昔ながらの魚屋さんと聞くと、店先で魚を買い、自宅で調理するイメージが浮かぶ。でも今、その魚屋さんが自ら作るお寿司や海鮮丼を曜日限定で提供するお店が板橋にあるらしい。それはもう、期待せずにはいられない。やってきたのは、東武東上線 ときわ台駅から徒歩5分ほどの場所にある「有限会社海老山・竹山魚店」。老舗と聞いていたが、その外観は予想外だった。レンガ造りの建物に、大きく金色の文字で書かれた店名が目を引く。昔ながらの風情を残しつつも、どこかモダンな印象だ。お店の前には、「本日の日替わりネタ!」と豪快に書かれた看板が。通りを行く人びとが、しばしば足を止めて見入っている。店内には、きらきらと輝く新鮮な魚がずらり。国産の生本マグロ、牡蠣、サーモンなど、そのままお刺身で食べられるものから、ヒラメ、カサゴ、ホウボウといった、普段の食卓にはなかなか並ばない魚まで、種類豊富に揃っている。「じつは、うちで取り扱っている魚は、すべて刺身で食べられるんです。お客さんから要望があれば、どの商品でも食べやすいようにその場で捌いています」そう語るのは、竹山魚店の三代目店主、河原貴之(かわはら たかゆき)さん。豊洲市場から厳選して仕入れた魚を、毎朝店頭に並べている。入れ替わり立ち代わりお客さんが訪れ、今日のおすすめを尋ねる活気にあふれる様子は、まるで市場の一角のようだ。そして、竹山魚店の名物といえば、ショーケースの真ん中に置かれているお寿司や海鮮丼。「水曜日と日曜日のランチタイムは海鮮丼、金曜日と土曜日は12時から18時まで握り寿司を販売しています。内容は日替わりですが、国産本マグロのトロと赤身、北海道産のウニといくらは、できるだけ入れるようにしています」豪華すぎる。さらに驚くべきはそのお値段。日替わり丼は小サイズなら980円、握り寿司は八貫で1,580円だ。「これでも、物価高を受けて泣く泣く値上げさせていただいたんです。お客さんには本当に美味しいものを、新鮮な状態で食べていただきたいので、品質だけはどうしても妥協したくなくて」と貴之さん。なんと、最初は「ワンコインで食べられる海鮮丼」をテーマに販売を始めたらしい。それから「もう少し大きいのが食べたい」「マグロをたくさん食べたい」といったお客さんの声をもとに、試行錯誤を重ねてきた。今は、「日替わり」「まぐろづくし」の2種類を、それぞれ海鮮丼と握り寿司で提供している。どんぶりからはみ出すほどネタがのり、ボリューム満点だ。もちろん、味も一級品。この日の日替わりネタは9種類。愛媛県産の本マグロがトロ・赤身・ネギトロ、ノルウェー産とろサーモン、炙りとろサーモン、北海道産のいくらとウニ、瀬戸内の赤えび、大阪のさより。どれも貴之さんが厳選したイチオシだ。ひとくち食べた瞬間、ネタの鮮度の良さと旨味に驚かされた。このクオリティの海鮮丼や寿司を手頃に味わえるとは......竹山魚店の実力、侮れない。ちなみに、その日のネタはお店のInstagramで配信していて、それを楽しみにしている常連さんも多いという。鮮魚店ではめずらしい、本格的な海鮮丼と寿司の提供。そのルーツは、竹山魚店の歴史と深く結びついている。創業80年の竹山魚店は、貴之さんの祖父・光造さんがこの地で創業した。「海老山」という名前は、江戸時代の地名と、河原になる前の江戸時代の苗字に由来する。三男坊の光造さんが本家から独立した際に、近所に竹の山があったことから、改めてここを「竹山魚店」と名付けたらしい。お店のあちこちにあしらわれているマークは、光造さんが作ったはんこのデザインだそう。竹の断面をモチーフにした枠の中に「光」の文字が絶妙に配置されている。そのデザインから、光造さんのセンスが伝わってくる。「2代目の父がこの建物の2階で、宴会場をやっていたんです。当時はまだ街にチェーン店の居酒屋さんなんかがない時代だったので、学校関係の集まりや法事などでよく使われていました。僕はその頃まだ小学生でしたが、その賑やかな雰囲気を今でもよく覚えています」子どもの頃から当たり前のようにお店を手伝っていたという貴之さん。料理に興味があり、調理の専門学校を卒業後はすぐにお店に入った。お父さんの背中を見て仕事を覚え、30代からは改めて本格的に調理の勉強に取り組んだという。「なんとなく、今までとは違う新しいことをやってみたかったんです。2階の宴会場は、特別な集まりで使われることが多いので、その代わりにもっとお客さんが気軽に食べられる、でもちゃんとした海鮮丼を提供したいと思い、10年ほど前からテイクアウトの海鮮丼と握り寿司の販売を始めました」貴之さんのアイデアは大当たり。「お魚屋さんの寿司・海鮮丼」はたちまち近所で評判となり、それを求めて多くの人が訪れるようになった。鮮魚店を営みながら、海鮮丼と握り寿司の製造、宴会場や仕出し料理の準備、近所の保育園でつかう給食用の魚の仕込みなど、忙しい日々が続いた。「海鮮丼の販売を始めてから、ありがたいことにテレビやメディアで取材していただく機会が増えました。ある日、『ここからここまで全部ください!』とお客さんに言われて、ショーケースの魚がすべて売り切れたことがあるんです。あれはちょっとびっくりしましたね」その後竹山魚店の名はさらに広まり、今では遠方からもその味を求めて多くの人が足を運んでいる。しかし、コロナの影響を受けて宴会場はやむを得ず閉鎖。テイクアウト販売は続けつつ、貴之さんはいつか自分の料理を店内で味わってもらえる日を夢見ている。「やっぱり、また店内で飲食できるようにしたいという気持ちはあります。テイクアウト販売だと、お客さんの反応がわからないじゃないですか。美味しいものや鮮度が命のものは、できればその場で食べてもらいたいんですよね」魚を売るだけではなく、美味しい料理を目の前で楽しんでもらうこと。「美味しかった」という言葉ももちろんだが、その場でお客さんの表情が変わる瞬間を見るのが、貴之さんにとってはなにより嬉しいのだ。貴之さんは根っからの料理人なんだなあと思った。その時、店内に「ただいまー!」と元気な声が響いた。小学校から帰ってきた、貴之さんの長女、光菜多(ひなた)ちゃんだ。これから遊びに行くのだろうか、光菜多ちゃんがランドセルを片付けている間、貴之さんは一緒に来ていたお友達に「今日は何するの?」と笑顔で話しかけている。そのやり取りを見て、「ああ、なんか良いな」と思った。板橋の商店街には、街のみんなで子どもたちを見守る、そんな文化が今も受け継がれている。「昔からこの商店街では挨拶を交わす文化があって、子どもたちの顔をみんなが自然と覚えているんですよね。うちの子たちは、近所のお花屋さんからお年玉をもらったこともあって。ここで生まれ育った身としては割と自然な光景ではあるのですが、人に話すと『下町の風情がある板橋ならではだね』と言われます」ちなみに貴之さんには今、光菜多ちゃんを含め3人のお子さんがいる。「長女はイマドキで、将来はネイリストになりたいらしいんですよ。下の2人は、今のところ魚屋さんになりたいと言っていますね」そう語る貴之さんの表情は、お父さんらしく優しくほころんでいる。子どもたちには、それぞれ家族の名前から一文字をとるなどして、みんなのつながりを感じられる名前をつけたそう。長女の光菜多ちゃんは、初代の光造さんの「光」をもらっている。河原家の温かさは、お店の雰囲気にも自然に表れている。先代のお父さんが引退した今、お店は貴之さんの母のひろ子さん、妻の楓さん、姉のみちるさんの、家族4人で切り盛りしている。みんな明るくて、ちゃきちゃきとした人柄だ。買い物を済ませたお客さんが笑顔で帰っていくのも、この家族のエネルギーをおすそ分けしてもらっているのかもしれない。「商品の品揃えはもちろん、『また来たいな』と思ってもらえる接客を家族みんなで大切にしています。近所の人たちと自然にお付き合いするような形で、まちのみんなのつながりを守っていきたいと思いますね」夕飯時の竹山魚店には、今日もたくさんの人が訪れる。一人暮らしの若者から、常連のお母さん、海鮮丼をきっかけにここの魚にハマったサラリーマンまで、世代も性別もばらばらだ。「今日は冷えますね」「この前のヒラメ、うまく料理できましたか?」そんな何気ないやり取りが自然と交わされるたび、店内はどこか温かい空気に包まれていく。帰り際、貴之さんの姉のみちるさんから「また遊びに来てね」と声をかけられ、改めて居心地の良さを感じた。きっと、この安心感は貴之さんとご家族の人柄がつくり出しているのだろう。竹山魚店は、ただ魚を買うだけの場所ではない。人々が集い、言葉を交わし、心がほどけるような場所だ。まさに「遊びに来る」ような感覚で、ふらっと立ち寄りたくなる。こんど来るときは、まだ扱ったことのない魚の調理方法を聞いてみよう。そして、練習した料理の感想をまた報告しにいくんだ。そんなことを考えながら、夕暮れのときわ台を後にした。