かつての日本では、ケーキは誕生日やクリスマスなど、家族や友人が集まる“特別な日”を彩る、少し贅沢な存在だった。時が流れ、今では手軽にケーキを楽しめるようになり、街にはキラキラとした華やかなケーキが溢れている。だからこそ、昔ながらの洋菓子店や喫茶店のシンプルなケーキに、懐かしさやほっとするような温かさを感じるのかもしれない。板橋区中板橋にある「欧風菓子 白鳥」もそのひとつ。昭和41年の創業以来、60年以上にわたり、地域の人々に愛され続けてきた。中板橋駅から徒歩3分、駅前に堂々と構えるグリーンの看板が目印だ。店に入ると、温かな笑顔と明るい声で「いらっしゃいませ」と出迎えてくれる。現在は、2代目店主の白鳥忠光さんがお店を営んでいる。「白鳥」は、和菓子の名店「銀座凮月堂」に長年勤めた忠光さんの先代が、当時はまだ珍しかったヨーロッパの菓子を広めたいという思いから開店した。1階は菓子店、2階は喫茶店、3階は厨房と、一棟でお店を回している。できたてのスイーツがすぐ店頭に並び、その場で楽しめるのもうれしい。開業当初からお店を支えてきた母の光江さんは、今も店頭に立ち、毎日笑顔で接客を続けている。「最初から『洋菓子屋さんになりたい』と思っていたわけではないんです。ただ自然な流れでお店を継ぐことになって…気づけば、お客さんの『美味しい』という言葉や、感謝の気持ちをいただけることに嬉しさややりがいを感じるようになっていました。」このように語る忠光さんは、幼い頃から洋菓子に囲まれ、父親がケーキを作る背中を見て育った。幼い頃から店を継ぐことを望まれ、高校卒業後、一従業員として店に入り、一つひとつの工程を一から学んだ。26歳での結婚と同時に店を継ぎ、先代の「良い材料を使えば、美味しいものが提供できる」という教えを大切に、長年その味を守り続けている。「旅行でフランスへ行ったこともなく、現地で修行したわけでもないので、本場で修行した職人さんのような華やかなケーキを再現するのは難しいかもしれません。だからこそ、自分たちにできるのは、選び抜いた材料を使い、一つひとつ手間を惜しまず丁寧に作ることだと思っています。」創業当初から変わらない味を守り届けるために、たとえ利益が少なくなったとしても、材料には一切の妥協をしない。ケーキの生地やクリームなどはすべて一から手作りし、香料などに頼らずに素材そのものの豊かな香りを生かす。こうした細やかなこだわりこそが、「白鳥」のスイーツの変わらぬ美味しさを支えているのだ。「歳を重ねるにつれていろんなケーキを食べるようになりましたがうちのケーキを食べると『やっぱり一番美味しいな』って思うんですよね。」ショーケースに並ぶスイーツは、どれも愛情が詰まった手作りの逸品。その8割は、創業当初から変わらぬ製法で作られている。大きないちごがのったショートケーキ、サクサクのミルフィーユ、濃厚なチーズケーキ、季節限定のケーキなど、彩り豊かなケーキたちが目を惹く。スイーツはケーキだけでなく、クッキーやチョコレート、バウムクーヘンと、豊富なラインナップ。これらは「色んなお菓子を楽しんで欲しい」という先代の思いから生まれたものだそう。ひとつひとつに手書きのポップが添えられているところにも、お店の丁寧さと温かな心配りが垣間見える。「お客さんが箱を開けて『わぁ!美味しそう!』って言ってくれたり、食べた時に『美味しい!』って笑顔になってもらえることが一番嬉しいですね」忠光さんは、ケーキを作り、手渡したその先にあるお客さんの反応を想像し、少しでも幸せなひとときを届けられるよう全力を尽くしている。その姿勢は、先代から守り続けてきた思いそのものであり、日々のお菓子作りにも表れている。今、厨房に立ってケーキを焼いているのは、忠光さんを入れて2人だけ。毎晩仕込みをし、朝7時には厨房に立ってせっせとケーキ作りをしているのだとか。クリスマスなどの繁忙期には、2人で400個以上ものケーキを焼くこともあるというから驚きだ。これらのケーキや生菓子は、一つひとつ丹精込めて作られていながら、すべて300円から400円という良心的な価格で提供されている。材料費の高騰で値上げを検討する場面もあるそうだが、品質を保ちながらも、地域に親しまれる価格設定を貫いてきたのだ。「創業当初は高級店として始まったはずですが、今では地域のみなさんに気軽に足を運んでもらえる場所でありたいと思っているので、なるべく価格を上げないように努力しています。ただ、それだけのことなんですよ。」その言葉からは、日々の努力と変わらぬお客様への愛情が感じられる。良質な素材を選び、手を抜かずに丁寧に作ること——それは、先代から受け継いだ思いとともに、今も変わらず大切にされている。お店の看板メニューは、ロマンティックなフォルムが印象的なスワンシュー。これは、店名である「白鳥」にちなんでデザインされたもの。羽部分のシューには、真っ白な粉砂糖がふりかけられていて、その優美な姿はまさに一羽の白鳥のよう。手作りだからこそ、ひとつひとつの顔つきや形が微妙に違うのも愛らしい。クリームには生クリームとカスタードを合わせたディプロマットクリームを使用。生クリームとカスタードは一から手作りされている。ホワイトキュラソーでほのかな香りを添えた生クリームと、バニラビーンズたっぷりのカスタードが合わさったディプロマットクリームの、軽やかさと上品さが口の中にふわりと広がる。一見ボリューミーなクリームも、甘さ控えめで、最後まで飽きずにペロリと楽しめる。すべての工程において一切の妥協がないからこそ生まれる、やさしくも奥深い味わい。長い年月をかけて親しまれてきた味が、今も変わらずここで輝いている。2階の喫茶店には、深く落ち着きのあるグリーンが、タイルやアーチ型のガラス窓にさりげなく取り入れられている。開業当時から変わらないこの景色は、訪れる人に落ち着きと安らぎを与えてくれる。ここで多くの人が、それぞれの人生のワンシーンを重ねてきたのだと思うと、この場所がますます愛おしくなる。喫茶店では、できたてのケーキや焼き菓子の他にも、サンドウィッチやホットドックも楽しめる。コーヒーや紅茶といったドリンクメニューも豊富で、モーニングやランチタイムに訪れる常連さんも多いのだとか。時代の変化とともに、新しい洋菓子店ができるなど、周辺には様々な変化があったというが、それでもお店に大きな影響はなかったという。それは、常連さんが親子代々、あるいは何十年もの時を経て再び訪れたくなるような、変わらぬ味と変わらぬ心地よさがあるからだろう。「一時は、時代に合わせて少しずつ変えていかなければと考えたこともありました。でも今は、無理に変えたりせずに、昔ながらのままでいいんじゃないかと思っています。変わらないものの魅力が、ここにはあると思っていますから。」実際に、子どもの頃にきてくれていた人が再来店することも多く、時には30年、40年ぶりに来店してくれる人もいるという。「昔、近所に住んでいた方が40年ぶりに来てくださって、『まだこの店があったなんて!』と喜んでくれたんです。その声を聞けた時は、この店をやっていて本当に良かったと思いましたね。」最近は、遠方から訪れる人や若いお客さんも増えているというが、それは昔ながらの味や店の姿を守り続けている白鳥の魅力に惹かれてのことなのだろう。「週末になると、若いお客さんがたくさんいらっしゃいます。きっかけは何であれ、古い洋菓子店や喫茶店の良さを見つけて来てくれるのは嬉しいことですね。今どきのハイセンスなカフェが増えている中で、また古いものをフォーカスしていただけるのは本当にありがたいことです。」先代が亡くなってからの数十年は、忠光さんと母の光江さん、奥さんの薫さんでお店を切り盛りしてきた。いつの時代も多くの人々に親しまれてきた白鳥だが、今のところ次の世代に継ぐ予定はないという。「僕自身、最初はこの店をやりたくて継いだわけではなかったからこそ、子どもたちには好きな道を歩んで欲しいと思っています。ただ、ここまで長く愛されてきたお店ですから、この店が長く続くように、僕自身はできるところまでやりたいと思っています。」いつか店を閉める日がくると分かっていながらも、先代から受け継いだ思いと味を守り続けるその静かな情熱が、この場所が時代を超えて支持され続ける理由なのだろう。だからこそ、今は変わらぬ味を楽しみ続けることが何よりも大切なのだと感じる。次に訪れるときは、自分へのご褒美として、あのスワンシューを迎えに行こうと思う。