「生まれたばかりの赤ちゃんから、101歳のおばあちゃんまで、本当に幅広い年代の方が来てくれています。みんなここで顔見知りとおしゃべりして帰るのが楽しみなんですよ、きっと」「ゆ~らんど」2代目オーナーの田中純一郎(たなか・じゅんいちろう)さんは、にっこり笑う。昨今のサウナブームとともに、若い世代を中心に銭湯に足を運ぶ人口は着実に増えたはずだ。でもそんなブームとは関係なく、まちの銭湯たちは昔からたしかにそこにあり、老若男女に等しく開かれてきた。このゆ~らんどもまた、昭和33年からこの土地に根付き、時代に合わせて形を変えながら地域の人たちの疲れを癒してきたサウナ付きの銭湯である。都営三田線の板橋駅から徒歩5分。東武東上線の下板橋からも徒歩7分程度で行けるビルの中に、ゆ~らんどはある。いわゆる銭湯のイメージとはだいぶ違うので、最初は驚くかもしれない。「ここだよね……?」と少し戸惑いながら階段を上り、自動ドアから中をのぞいてほっとした。ああ、ちゃんと昔懐かしい感じの銭湯だ。年季が入った、ご利益のありそうな招き猫がお出迎えしてくれる。たいてい15時頃にオープンする銭湯が多いところ、ゆ~らんどは13時半開店。かつては、ほかの銭湯と同じく15時開店だったが、コロナ禍をきっかけに早めたのだという。しかも夜1時まで営業していて、平日の23時から2時間は意外と混み合うらしい。この日、まだ開店前の浴場の中を、純一郎さんが特別に案内してくれた。コンパクトな浴場は、古さはありつつも清潔できれい。ジェットバス、バイブラ(底から細かい泡が湧き上がるお風呂)、水風呂、薬湯の岩風呂などがどどっと並ぶ。肩までつかれば、リフレッシュできそうだ。洗い場には、備え付けのリンスinシャンプーとボディソープがあるので、万が一お風呂セットを忘れても安心。サウナ室は、別途350円で入れる。定員は8名。二段式の遠赤外線ストーブタイプで、温度は85℃。水風呂は19℃とぬるすぎず、冷たすぎずのちょうどいい温度になっている。(女湯のサウナ室は故障で、数年前から休止中)ちなみに、サウナ以外に「森林浴ミスト風呂」というものもある。扉を開けると、壁や湯舟からミストが噴き出る仕様になっていて、ミストサウナのような空間になるという。行ったときは、ぜひ体験してみてほしい。このゆ~らんど、昭和33年に純一郎さんのご両親が開業した当初は、もともと「長寿湯」という名前だったらしい。なぜ銭湯を、しかも板橋で始めることになったのだろう? 「父はソビエトの方で抑留されていて、昭和23年に戦争から帰還しました。新潟の農家の次男坊だったので、石川出身の知り合いを頼って東京に出てきた先が、お風呂屋だったんですよね。ご存知かわからないけれど、風呂屋って新潟や富山、石川の北陸地区の出身の人が多いんですよ」知らなかった。調べてみたら、大学でもそういった研究が実際に行われ、本や資料にも記載されているらしい。純一郎さんのお父さん同様に、農家の次男以下は地縁・血縁を頼って都会に出て、銭湯業界に身を投じていった人が多いのだという。そうこうして、お風呂屋の修行を始めたお父さんは、最初北区の飛鳥山の方で、その次は王子で銭湯を一棟借りて、営業をしながら勉強した。ちなみに純一郎さんは飛鳥山の銭湯で、弟さんは王子の銭湯で生まれたのだという。兄弟そろって、生粋の“銭湯っ子”だ。「最終的に板橋に来たのは、たまたまちょうどいい物件が売りに出ていたからなんです。ここはもともと、今でいう破風造りの煙突がポンと立った、いわゆる銭湯という出立ちの物件で。この辺りは住宅地という感じではなかったので、風呂屋のニーズはあまりなかったみたい。そこをうちの父と母が買って、長寿湯を始めたんです」立地的にはやや不利だったが、ここで才覚を表したのが、純一郎さんのお母さんである。「母曰く、田舎の石川県では、この時期になると若い子たちが東京に出て仕事を探しているから、そういう子たちから人手を集めれば、今までにない銭湯ができるはずだと。当時はまだお風呂のある家が少なかったので、お子さんを連れて銭湯に来る人も多いわけですよね。そこで若いお姉さん方を雇って、代わりにお子さんをみたり、お風呂上りに着せ替えをしてあげたりするようなサービスを始めたらしいんですよ。その間、お母さんたちはゆっくりお風呂に入れるわけですよね。そうしたらいっぺんに話題になっちゃって、売上もかなり上がったみたいです」今でこそ、さまざまな施設に託児スペースができつつあるが、この時代にニーズを読んで実行していることがシンプルにすごい。「うちの母は先見の明があって、全部ズバリ当たっちゃったんですよ」と純一郎さん。一方、長男の純一郎さんは銭湯を継ぐ気はまったくなく、ホテル関係のお仕事を始めた。ホテルが経営するレストランを全国に展開していくための開発や営業などを担当し、調理をする人たちと関わることも多かったという。しかし、順調にキャリアを積み重ねていた20代後半、お父さんからのある連絡で純一郎さんは長寿湯に戻ることになる。「うちの父がね、煙突がだいぶ古くなってきていると。上の方が崩れて隣の病院にご迷惑をかけるといけないので、戻ってきて建て替えるのを手伝ってくれないかというんです。それを聞いて、さすがに近隣の方に迷惑がかかるのは申し訳ないからと、仕事を辞めて帰ってきたんですよ。そうしたら、煙突は全然壊れてなくて」「騙された」と笑う純一郎さん。ようするに、息子に継いでほしくて、お父さんなりに考えた口実だったらしい。大胆すぎるウソに、思わずこちらも笑ってしまう。その後家族で相談し、平成元年には実際に建て替えを実行。ここでもまた、お母さんの直感がさえわたった。「改装中で時間があるときに、母は趣味であちこち出かけていて。そのなかで、『ダンスやカラオケは今人気があるから、うちでもできるようにした方がいい』って言い出したんです。そこで、もともとは自宅にしようと思っていた2階の部分を急遽、カラオケやダンスができるホールにすることにしました」それが、今は休止中のコミュニティラウンジ「ゆ~モア」だ。ゆっくり休憩や食事ができるように生まれ変わったまちの銭湯は、ファミリーを中心に連日満杯の大盛況。官公庁の宴会場としても、かなり重宝されていたらしい。調理は、レストラン開発に携わっていた経験を活かして、純一郎さんが担当した。「といっても、前職時代に自分で調理場に立ったことは一度もないんです。でも、あらゆるジャンルの料理のつくり方を見てきましたし、わかるまでシェフに聞いて勉強させてもらっていたので、そこまで苦労はしませんでした。これも、母の勧めでしたね。『せっかくいろいろ勉強してきたんだから、それを活かして何かやりなさいよ』って」改めて、今は亡きお母さんの敏腕っぷりが伝わってくる。コロナ禍をきっかけに「ゆ〜モア」は休止したが、今でも営業再開を望む声は多い。こうして、ただお風呂に入ってさっぱりするだけでなく、ある種のコミュニティのような場になっていったゆ~らんど。事前に示し合わせているのかいないのか、ここで会った顔見知り同士で何気ない会話をしたり、お風呂上りに一緒にお酒を飲みに行ったりすることが楽しみになっているお年寄りも多いという。「そろそろ100歳になる方も、ほとんど毎日のように13時半の開店に合わせて来てくれるんですよ。うちは階段があるから申し訳ないんだけど、皆さん毎日頑張って杖をついて上がってきてくれて。『この階段が上がれなくなったら私はもう終わりだ』って言ってます(笑)」純一郎さん自身も、この銭湯の仕事を続けてきたことで生まれた出会いや、地域とのつながりがたくさんあると話す。たとえば、地下スペースのコインランドリーが24時間営業できるのも、目の前にある交番の方々がお友達で、仕事のついでに見守ってくれているから。この感じも、何だか昭和っぽくていい。また、地域のつながりで始めた「よさこい」は、今では純一郎さんの大事な趣味であり、生きがいになっている。「銭湯に遊びにきてくれた地域の仲間や先輩から、よさこいやってるから手伝えよって言われて。最初は全然興味がなかったんだけど、いろいろ首を突っ込んでみたらどっぷりハマっちゃったんですよ。それから、ここで出会う人を巻き込んでは、また仲間が増えて。ほら、銭湯って結構拘束時間が長いでしょ。だから、そういう余暇の時間もないとね」よさこいを続けて、もう15年になるそうだ。仲間の中には官公庁や警察、区議会議員などさまざまな人がいる。でも、銭湯という場で出会ったからこそ、そうした肩書を外したフラットな付き合いができるのかもしれない。まさに、裸の付き合い。この話をしているときの純一郎さんはかなり楽しそうで、仲間と踊っている時間が本当に好きなんだなあというのが伝わってくる。ちなみに、今は営業していない2階部分の片付けが終わったら、仲間と「ゆ~モア」で子ども食堂をやるという構想もあるらしい。「ただ闇雲に仕事していてもダメじゃないですか。やっぱり、人生には“あそび”がないと。そういう時間が結果的に、次のステップに繋がると私は思うんですよね。もちろん、私だけじゃなくてみんなにもそういう時間をつくってもらいたくて。妻も昔からの夢にチャレンジして、趣味を楽しんでいるんですよ」「勝手に言うと怒られるけど」と純一郎さんは笑った。夫婦そろって、いくつになっても自分の趣味ややりたいことを思いっきり楽しんでいるなんて、めちゃくちゃ素敵だ。ゆ~らんどでは現在、3代目として息子さんも運営に携わっている。後継者問題は今のところクリアしているとはいえ、燃料費・光熱費の高騰、施設の老朽化など、銭湯を取り巻く状況は厳しい。やむなく店を畳むところも多いと聞く。それでも純一郎さんが銭湯をつづけるのは、この場があったからこそ生まれた出会いと、いい意味で「仕事だけがすべてじゃない」と思える軽やかさがあるからなのだろう。歴史や働く人の営みを知った上で入るお風呂は、きっとより一層趣深い。焦げたサウナの壁も、ドリンクコーナーのにじんだ文字も、年季の入ったタレ目の招き猫も、なんだか愛おしく感じるのだった。