平日の仕事終わり、友人との楽しいひととき、あるいはふと美味しいものが食べたくなった瞬間。そんなとき、気軽に立ち寄れる居心地の良い居酒屋があったら、どれだけうれしいだろう。夕暮れ時、ぽつりと灯る温かな灯り。その下には、常連客で賑わう居酒屋がある。都営三田線・志村坂上駅からわずか徒歩3分、静かな坂道を上がった先に佇む「坂の上の福」だ。このお店は、高島平に拠点を置く「株式会社テン・フードシステム」が運営する系列店のひとつ。とんかつ専門店「かつ圀屋」や魚料理の「銀だら屋」など、多彩な飲食店を展開してきた。その中でも、「坂の上の福」は、地域密着型の温かい雰囲気と美味しい料理で、訪れる人々を惹きつけている。現在このお店の舵をとるのは、功刀悠輝(くぬぎ ゆうき)さん。山梨県から上京し、板橋に住み始めて約10年、テン・フードシステムで働き始めて16年以上という経験豊富な店長だ。「店長として最初に現場に立ったのは20代半ばの頃でした。でも、その頃は右も左もわからず、何もできていなかったですね。でも、30代半ばになった今は、いろいろなお店を経験してきたことで、見える景色が変わってきました。」功刀さんはこれまで、テン・フードシステムが運営するすべての店舗で店長を務めてきた。時には複数の店舗を兼任しながら、それぞれの店を支える役割も担ってきた。しかし今回、久しぶりに1店舗専属の店長を任され、店舗運営に集中できる環境が整った。「専属で1店舗を見るのは本当に久しぶりなんです。これまでやってきた経験を活かして、自分なりに売上を伸ばす方法を試行錯誤できる環境が楽しいですね。まだ立て直しの途中ではあるんですが、日々やりがいを感じています。」功刀さんが坂の上の福の店長になった当初、店には前任者のカラーが色濃く残っていた。スタッフたちとの信頼関係を築きながら、自分らしい店づくりを模索する日々が続いたという。「最初は、前の店長のスタイルがスタッフの中にしっかり根付いていたので、新しい運営の方向性を定着させるまでには時間が必要でした。でも、スタッフ一人ひとりと丁寧に対話しながら、互いに理解を深めていくことで、自然と店全体の雰囲気や動きが自分らしいものへと変わっていったように思います。」功刀さんは、スタッフとのコミュニケーションを大切にしながらも、必要な場面では毅然とした態度で意見を伝えることを心がけた。「今の時代、強く言い過ぎるのは難しいですけど、だからといって何でもOKというわけにはいかない。そこはバランスを見ながらやってきました。アルバイト中心の現場なので、合わないと感じて辞めていく子もいましたけど、今でも一緒に頑張ってくれているスタッフたちに本当に感謝しています。」店舗の経営をしながらも、個々のケアを欠かさない。そんな功刀さんの細やかな心配りと地道な努力が、今の坂の上の福の温かい空気を作り出しているのだろう。坂の上の福には、若者から年配の方まで幅広い世代の常連客が足繁く通う。週末には家族連れの姿も多くみられ、アットホームな雰囲気が漂っている。しかし、功刀さんが店長としてこの場所にやってきた当初、まだ多くの常連客から「店長」として認識されていなかったという。「最初は、顔と名前を覚えてもらうために、お客さんと少しずつ話す時間を増やすことから始めましたね。」功刀さんは、地域の人々との良好な関係を築くためにさまざまな工夫を重ねた。そのひとつが、常連さんの顔や好みをいち早く覚えることだ。「このエリアならではだと思うんですが、本当に何度も来てくれる方が多いんです。特に平日の昼間は、いつも同じ方々がいらっしゃるので、座る場所も飲み物も覚えちゃってますね。スタッフにも、『常連さんの注文や座る場所を早めに覚えて』って伝えています。お客さんが席についたら、『いつものやつでいいですか?』って会話ができる方が、喜んでもらえるんです。」常連客の好みを覚え、さりげなく先回りしてサービスを展開する。そんな気配りが、訪れる人々にとって特別な安心感を生んでいるのだろう。坂の上の福の魅力は、その「親しみやすさ」にある。功刀さんは、常連客とのコミュニケーションで「適度な距離感」を大切にしていると教えてくれた。「うちの店では、変にかしこまった接客より、フランクな方が合ってるんです。挨拶も『いらっしゃいませ』じゃなくて、『こんにちは』とか『こんばんは』くらいの軽い感じでやるようにしています。お客さんも気軽に声をかけてくれるんですよね。」その結果、新しいスタッフが入ると、常連客から「この子新しく入ったの?」と話しかけられることも少なくない。その際には、元気な挨拶を欠かさず、常連客との信頼関係を築いていく。一方で、他のお客さんが入りづらくなるほど話し込んでしまう状況は避け、あくまでバランスを保つことを心がけている。「若いアルバイトの子が、常連さんとタメ口で話していたりするのも、ここでは自然なことなんですよね。笑 そういう空気感が常連さんには居心地よく映るのかなと。だからといって距離が近くなりすぎると逆効果になりかねないので、そこは注意していますね。」フランクで親しみやすい接客と、適度な距離感の絶妙なバランス。その調和が、多くの人に「また来たい」と思わせる理由のひとつなのだ。「やっぱり、お客さんに『居心地がいい』って思ってもらえるのが一番うれしいですね。そう感じてもらえるなら、こちらとしても本当にやりがいがあります。」店内を見渡せば、壁一面にずらりと並ぶメニューに目を奪われる。定番メニューから日替わりのおすすめまで、その数に圧倒されつつもワクワクする。ドリンクも豊富で、ビールやカクテル、日本酒、焼酎といったラインナップは、お酒を楽しみたい人にはたまらないだろう。この豊富さこそが、坂の上の福の魅力のひとつだ。「定番メニューは全店舗で足並みを揃えていますが、日替わりや壁に掲示しているメニューは、店舗ごとに自由度が高いんです」と功刀さんは言う。常にお客さんに楽しんでもらえるよう、各店舗で工夫を凝らしているのだという。「本日のオススメ」と記されたボードには、その日の在庫状況や仕入れ状況に応じて選ばれたメニューが並ぶ。功刀さん自身が、仕入れの段階で作りたいものを考えることも多いそう。基本的には5品を用意しているが、この日は新鮮な刺身が追加され、6品に。常連客の反応や日々の注文数を見ながら人気メニューを繰り返し取り入れるなど、細やかな工夫が光る。そんな多彩なメニューの中で、特に人気の一品が「キャベツの串揚げ」だ。食べたことある人はどれくらいいるのだろうか?私は初めてだった。一見シンプルだが、ひと口食べるとその奥深い味わいに驚かされる。シャキシャキのキャベツにサクサクの衣が絶妙にマッチし、オタフクソースとマヨネーズの味付けが広島風お好み焼きを彷彿とさせる。キャベツのみずみずしさと、食べ応えのあるボリューム感がたまらない。これは「テン・フードシステム」のすべての店舗で楽しめる定番メニューなので、訪れた際はぜひ一度試してみてほしい。次に紹介するのは、坂の上の福限定の「ホットトン」。豚バラを衣でカリッと揚げ、自家製の辛いタレで味付けされた一品だ。コチュジャンやおろし野菜などを使ったタレは、一から丁寧に仕込まれている。ひと口食べると、肉汁と衣の食感、辛さの効いたタレが見事に調和し、韓国料理を思わせるエキゾチックな風味が広がる。食べ応え抜群のこのメニューは、辛党にはぜひ試してもらいたい逸品だ。最後に紹介するのは「茄子の生姜焼き」。高温の油で素揚げされた茄子に、自家製の生姜風味のタレがたっぷり絡められ、仕上げにネギとかつお節がたっぷりとのっている。揚げ物や濃い味付けが多い居酒屋メニューの中で、この一皿は箸休めとしても最適だ。さっぱりしつつも満足感があり、食卓にやさしい和の風味を添えてくれる。坂の上の福では、調理と接客の両方をスタッフ全員で担当する。特に調理では、どのメニューでも一定のクオリティを保つことを徹底している。串焼きのようにタイマーで効率を図るものもあれば、炒め物やチャーハンのようにスキルを要するメニューは、アルバイトのスタッフに少しずつ教え、大丈夫と判断すれば任せているという。現場で学ぶと言う姿勢を大切にし、あえてマニュアル化はせず、実践を通じて技術を磨いていくスタイルだ。坂の上の福で店長を務めて約1年。功刀さんは、日々どんな思いでこの店を切り盛りしているのだろうか?「今は1店舗をしっかり任されているので、自由に運営できるのが楽しいです。スタッフと新しいドリンクを考えたり、『SNSを始めてみようか』なんて話し合ったり。やることは尽きないけど、それがやりがいに繋がっていると感じています。」功刀さんが目指すのは、すべてのお客さんにとって「心地よい場所」であり続けること。「常連さんももちろん大切ですが、どんなお客さんにもここに来て良かったと思ってもらえる空間を作りたいんです。地域の方々にとって親しみやすい、日常に溶け込むような場所になれたら嬉しいですね。」お店を営む中で、こんな嬉しい出来事も日々起きているという。「長くお店をやっていると、常連さんのお子さんがどんどん成長していく姿を見られるんです。最初は小さかった子が中学生になってたりして、時の流れを感じます。以前は別のお店に親子で来てくれていた方が、今はここに来てくれているんですが、その娘さんが随分大きくなっていて。それがまた会話のきっかけになるのも楽しいですね。」さらに、以前一緒に働いていたアルバイトスタッフが、卒業後も顔を出してくれることもあるのだそう。「一緒に働いた時間が楽しかったと思ってもらえていたら、本当に嬉しいですね。」お客さんやスタッフとのつながり。それはお店を越え、時を越えて続いていく。そしてその背景には、功刀さんとスタッフの思いやりがある。板橋という温かな土地柄も相まって、お店には心温まるエピソードが尽きない。そんな功刀さんが一番の喜びを感じる瞬間。それは、お客さんから直接「美味しい」と言ってもらえる時だと教えてくれた。特に、自分が考案したメニューが喜ばれると、「この仕事をやってて本当によかった」と感じるのだと。平日の仕事終わりや友人との楽しいひととき、あるいはふと美味しいものが食べたくなったとき、足を運びたくなる居酒屋がここ志村坂上にはある。美味しいごはんと居心地の良い店内、そして心のこもった接客に触れれば、きっとまた足を運びたくなるはずだ。坂道を上った先にある居心地の良い居酒屋。その扉の向こうでは、今日も新しい笑顔と絆が生まれていることだろう。