かつて、和菓子というのは私たちの生活にもっと密着したものだったらしい。お正月はお餅、成人式にはお赤飯、3月は桃の節句で雛あられや桜餅で、5月の端午の節句には柏餅、6月のお彼岸にはおはぎなどなど……。一年のなかで毎月のようにある行事ごとのそばには、必ず和菓子があった。それぞれの行事の間近になると、まちの馴染みの和菓子屋さんに注文をし、当日の朝早くに受け取りに行く。そんな生活が当たり前のようにあったことを、知らない世代もどんどん増えている。「成人式も敬老の日も、今はハッピーマンデー制度で3連休にするために月曜日固定になったから、なんの祝日かという意識がどんどん希薄になってしまいましたよね。昔は、お赤飯や紅白饅頭の注文がどっと来て、そのたびに大忙しだったんですよ」そう話すのは、老舗和菓子店「双月庵」の2代目店主・石井正幸(いしい・まさゆき)さんだ。地下鉄副都心線の小竹向原駅から徒歩15分、パステル宮ノ下商店街の入口にある。この地域で暮らす人たちの行事ごとを、自慢のおいしい和菓子で支えてきた。1962年創業。先代である正幸さんの父・十郎さんは、中学卒業後に集団就職でペンキ屋に勤めたのち、知り合いの紹介で和菓子屋に就職。そこで出会った師匠が、ちょっと変わった面白い人だった。「父の師匠は、画家に憧れて自分でも絵を描く人だったらしいんです。フランスにも強い思い入れがあって、既存の枠にとらわれない独創的な和菓子をつくっていらしたみたいで。父はその師匠のもとで10年修行をしたのち、結婚を機に暖簾分けをさせてもらって、この双月庵をつくったと聞いています」当時は電車もなく、交通の便はあまりよくなかった大谷口エリア。そのぶん、商店街にはありとあらゆる店が並び、歩行者天国になると人がすれ違うのも大変なほど栄えていたという。良き師匠の後押しもあり、商売するにはいい場所だから、とこのまちに店を構えた。正幸さんが生まれたのは、お店がオープンして2年後のこと。幼い頃から父の仕事ぶりを見ていた影響からか、料理をすることが好きだったらしい。ゆくゆくは自分が和菓子屋を継ぐことを見据え、学校の卒業文集にも書いていたというから驚きだ。「何の躊躇もなく、当たり前に父の後を継ぐものだと思っていましたね」。大学卒業後に永福町の老舗和菓子店「青柳」で3年間修行したのち、双月庵に。父の十郎さんが亡くなってからは、パートさんの手を借りながら、ひとりでお菓子をつくってきた。店頭には、一つひとつこだわりを持って丁寧につくられた和菓子たちが並ぶ。たとえば、双月庵の「芋ようかん」は余計な材料は使わず、さつまいもと砂糖のみでつくられている。使う芋は、甘さと水分量のバランスがちょうどいい9~10月にとれる「紅あずま」と決まっているため、市場に出始めたら期間限定で一気に仕込むのだという。今はねっとり系のさつまいもがブームで、逆に紅あずまはなかなか手に入らず貴重なんだとか。「芋ようかんというと昔からある和菓子ですが、意外と若い方に人気なんですよ。うちのが好きだからと、2日に1回くらい買いにくるお客さんもいらっしゃいます」「あんみつ」も、お店で一つひとつ手づくりしている。手間がかかることから、あんみつ専門業者の商品を仕入れて販売する和菓子屋も多いなか、双月庵ではフルーツ以外の寒天、あんこ、牛皮、黒蜜まですべて自家製だ。店頭では「あんみつ」と書かれた、レトロなカップに入った状態で販売されている。このあんこは、どら焼きや最中に使われているものと同じなんだそう。和菓子屋のとってのあんこは、洋食屋さんでいうデミグラスソースのようなもの。双月庵では、粒の大きい北海道産の大納言小豆を3日間かけて練り上げてつくっている。「今って甘さを控え目にしているところが多いんだけど、うちは昔ながらの製法、配合でやっているので、しっかりと甘さがあるのが特徴です。この味が好きという方は多いですね」「よかったら食べていってください」と正幸さんのご厚意でごちそうになったあんみつは、懐かしくてやさしい味がした。あんこの甘さに心がほっとする。正幸さんが大事にしているのは、「伝統は守りつつも、ほかとはちょっと違う新しい和菓子を提供すること」。昔からあるお菓子は、昔ながらのつくり方を変えずに守る。たとえば、昨今は牛皮で包むことが多くなった豆大福やいちご大福も、この店では従来の餅でつくると決め、もち米をつくところからやっている。保存料や添加物もなるべく使わないため日持ちはしないが、つくりたてのおいしさを楽しんでほしいと正幸さんは言う。その一方で、できるだけ若い人たちにも和菓子の魅力を知ってもらえるようにと、工夫は怠らない。暖簾元の師匠の美意識や感性を受け継いだ、見た目にも可愛い和菓子が双月庵にはたくさんある。一番人気の「エリート凱旋門」は、暖簾元から受け継いで創業当初からある看板商品だ。さすが、フランスに憧れていた師匠ならではのネーミングである。白餡やコーヒー餡、果実餡などをチョコレートで包んだ洋風和菓子で、フルーツ、コーヒー、ストロベリー、抹茶の4種類。中にはぎっしりと餡が入っていて、結構ボリュームがある。パステルカラーの色合いも可愛らしく、ギフトにもおすすめだ。「これは、60年以上前の創業時からある看板商品です。今でこそ、チョコレートを使った和菓子はちょこちょこ出てきているけれど、当時はかなり珍しかったと思うんですよね。昭和52年に全国菓子博覧会で大賞をいただき、2020年には『板橋のいっぴん』にも選ばれました。地域の方々にも広く知っていただいています」この「エリート凱旋門」を小さい頃から見てきたからこそ、正幸さんは常識にとらわれず、自由な発想で新しい和菓子を考案してきた。こちらの「カフェ・ラテ」は生クリームをコーヒー餡と牛皮で包んだ、大福風の和菓子。まあるくて可愛らしい見た目と小ぶりなサイズ感で、コーヒータイムやおやつにぴったり。ちょっとした手土産にもいいかもしれない。また、1個50円で買える「キャラメルゆべし」は子どもたちにも大人気。ゆべしは本来、お米の粉と砂糖を蒸して、練って固めたお菓子だ。双月庵では砂糖をキャラメルシュガーに変え、中に刻んだアーモンドを入れているので、ザクザクもっちりとした食感を楽しめる。「和菓子に限らず、テレビでやっている話題のお菓子を見ていると、『こういうのつくってみたいな』と思うものがたまにあるんですよね。それで、ちょっと和菓子に応用してつくってみたり。まあ、和菓子以外は独学でやっているからなかなか上手くいかないんですけど、試行錯誤しながらやっています」そう笑う正幸さん。ほかにも、スタンプが貯まると500円の買い物ができる小判をプレゼントするサービスを独自にやっていたり、小中学生の職場体験を積極的に受け入れたりと、まちの人との接点も大切にしてきた。正幸さんが現状に満足せず、新しいことに取り組み続けるのには理由がある。「息子がひとりいるんですが、今は違うものに興味を持って働いていますし、この店は僕の代で終わりにする予定なんです。個人店はどんどん大きいところに飲み込まれていきますし、今はいろいろなお菓子も出ているなか、和菓子離れはどうしたって進んでいくと思うので。寂しいことですけど、僕としては自分の好きで入った道ですから、最後まで頑張りたいんですよね」「自分の代で終わりだと思うから、何でもチャレンジできる」。その言葉が、とても印象的だった。決して悲観的ではなく、むしろポジティブなエネルギーを感じる。板橋区内だけでも、全盛期に比べれば半分ほどに減ったという和菓子屋さんだが、和菓子組合では今も同年代の仲間が集まり、勉強会や情報交換が行われているらしい。話を聞いていると、ライバルというよりも、「みんなで生き残っていこう」という連帯感があるようだ。いつかはお店を畳むとわかっていても、いや、わかっているからこそ今を大切に精一杯やっていく。失敗することもいとわず、好奇心の向くままに手を動かしてみる。その姿勢からは、学ぶことがたくさんあった。この店でお気に入りの和菓子が見つかったらぜひ、「おいしい」の言葉が何よりの原動力だという正幸さんに、感想を伝えてほしい。