードな冒険の舟に、一緒に乗ることを決めたスミヨさんもかっこいいなと思う。それからしばらくは、店舗を持たずに電話受注だけで花屋をスタート。花の在庫が置ききれなくなったのをきっかけに、祐天寺に初のお店を構えた。ちなみに、祐天寺時代は「パラダイスファクトリー」という名前で営業していたらしい。22年という長い年月を過ごした祐天寺を離れ、中板橋に移転を決めたのは、もともと板橋が敬さんの地元であり、住まいもこちらにあったから。しばらくの間板橋エリアで新しい物件を探しつづけ、2018年に今の場所で再スタートを切った。中板橋でお店を始めてから感じるのは、「行事を大切にする方が多い」ということ。たとえば、お盆やお彼岸になると、お墓参り用の仏花を求めてかなり多くの人がお店にやってくるらしい。そういうときに、ほかの花屋にはない、楽園空間のちょっと変わった仏花が好評なのだ。「大切な行事のときに来てくださる方々のために、お花を欠かさず、喜んでいただけるものをきちんとご提供できるようにしようと、いつもはりきって準備しています。本当は仏花用の花って決まりきっているんだけど、うちではちょっと内容をアレンジしたりして。若い方からご年配の方まで、喜んで買ってくださいますね」(スミヨさん)そういえば、レインボーカラーに染められたキクなんかもあって驚いたが、そのくらいカラフルな方が、供えられたご先祖さまも楽しい気持ちになれるかもしれない。仕事を続けていくうちに「花が好きになった」と話す敬さん。最後に、「お花屋さんをやってきて嬉しかったことは?」と聞いてみると、こんな答えが返ってきた。「祐天寺時代のお客さんが、わざわざこちらまで来てくれるんですよ。なかには、このお店が忙しいときに仕事を手伝ってくれるお客さんもいたりしてね。その子は、出会った頃は学生だったんだけど、今ではもう3児のママ。僕らはただ花を売ってるだけなんだけど、仕事を通してそうやって長く付き合えるつながりが生まれるのは、すごく嬉しいことですよね」(敬さん)「そんなこともあるんですね」と笑ってしまった。お客さんたち、このお店のことめちゃくちゃ好きじゃん!と。でもなんとなく納得してしまうのも、働く皆さんがとにかくハッピーでチャーミングだから。もやっとしていたはずなのに、気づいたら一緒に笑ってどうでもよくなっているようなその明るさと笑顔に、救われてきた人もきっと多いのだと思う。近くに寄ったら「こんにちは!」と顔を出したいし、ここでもらった元気やパワーを、花を贈るという行為を通してまた別の人にお裾分けをしたい。そんな心がほくほくするお花屋さんに出会えたことが、今はただ嬉しいのだ。