富士見街道沿いに佇む、クラシックな雰囲気の一軒家。大きくて立派な木々は森のように生い茂っている。壁にかけられた手書きのメニューの看板でかろうじてお店だとわかるが、ここだけ明らかに周りとは違う雰囲気を醸し出していて、不思議な気持ちになる。ここは、東武東上線 ときわ台駅から徒歩15分ほどの場所にある地中海料理のお店「カッチャトーレ」。以前、別のイタリアンを取材した際に、空間づくりの参考にした店舗として名前が挙がった、老舗のレストランだ。過去にはミシュランガイドにも掲載され、板橋エリアでは知る人ぞ知る名店らしい。入口には、古い黒電話が置かれた小さな部屋が。喫煙スペースかと思ったけれど、そういうわけでもなさそうだ。(何に使われているんだろう……)何だか違う世界に迷い込んだような気持ちになりながら、とりあえずほの暗い廊下を進んでいくと、オーナーの吉村崇志さんが「こんにちは!」と明るい声で出迎えてくれた。店内は、イギリスパブ風のおしゃれな空間。挨拶もそこそこに、まず目を奪われたのは立派なバーカウンターだ。すごい数のお酒たちを前に、しばし圧倒される。バーが併設されたレストランというのは聞いていたけれど、想像以上にしっかりとバーで驚いた。「うちは、1軒で2つのお店を楽しめるのが強みなんですよ」と吉村さん。たしかに、この一角だけで独立したひとつのお店みたいだ。決してバーに詳しいわけではないが、これだけ豊富な品揃えを見れば、ただのレストランのおまけではないことがよくわかる。通常のバーのように、カウンターでお酒だけを楽しむのもOK。吉村さんがバーテンダーとして、好みに合わせたお酒をつくってくれる。2時まで営業しているので、食事を済ませたあとに、一人で一杯飲んでいく人も多いのだという。「会食の後に、ちょっとゆっくり一人になりたいこともありますよね。自宅に帰るまでの、最後の給水ポイントみたいな感じです」。そしてバーカウンターの後方はレストランになっていて、キッチンとカウンター、そしてテーブル席が並ぶ。縦に長く、こぢんまりとしているが、一緒にご飯を食べに来た人と気軽に話せるほどよい距離感で、ちょうどいいかもしれない。野菜やお魚、お肉などを使った一品料理をはじめ、旬のパスタやピッツァなど、本格的なイタリアンがお手頃な価格で楽しめる。2名以上で注文できるディナーコースは、なんと3980円。(2024年12月時点)普段遣いはもちろんのこと、誕生日や記念日、両家の顔合わせなど、ちょっと特別な日にもよく利用されるらしい。創業は1967年。この物件はもともと、初代オーナー・菱沼さんの生家だったらしい。20歳のときに1階部分を改装し、「ピットイン」という名前のバル風のお店としてスタートした。「その2~3年後に『カッチャトーレ』に名前を変えて、イタリアンを中心にしたレストランとして始めたと聞いています。初代オーナーはヨーロッパの車や雑貨がすごく好きで、今店に飾ってあるものもオーナーが集めてきたコレクションがほとんどですね」そう話す吉村さん。勝手にオーナーのご家族かと思っていたが、「僕はもともとお客さんなんです」という答えが。常連さんからオーナーに。……そういう話はたまにテレビで見聞きする気もするけれど、本当にあるのかと驚いた。なぜ後を継ぐことになったのか。その経緯を聞くと、吉村さんはまずこのお店の歴史について話してくれた。「初代オーナーが40歳のときに亡くなってしまって、その後は弟さんがお店を運営していたんです。当時服飾系のお仕事をされていたんですが、生まれ育った家だし、残された従業員もいるからということで引き継いだそうで。その頃、僕はハタチで福岡から上京して、前野町に住み始めたんです。それでたまたまこのお店を知って以来、気に入って夜な夜な通うようになりました」役者を目指して上京したという吉村さん。20歳になったばかりの青年にとって、カッチャトーレの落ち着いた大人の雰囲気や、バーカウンターでいろいろな人と会話できる空間は魅力的だった。それから数年が経ち、20代半ばを過ぎた頃。2代目のオーナーから、社員として店を手伝ってくれないかと声がかかった。当時役者を目指しながら、池袋のバーで働いていた経験を見込まれてのことだった。「本当は独立するまでの間という話だったんですが、独立前にうちの店が50周年を迎えて。飲食店の50周年に携わる機会というのもなかなかないじゃないですか。それなら、ということでそのタイミングまで続けていたところ、周年記念を迎えたあとにオーナーが体調を崩してしまって。その後コロナ禍で亡くなってしまったんですが、ご家族には後を継げる人がいなかったんです。残したい気持ちはある、でもやれる人がいない。そのなかでご家族から、『やってくれないか』とお話をいただき、僕が引き継ぐことになりました」常連客から社員、そしてオーナーへ。しかし、時代はコロナ禍真っ只中。厳しい状況を受けて店を畳む飲食店も多いなか、事業継承するというのはなかなかハードな決断だ。しかも当時はまだ、あの日々がいつまで続くかもわからなかったのだから、なおさらのこと。それでも、吉村さんは覚悟を決めていた。「もちろん残してほしいっていう声も多かったですし、自分自身もずっと好きで、たくさんお世話になってきたお店ですからね。ここをなくしてしまうのはもったいないでしょ、という思いがありました」覚悟を決められたのは、常連として通った日々があったからこそなのかもしれない。それ以来、吉村さんは徹底してそれまでと“変えない”ことを意識してやってきた。お店のメニューも雰囲気も、料理の味も。「この店には親子3代で通ってくださっている方もいれば、お気に入りの料理があってそれを目当てに来てくださる方もいる。料理一つひとつに『これが好き』と言ってくださる方の顔が浮かんでしまうので、やっぱり変えられないんですよね。いつ来ても変わらない味と居心地のいい空間があって、安心して食事ができると思ってもらえることが大事なのかなと思って」テーブルに置かれたメニューを覗いてみると、筆跡の違うページがある。それは、先代のオーナーが書いたもの。記載されたメニューは一切なくすことなく、今も提供しつづけているのだ。「スタッフの人数に比べてメニューが多すぎるんです」という言葉のとおり、たしかにかなり種類が豊富。どれもおいしそうで迷ってしまうが、カッチャトーレの中でも歴史が古く、とくに人気の3品をつくってもらうことにした。シェフを務める小酒井さんは、先代オーナーの最後の弟子。大阪から上京し、知人の紹介でカッチャトーレに勤めてもう7年が経つ。大阪時代はやきとん屋さんで働いていたが、調理もほとんどしていなかったらしい。イタリアン未経験から見よう見まねで腕を磨き、今はほぼ一人で調理を担当。先代が残したレシピをもとに、変わらない味を再現しつづけている。ちなみに料理のベースとなるブイヨンは、カッチャトーレ独自の伝統的なレシピからできている。ブイヨンとは、牛骨や野菜から抽出した出汁のこと。カッチャトーレでは「コンソメ」、魚介の出汁である「フュメ・ド・ポワソン」、子牛の骨からとる「フォンドボー」を、丸2日以上かけてすべて自家製でつくっている。素材本来の自然な旨みからできた出汁は、料理に用いることで味に奥深さを与えてくれるのだという。エピソードを聞いている間に、とびきりおいしそうな料理たちが完成した。まずは、「馬車に乗ったモッツァレラチーズ」。メルヘンで可愛らしい名前だが、イタリアのナポリの郷土料理らしい。正式名称は「モッツァレラ・イン・カロッツァ」。「馬車=パン」を指し、本来はパンの上にチーズをのせて焼き上げるのだが、この店ではパンとパンの間にチーズを挟み込んで、サンドイッチ状にしている。一口食べると、口の中でパンとチーズがじゅわっと溶ける。やさしい口当たりで、ほっぺたまで溶けてしまいそうだ。常連さんはほぼ必ず注文する一品というのもうなずける。つづいて、「炙りフォアグラと焼きポルチーニのリゾット」。とにかく、旨味がすごい。噛めば噛むほど、フォアグラの濃厚な味わいとポルチーニの芳醇な香りを感じられる。そして、ソースもかなりおいしい。吉村さんから、「この3品のソースは全部バゲットに合う」と聞いていたのに、私はほとんどこのソースで食べきってしまった。恐るべき、バゲット泥棒。これは取材班でもとくに人気だった。そして、「渡りガニのトマトクリームのスパゲティーニ」。これはもう見た目からして間違いないのだけど、食べてさらに納得。渡りガニの旨味がたっぷり詰まった、濃厚なトマトクリームがたまらない。子どもから大人まで喜ぶ、幸せな味。そしてちょっと特別な気分にさせてくれる。お酒を飲みながらいろいろつまんだ後は、ぜひこれで締めてほしい。料理と同様、吉村さんが変わらずに大事にしているのは「楽しく過ごせる空間づくり」。ただ料理がおいしいだけでなく、時間を忘れて楽しんでもらうことを第一に考えた接客やサービスをしている。「僕にとっては、飲食もエンターテインメントなんです。カウンターやホールも、板付きの舞台のようなもの。だから、立ち姿や振る舞いひとつとっても、お客様に不快な気持ちにさせないように意識しています。たとえば、僕らにとってはいつもと変わらない日でも、いらっしゃるお客様にとっては年に一度の大切な記念日かもしれない。そう考えると、どんな日もいいかげんな振る舞いなんてできないですよね。だから、働く僕らは常にキャストであるという意識を崩さないようにしているんです」ショーとかマジックとか、何か特別なことをするわけではない。このプロ意識と細やかな心遣いこそが、店の世界観をつくり、コアなファンを増やし続けているのだろう。「ここに来れば間違いない」「楽しい時間が過ごせる」とわかっているお店が近くにあるのって、素直に羨ましいなあと思う。店内の梁や柱には、卒業したシェフやスタッフさんたちのサインが残され、お客さんが写った歴代のチェキたちの中には、結婚前の吉村さんとパートナーさんの写真も当時のまま飾られていた。上京し、このお店に通い始めた20歳の頃を考えれば、きっと想像もしていなかった未来に吉村さんはいる。飲食店のオーナーとして、自分らしさを表現したい気持ちがないわけではない。でもそれを叶えるのは、この店ではない。いつか別のところで実現できればいいと吉村さんは話す。「この店はやっぱり、変えずに守っていくことが一番大事ですから。今、同世代のお客さんたちに子どもが生まれたり、成長して小学生になったりしていて。その子たちが大人になって、お父さんお母さんとバーカウンターで肩を並べてお酒でも飲んでくれたら、こんなに楽しいことはないと思うんです。先代が見てきた景色を、僕も見ることが今の目標ですね」ここでプロポーズした人もいれば、毎年結婚記念日に来てくれる人もいる。お店を続けてきたからこそ見られた、幸せな瞬間がたくさんある。だから吉村さんは今日もスイッチを入れて、“舞台”に立ち続けるのだ。