平日休日問わず、多くの人で賑わう大山。かつてこのまちには、たくさんの野良猫がいたらしい。今回は、そんな大山を自由気ままに歩く猫と、彼らと馴染みの深い“魚”をシンプルにそのまま店名に並べた、ある居酒屋を訪ねた。東武東上線 大山駅から徒歩2分。昭和を感じさせる木造の建物に、「魚猫(うおねこ)」と書かれた紺色の暖簾が目印だ。取材したときは、まだクリスマス前。赤と緑の浮かれた雰囲気を纏ったさまざまなタイプの猫たちがお出迎えしてくれた。この魚猫、じつは「やきとん ひなた」でおなじみの株式会社ひなたの系列店である。やきとんを中心に展開するなか、唯一の海鮮居酒屋として2013年にオープンした。「社長の辻は、以前はフグ料理屋で働いていて、独立して最初に立ち上げたのもフグ料理のお店でした。しかしそのお店は上手くいかず、再起をかけて挑戦したのがやきとんだったそうです。上板橋店からはじまった『やきとん ひなた』が無事軌道に乗ったのちに、やはり和食をやりたいという辻の思いから、この『魚猫』が生まれたと聞いています」そう語るのは、現在魚猫で店長を務める山崎竜也(やまざき・たつや)さんだ。もともと「やきとん ひなた」のお客さんだったが、ひょんなことから社長に誘われてひなたグループに入社し、もう11年目になる。縦に長い形のお店は、もともとラーメン屋さんだったのだそう。カウンター席を挟んで、入口と奥側にテーブル席が並ぶ。「メニューづくりなど系列店全体で共通する部分はありますが、魚猫はそのなかでも鮮魚や天ぷらをはじめとした、和洋中問わない料理を楽しめる唯一無二のお店だと思います。お客さんの中にはいまだに、ひなたグループとは知らなかったという方もいらっしゃいますね」じつは山崎さんはもともと、中華経験者でラーメン好き。そしてほかのスタッフたちも、有名店で経験を積んだベテランの板長や、和食一筋の職人、イタリアン経験のある料理人など、多様なスキルを持つ人が集まっている。そのため、海鮮居酒屋でありながら、和洋中を問わないスタッフの個性が光った創作メニューが豊富に揃う。たとえば、メニューの中にお刺身の盛り合わせや天ぷらと一緒に、某人気ラーメン店にインスパイアされた煮込みや、薄焼きのピザもある、といった具合に。「自分が食べたいもの、おいしいと思うものをつくってお客さんが喜んでくれたら、僕らとしても一番嬉しいんですよね。各々が個性を活かしてチャレンジできるこの店は、居酒屋の中でもだいぶ自由度が高いと思います」そんな山崎さんの言葉に期待を膨らませながら、さっそく自慢のメニューを2品出してもらうことになった。まずは、自慢のお魚から。豊洲で仕入れる魚の種類は、季節によってさまざま。魚屋さんからおすすめされた旬ものを積極的に取り入れる。時々、社長自らが市場で買い付けをして、お店に持ってきてくれることもあるのだという。「社長は『魚猫に持っていけばおいしくしてくれるだろう』って思っているんです(笑)。年末には、カニを買ってきてくれるんじゃないかって、スタッフみんなでそわそわしていますね」そうにこにこと話す山崎さんを見て、この会社はずいぶんとスタッフと社長の距離が近いんだなあ、とほっこり。そうこうしている間に、和食職人の麻生さんが捌いてくれたお刺身の盛り合わせが届いた。この「魚猫盛り」は、盛り合わせの中でも一番種類が多くて豪華なメニューだ。舟形の器に、きれいに盛られた新鮮なお刺身たち。取材班の間でも「わ~!」と歓声が上がった。この日のラインアップは、アジ、真鯛、カツオの土佐造り、〆鯖、サーモン、炙りサワラ、寒ブリ、真蛸。つやつや、きらきらのお刺身は、眺めているだけで幸せな気持ちになる。どれもほどよく脂がのっていて、味が濃くて、口に運ぶたびにうっとり。これは、お酒が進んでしまいそう……。ビールやハイボール、サワーなどもいいけれど、やっぱりお魚といえばおいしい日本酒を合わせたくなるところ。魚猫には、おいしい地酒もたくさん揃っている。日本酒の仕入れは、山崎さんの担当。「もともと日本酒が好きで、地元・埼玉の地酒をよく飲んでいましたが、本格的に勉強しはじめたのはこの会社に入ってからです。日本酒に詳しい同僚にいろいろ教えてもらったり、グルメ雑誌を見てちょっと背伸びして日本酒のおいしいお店に行ってみたりとか。『和食=日本酒』のイメージがありますが、お店によっては四川料理やカレーと日本酒を合わせるお店もあったりするんですよ。ワインに近いテイストの日本酒だったら、イタリアンにも合いますし。うちでは和洋中問わずに料理を提供しているので、それに合わせて日本酒も幅広く扱っています」名の知れた王道から、ちょっとマニアックなもの、“ジャケ飲み”したくなるラベルが可愛いものまでさまざま。常連さんを飽きさせないように、日本酒のメニューは定期的に入れ替えているという。「年上のお客様も多いですが、おすすめした日本酒を気に入って、そこから信用して2杯、3杯と頼んでいただけたときは、やっぱり嬉しいですね」つづいて登場したのは、なんと「サバカレー」。居酒屋さんのカレーと侮るなかれ。板長・大桃さんの秘伝のレシピでつくられたこの無水カレーは、17種類のスパイスを使った本格派。魚猫立ち上げの頃から変わらない味で、根強い人気メニューらしい。添えられたフランスパンにつけて食べてみると、複雑に重なり合うスパイスの深い味わいの中にサバの旨味をたしかに感じる。こんな本格的なスパイスカレーを食べられるとは思わなかった。カレーは二日酔い防止に効果があるともいうし、お酒をたらふく楽しんだあとの締めにもぴったりだ。おいしい料理とお酒、そしてほどよい距離感の気持ちのいい接客から、居酒屋が数多く集まる大山の中でも人気店として連日賑わう魚猫。10年来の常連さんもいれば、新規の若いカップルや女性の一人客もいる多様さが心地いい。2023年に迎えた10周年記念の際には、山崎さんの企画でオリジナルの魚猫Tシャツを作成。常連さんたちから大人気で、泣いて喜ぶ人もいたのだそう。また、取材中たびたび感じたのは、スタッフ同士の信頼関係の強さだ。社長を含めた仲間について語るとき、山崎さんはとてもいい顔をしている。「ちょっとクサいこと言っちゃいますけど、社長をはじめ、お世話になってきた先輩スタッフたち、誰か一人でも欠けていたら僕は店長にはなれていなかったと思います」そんな山崎さんの言葉からは、この会社に入社してからの歴史を感じる。ひなたグループのいくつかの店舗を経験してきた山崎さんだが、魚猫は入社直後に修行として働いていた期間があり、とくに思い入れのある店舗なんだそう。ちなみに、そのときお世話になったのが、今も板長を務める大桃さん。子どもの頃から料理が好きで、独学で学んできた山崎さんに、働きながら調理師免許をとるためのサポートをしてくれた恩人でもあるらしい。「僕にとっては、東京の親父だと思っています。年齢もちょうど自分の親と同じぐらい。この間も、ふたりで音楽のライブに行くくらい仲がよくて。じつは大桃さんは、もともと社長の辻が独立前に働いていたとらふぐ料理店で、マネージャーをやっていた人なんです。人情に厚くて、魚猫の立ち上げが決まったときも『辻が頑張るなら手伝うよ』と、ほかの店と掛け持ちをしながら板長としてずっと支えてくれているんですよね」この日、大桃さんはお休みで、直接お会いすることは叶わなかったが、代わりに山崎さんがふたりで行ったライブでのツーショット写真を見せてくれた。笑顔で写るふたりは、たしかにまるで親子のようだった。お店を愛し、仲間を愛する。そうしたスタッフの皆さんの深い愛情や信頼関係がお客さんにも伝播して、同じくらいお店を愛する根強いファンが生まれ続けているのかもしれない。こういうふらっといける気軽さと居心地の良さがありながら、ご飯がちゃんとおいしい居酒屋というのは、仕事終わりでクタクタなときや、気の置けない友人とお酒を楽しみたいときにすごくありがたい存在だなと思う。「軽く一杯」も「今日はとことん行きますか」もどちらもいける器の大きさに甘えて、ぜひ気の向くままにいろいろなシーンで使ってほしい。