ジンギスカンといえば、北海道の郷土料理というイメージが強いけれど、じつは日本における発祥は諸説あるらしい。東京で生まれたという説もあれば、皇室の御料牧場のあった千葉県成田市や、岩手県遠野市など、ジンギスカンの発祥を名乗る地域もいくつかある。羊の食用を始めたのは大正時代からだが、一般市民に食べられるようになったのは、戦後のこと。空前の北海道旅行ブームも相まって、昭和30年前後からジンギスカンの認知度が拡大していったのだそう。「東京のジンギスカン屋さんの中では、うちはかなり古い方だと思うんですよね。無煙ロースターを導入したのも、板橋では一番早かったんじゃないかな」そう話すのは、新板橋のジンギスカン屋「やきやきグルメげんらい」を営む杉本浩美(すぎもと・ひろみ)さんだ。たしかに、昭和33年創業となればまさに、日本のジンギスカンの走りの時代を知る老舗である。ビビットな黄色の看板に、時代を感じさせるレトロな店構え。中に入ると意外と奥行きがあり、ひとりでも家族連れでもゆったりと食事を楽しめる。もともとは、ラーメン屋さんから出発したこのお店。中華出身の浩美さんのお父さんが、「げんらい軒」の名前で約2年ほどラーメン店をやったのち、今のジンギスカン屋に転身した。「当時はラーメンが1日で400食とか出ちゃって、ものすごく忙しかったらしいんですよ。それで父は嫌になっちゃったみたいで。その頃、東京でもジンギスカン屋さんが増えていたので、こっちをやってみるかと。そうしたら、もっと忙しくなっちゃって(笑)」ジンギスカンは焼肉と同様、食材さえ提供すればお客さんが自分で焼いてくれるのでラクだろう、という算段だったが、さらに繁盛してしまったというオチ。それだけ当時は、ブームになりたてのジンギスカンにみんな夢中だったのだろう。地下鉄の駅ができる前は、通勤などでたくさんの人が志村エリアから板橋駅まで徒歩で通い、お店の人通りも多かった。そうしたサラリーマンをはじめ、タクシーに乗って横浜や新宿からもげんらいのジンギスカンを食べに来る人がたくさんいたのだそうだ。「やきやきグルメ」の名前の通り、げんらいではジンギスカンを中心に、牛肉や魚介類などの焼きものが楽しめる。仕入れている羊は、オーストラリア産とニュージーランド産のもの。創業当時、羊はマトンしか提供していなかったが、20年ほど前に旅先の北海道でラムがメジャーなのを知り、扱うようになったそうだ。マトンが生後1年以上なのに対し、ラムは生後1年未満と若い。しばらくはマトンとラムの2種類でやってきたが、5年ほど前にラムのメニューを増やし、今ではランプや骨付き肉、肩ロース、珍しいタンなども食べられる。「もともと、お客さんが頼むのは羊と牛の割合が8:2くらいだったんですが、メニューを増やしてからは9:1に変わりましたね。お客さんにご自身で選んでもらえるようになったからか、売上も伸びたんですよ」ジンギスカンは、ヘルシーであることもひとつの魅力だ。羊のお肉はコレステロール値を下げることが期待される「不飽和脂肪酸」や、脂肪を燃えやすくする「L-カルニチン」などが豊富に含まれていると言われている。消化が良く、さっぱりとしていて胃もたれしづらいのも嬉しい。さらに、げんらいのジンギスカンには臭みがほとんどなく、子どもから大人まで誰でも食べやすいのが特徴だ。「一度食べていただけたらわかる」と浩美さん。「ジンギスカンが苦手だったという方でも、うちで食べたらおいしかったと言っていただけることがよくあります。なかには、この店のジンギスカンが一番おいしいからと、北海道に出張に行っても食べずにうちに来てくれた方もいました」また、特筆すべきはやはり、その安さである。だいたいのメニューが、たっぷり一人前で600〜700円台という手頃さ。厚切りロースも1000円ぽっきりだし、おしゃれなイタリアンなどでは1本1500円はする骨付き肉も820円だから、とても良心的だ。しかもお肉一皿につき、たっぷりの野菜一皿が無料でついてくる。創業当初からやっているサービスらしいが、これは嬉しい……。「焼肉屋さんだと、野菜といえばナムルとかサンチュを食べるくらいでしょ。あれはあれでおいしいんだけど、小さい頃から当たり前のようにジンギスカンと一緒に野菜を食べていると、やっぱりちょっと物足りないんですよね。お肉だけでは生まれてしまうちょっとした隙間を、野菜が埋めてくれるというか」浩美さんのおすすめは、最初にある程度野菜を焼いてドーナツ状にし、その上に分厚いロースや骨付き肉をのせてじっくり火を通すこと。それらが焼けるのを待っている間、鍋の中心でほかの肉を焼いて楽しむ。羊肉との相性抜群な自家製のタレは、ちょっと甘めでありながら、奥深い味わい。お父さんの代から変わらないレシピでつくり続けている。「和風の醤油ベースですが、そこに十数種類のスパイスや果物を加えています。父の受け売りですが、あからさまにわかるほどではなく、少しずつ入れることで、味に複雑さや深みが出てくるんですよね。お客さまは、とにかくこのタレがおいしいとよく言ってくれます。僕はずっと食べているので、あんまり特別だとは思わないんだけど」一時期は自分流のレシピでやってみたときもあったが、お客さんから「味が変わったんじゃないか」と言われて戻した、なんてエピソードも。「最初の頃の自分は、職人タイプではなかった」という浩美さん。お店を継いだのは、29歳のとき。大学の商学部を出たのち、そのままお店を手伝っていたが、平成元年にビルを建て替えたタイミングで代替わりをすることになった。「そのとき父は54歳だったんですが、すでにもう仕事はしたくないって感じだったんです。今の私より10歳若いときだと想像すると、だいぶ早いなあと。まだまだ仕事頑張りたいですもんね」と、浩美さんは笑う。忙しいのが嫌で人気ラーメン店を2年で辞めたことを考えても、つくづくさっぱりしたお父さんだ。以来、妻の嘉子(よしこ)さんとともにお店を切り盛りしてきた。「2000年代前半にも、中目黒を中心に全国的なジンギスカンブームがあったんですよ。モデルさんたちが美容のために好んで羊を食べるという話でね。うちは最初、ヘルシー思考にはそこまで肯定的なわけではなかったんだけど、妻の助言もあって『たしかにそういう考え方もあるかもしれないな』と。そこからヘルシーさを押し出していった結果、女性だけでいらしてくれるお客さんも増えていったんですよね」げんらいの店内にはカウンター席もあり、おひとり様でも気軽にジンギスカンを楽しめる。「今日は疲れたから、思いっきりおいしいお肉食べたい!」と思ったときに、ふらっとひとりでも行けるのは最高だ。実際、ひとりで来店するお客さんは性別問わず多いという。「飲食店の常なんですが、経営者が年をとるとお客さんも年をとるし、若い人がなかなか入りづらくなってしまうんですよね。でもうちは今のところ、経営者も常連さんも確実に年をとっているけれど、半分は新規の若い方がいらしてくれるんです。それは強みなんじゃないかな」定期的にひとりで来るご年配の常連さんも、初めての若い女性グループやファミリーも、みんなひとつの空間でおいしいジンギスカンを思い思いに食す。個人店の焼肉屋さんって何となくハードルを感じがちだけど、げんらいだったら気兼ねなく食事を楽しめる気がする。とはいえ、お店を続けていくことの難しさは、常々感じているという浩美さん。世界的に見れば、今や羊肉は牛肉よりも高級な食材になり、仕入れはどんどん難しくなっているらしい。私たち消費者が想像する以上に、飲食店は国際情勢の変化にダイレクトに影響を受けている。5年はおろか、1年先の未来すら予測できないような不安定な社会で、はたして店を続けていけるのか。息子さんや娘さんは「ゆくゆくはお店をやってもいい」と言ってくれているそうだが、そんな思いもあって、自分の代で店を畳むつもりだと浩美さんは言う。「やっぱりね、家族でやっていると何かあったときに共倒れになってしまいますから。今は息子や娘、その家族もちゃんと仕事をしているので、その方がいいよって伝えています。まあ、どうなるかわからないけれど」切ないけれど、その言葉からは浩美さんの親心も感じた。家族それぞれの人生を大事に思うからこそ、下さなければならない決断もある。でもそれは、まだもう少し先の話。「ジンギスカン屋自体が少なくなっているから、長年通ってくれている常連さんたちは、うちがなくなると困っちゃうと言ってくださっていて。ありがたいことに新しいお客さんも増えているし、うちを楽しみにしてくれている方がたくさんいると思うと、なかなか辞める踏ん切りがつかないんです。だから、できるだけ細く長く、続けていけたらなとは思いますね」この店を愛するお客さんたちがいて、自分たちの体力と気力が許す限り、浩美さんは妻・嘉子さんとともに今日も店を開ける。いつか来る終わりを見据えながらも、「おいしい」という言葉を一度でも多く聞くために。