たまに、メニューが多様かつ種類がめちゃくちゃ多くて、「ここはいったい何屋さんなんだろう……」と混乱するような飲食店に出会うことがある。煮込みハンバーグがあると思ったら、お刺身定食もある、みたいな。板橋本町の駅から徒歩7分ほどの場所にある「Itabashi Chubaw(いたばしちゅうぼう)越前」も、まさにそんなお店だ。まず店名からして和なのか、洋なのか、悩ましい。竹やすだれが使われた店構えや、ビールの提灯があるのを見る限りは完全に居酒屋なのだが、なんと洋食をメインにしているらしい。昭和43年創業。メニューの豊富さとアットホームな雰囲気が自慢のまちのお食事処だ。奥行きがあり、ゆったりとした店内は、家族連れからおひとりさままで、幅広い人にフィットしそうである。お食事のメニューは、「ハンバーグ」「生姜焼き」「フライもの」「ワンプレート」「スペシャルメニュー」「山かけ」「焼き魚」などのカテゴリに分けられており、その中からさらにおかずの種類や組み合わせを選べる。ディナータイムにはさらに、溶岩プレートで和牛を焼いて食べる「溶岩焼き」や、お刺身、珍味などのおつまみメニューが追加されるので、ものすごい数になる。もともとは、「レストランまつば」という名前でスタートしたItabashi Chubaw 越前。石川県輪島市出身の社長・越前武さんは、中学卒業と同時に上京し、文京区・傳通院にあった「レストランまつば」でいわゆる丁稚奉公として働き始めた。その後、独立して暖簾分けすることになり、この板橋本町でお店を始めたのだという。「昔は、今の中山道の辺りに都電が通っていて、商店街が稲荷神社の参道にもなっていたから、人が芋洗い状態だったんですって。本当にもう、自転車が漕いで通れないくらい。そのくらい当時は賑わっていたのもあって、いくつかあるなかからこの物件を選んだらしいですね」そう話すのは、武さんの息子であり、現在お店を主になって運営する由記久(ゆきひさ)さんだ。彼が生まれて1歳になる直前にお店がオープンし、しばらくは暖簾元の味を引き継いだ洋食屋さんとして営業していたという。その後、居酒屋のホールやファミリーレストランのキッチンを経験した由記久さんがお店に戻り、本格的に仕切ることに。それをきっかけに、当時の流行りに合わせて、和風居酒屋風にリニューアルすることになった。店名を変えたのは、そのときだ。「前々から思っていたんですが、せっかくうちの家族は『越前』というインパクトのある名字なのに、もったいないなって。暖簾分けをしているけれど、屋号だけなら変更可能だと聞いて、じゃあ『越前』を使おうとなったんです。そこに何をくっつけるか悩んだ結果、昔流行っていた料理番組からヒントをもらって、“板橋の厨房”ってことにしようかと」「chubaw(チュウボウ)」という独特なスペルも、じつはその番組由来。今までの洋食メニューは引き継ぎつつ、和風居酒屋のイメージに合わせて、お刺身などの生ものやお魚の定食、おつまみ系、日本酒、芋焼酎などのメニューを追加した。時代の流れをキャッチしながら、試行錯誤していくうちにどんどん増えていってしまったというメニューは、もはや「数えたことがない」らしい。「スーパーや魚屋に仕入れに行って、面白い食材を見つけたり、勧められたりすると、ちょっと買ってきて試験的に出してみることもあります。結局はあれもやりたい、これもやりたいっていうので増えちゃったんですよね」「本当に多すぎるんですよ」と、ちょっと困った顔で笑う由記久さん。メニューは増えたが、自家製のデミグラスソースの味は創業当時から変わらない。「僕が小さい頃からうちで食べてきて、脳裏に残ってるデミグラスソースの味って、甘いんですよ。本来、デミグラスソースというとトマトピューレを入れるんですが、うちでは代わりにケチャップを使っているので自然な甘みが足されていて。そうすることで、お子さんにもおいしく食べてもらえるんですよね」デミグラスソースといえば、洋食屋の命。ずっと継ぎ足しで守り続けてきたそれは、ハンバーグやビーフシチュー、ハヤシライスなどのメニューで贅沢に使われている。名物の「男前ハンバーグ」は、赤身と脂身のバランスがいい合い挽き肉をたっぷり300g使った、ボリューム満点のメニュー。思わず「でか!」と声に出したくなるくらい大きくてまあるいハンバーグは、肉々しくてジューシー。でも脂がしつこくないのに加え、デミグラスソースがまろやかでおいしいので、ぺろっと食べられる。由記久さん曰く、「性別問わず大人気」なんだとか。定食セットにすると、ご飯・お味噌汁、サラダ、お漬物が付いてくる。和洋折衷な感じも、このお店らしい。ライスは欠かせないし、お味噌汁がとてもおいしくてほっとする味だったので、ぜひセットで食べてほしい。デザートも気になるという方には、少し前に復活したという「自家製プリン」をおすすめしたい。素朴な見た目が可愛らしいプリンは、社長のお手製。コロナ禍に入って一度メニューから下げたものの、メニューの幅を広げるために復活したのだそう。昔懐かしい固めのプリンで、甘さも絶妙。甘いのが好きな人は、ホイップクリームをのせて食べてもいい。サイズ感が小ぶりなので、おなかいっぱいご飯を食べたあとでも罪悪感がない。ちなみに、メニューの中には「ハンバーグとから揚げ」と同じノリで、「ハンバーグとプリン」もある。「お客さんから、良くも悪くもうちの定食はボリュームが多いと言われることがあったので、おかずとおかずじゃなくて、おかずとデザートの組み合わせのメニューをつくってもいいのかなって。お客さんとしても、デザートを別でオーダーするよりはお得に食べられるから、結果的に結構注文が入るんですよ」ファミリー層に人気なので、家族連れが多い週末の日替わりランチのメニューで、おかず×プリンを組み込むこともあるらしい。こうしたメニューのこだわりはもちろんありつつ、Itabashi Chubaw 越前ではアットホームな空間づくりをとても大事にしている。「リニューアルした当時は、とにかく席数をとるために席の間隔を狭くして、すだれで仕切るような個室っぽい居酒屋がすごく流行っていたんです。でも正直、そんな窮屈なところで酒飲んでも美味いのかな?って。僕らとしては食事もゆっくり楽しんでほしいと考えていたので、席数をとることよりも、一人ずつの専有面積を広くとれることを優先して設計しました」たしかに、テーブル席は片側に3人ずつ座っても十分にゆとりがあるし、カウンター席も横との間隔が広めになっていて、リラックスして食事を楽しめそうだ。これはレストランからスタートし、食事を軸にやってきたこの店ならではの発想かもしれない。そして、昔も今も“お店の顔”だという社長・武さんの存在も大きい。「もともと社長は、ちょっと手が空くとすぐに客席に出てお客さんとコミュニケーションをとったり、表で子どもたちが学校から帰ってくるのを見守ったりするような人で。そういうアットホームさは、うちの自慢かなと思いますね」にこにこと優しく、フレンドリーな武さんは、きっと近所の子どもたちにとっても親しみやすいおじちゃんなんだろうなと、想像して勝手にほっこりする。(じつは、石川県の観光大使もやっているらしい)お客さんのなかには、親子3代にわたって通ってくれたり、引っ越しても遠方から遊びに来てくれたりする人も多いのだそうだ。「よくこの店に来てくれていて、子どもが産まれてから湘南の方に引っ越されたお客さんがいたんですが、つい2~3日前にそのお父さんと息子さんがお見えになったんですよ。当時はまだ赤ちゃんで、僕が抱っこしたりもしていた子が小学校に上がったって聞いて、嬉しくなりましたね。その子も、なんとなくこの店のことは覚えていてくれるみたいで」たとえ幼かったとしても、家族でよく通っていた好きなお店のことは、大人になってもぼんやりと覚えているものだよなあと、自分自身を振り返っても思う。きっとその子にとっても、この店は家族との思い出の場所として、記憶に残り続けるのだろう。「食事って毎日のことだから、一生のうちに何万食も食べるわけじゃないですか。そのうちのほんの1回でも食べにきてもらえたら嬉しいし、思い出の1ページに刻んでいただけたら、もう本望だなと思います」お店のあるイナリ通り商店街付近は、駅からも少し距離があり、年々人通りが減っているという。それでも、お世話になったこの地に恩返ししたいという気持ちで、移転することなく、お店を続けてきた越前家。食を通して、地域の人たちの憩いの場であり続けようとする覚悟を感じた気がした。