丁寧に育てられた野菜に、フェアトレードのチョコレート。手作りの雑貨に、体にやさしいごはん。そんな“いいもの”たちがぎゅっと詰まったお店が板橋にあると聞いて、やってきた。場所は、板橋区と北区の境目に近い板橋2丁目。住宅街の一角にひっそりと佇む「下町のハチドリshop&cafe」だ。「いらっしゃいませ」という明るい声と笑顔で迎えてくれたのは、オーナーの藤巻佐和子さんと、妹の佑季子さん。店内には、丁寧に育てられた野菜やオーガニック食品、ハンドメイド雑貨などがずらりと並んでいる。食料品やカフェメニューには、できるだけ無添加のものを選び、生産者の顔が見えるような、信頼できるものだけをセレクトしているという。たとえば野菜ひとつにも、「どの県で、誰が育てたのか」がすぐにわかるシールが貼られている。フェアトレードのチョコレートや紅茶、作家さんが手がけたアクセサリーなど、見ているだけで楽しく、つい長居してしまいそうな空間だ。取材中も、次々と常連さんが訪れては、いつものように買い物を楽しみながら、藤巻さんや佑季子さんと楽しげに言葉を交わしていく。「子どもがハチドリに行きたいって言うんです」と笑うお母さんや、「何か新しいもの入った?」と嬉しそうに聞くお客さん。誰もが、それぞれの楽しみ方で時間を過ごしている。まもなく創業3周年を迎える「下町のハチドリ」。オーナーの藤巻さんがこの場所を開くまでには、いくつもの転機があった。新卒で調剤薬局に入社し、その後も医療業界で働いていた藤巻さん。「将来の選択肢を広げたい」と輸入商社へ転職するも、仕事のストレスが重なるうちに少しずつ体調にも影響が出はじめ、1年ほどで限界を迎えることに。 「1年ちょっと経った頃に大きく体調を崩してしまって。途中で動けなくなることもあり、1ヶ月お休みをもらったりしながら細々と続けていたんですが、最終的には退職することになりました。たしか、28歳くらいだったと思います。」そんなときに出会ったのが、板橋駅東口近くにある「ギャラリーArtco」だった。「家からすごく近くて、そこでよく作家さんたちが企画展を開いたり、かわいいポップアップショップをやっていたんです。昔からよく通っていましたね。」そんな日々のなか、渋谷ヒカリエで行われていたチョコレート催事に立ち寄った際、大学時代にインターンをしていたフェアトレード会社の社長と偶然再会する。そこで「明日から手伝ってみない?」という誘いを受けた藤巻さんは、久しぶりに“好きなものに囲まれる仕事”を体験することになる。「自分がいいなと思うものを人にすすめるのって、やっぱり楽しい。」そんな実感が芽生えた頃、ギャラリーで出会った作家さんたちがかけてくれた「佐和子ちゃんもやりなよ」のひと言が、背中を押してくれた。「別にすごくお金をかけないとできないことじゃないし、1週間数万円くらいで借りられるなら、赤字が出たとしてもその程度。だったら、ちょっと何かやってみようかなと思ったんです。」そんな気持ちで始めたポップアップショップは、少しずつ形を変えながら、現在のお店へとつながっていく。もともとは1週間単位の企画展として開催していたが、2020年に最初の緊急事態宣言が出たことで、予定していた展示が中止になった。「もちろんしょうがないとは思うんですけど、その流れにただ従うのが、すごく悔しくて。」そこで藤巻さんは、思い切って展示期間を1ヶ月に延長する決断をする。「経費は4倍。最初は大丈夫かなって不安もありました。でも、いざお店を開けてみたら、お客さんもゆっくり来れるし、私自身も落ち着いて営業できるようになったんです。」 イベントから営業へと感覚が変わったことで、店を持つというイメージが現実味を帯びはじめたという。「一度きりじゃなくて、『また来たよ』って、毎週通ってくれる人がいる。気になったものがあれば、何度でも足を運んでくれる。そんな関係性が、すごくうれしかったんですよね。」とはいえ、いざ店を持とうとしても、パンデミック下での物件探しは簡単ではなかった。そんなとき、「うちの1階、どう?」と声をかけてくれたのが、常連でもあった今の大家さんだった。そこは、かつて大家さんのお母様がカラオケスナックやブティック、化粧品販売などを営んでいた場所。いくつものお店を、この一角で同時に切り盛りしていたという。「このあたり、昔は商和通り商店街としてすごく賑わっていたんですって。パン屋さんや肉屋さん、飲食店など、なんでも揃っている場所だったみたいなんです。」今では店の数も減ったが、当時を知る人にとっては懐かしい思い出の詰まった場所だ。そんな空間も、やがて物置として使われるように。大家さんにとっても思い出深い場所だっただけに、気がつけば25年もの月日が経っていた。天井まで荷物がぎっしり詰まった店内を最初に見たときは裏口からだったため、全貌もわからなかったそうだ。それでも大家さんは、「佐和子ちゃんが借りてくれるなら、私も頑張って片付けるよ」と、背中を押してくれた。「この状況でやらなかったら、たぶん一生お店はやらないだろうなって思ったんです。お互いにとって信頼できる相手だったからこそ、不安の多い時期でも始める決心がついたんだと思います。」こうして、下町のハチドリは、この町で店を開いた。店名の「下町のハチドリ」には、藤巻さんの原点と、大切にしてきた想いが込められている。そのルーツは、大学時代に出会った一軒のカフェ、「北のハチドリ」にある。「大学3年生のときに、たまたま見つけたんです。『かわいい!』って直感的に思って。今振り返っても、あの場所が自分にとっての原点だったなと思います。」そこで初めて、フェアトレードやオーガニックという言葉に出会った。そして、誰かと約束していたわけでもないのに、たまたま居合わせた人たちが自然と会話をはじめる空間にも惹かれていった。気づけば、卒業研究ではそのカフェを1年間フィールドワークするほど夢中になっていた。もうひとつ、店名には「ハチドリのひとしずく」という物語への共感も込められている。山火事の中、小さなハチドリが水を一滴ずつ運ぶ姿に、他の動物たちが「そんなことして意味あるの?」と問うと、ハチドリはこう答える——「私は、私にできることをしているだけ」。大きなことはできなくても、自分にできることを目の前で少しずつ重ねていく。そんな姿勢に、藤巻さんは強く心を動かされた。原風景として心に残っている「北のハチドリ」と、共感した「ひとしずく」の物語。そのふたつの記憶と想いが重なり、店の名前は「下町のハチドリ」になった。「下町」という言葉にも、藤巻さんなりの思いがある。「下町と言うと、一般的には葛飾区や台東区を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、私にとっての下町は、暮らしがちゃんとある場所。この辺りの、個人店がぽつぽつと並ぶ商店街や、のんびりとした空気感がとても好きなんです。」そんな、暮らしのにおいのする町に根ざしているからこそ、下町のハチドリはただのセレクトショップやカフェではなく、訪れる人の心にそっと灯りをともすような場所になっているのかもしれない。店内では、オーガニック食品や雑貨の販売に加えて、足ツボをはじめとするセッションやワークショップも行っている。そのきっかけには、藤巻さん自身の体験がある。「子どもの頃からアトピーに悩んでいて、ずっとステロイドを使っていたんですけど、だんだん効かなくなってきて…。『これを一生続けるのかな』って、怖くなった時期がありました。」そんなとき、ポップアップを通じて出会った足ツボの先生に導かれ、通い始めることに。すると、わずか3ヶ月ほどでアトピーの症状が大きく改善されたという。 「すごく心配性で、いつも『迷惑をかけないように』って気を張っていたんです。でも、気づけば『嫌なことは嫌』って言えるようになっていて、自分の気持ちにも素直になれていました。」体だけでなく、心にも働きかけてくれた足ツボは、今では藤巻さんにとって欠かせないセルフケアのひとつに。同じように悩みを抱える人の助けになればという思いから、店の一角で足ツボのセッションを提供するようになった。肩こりや腰痛、五十肩などで訪れる人も多く、「腕が上がるようになった」といった声が寄せられることも少なくない。店の奥には、食事を楽しめるカフェスペースがある。食に対する考え方も、藤巻さん自身の経験を通して、少しずつ育まれてきたものがあるという。「元々、手づくりのアクセサリーや雑貨が好きで、そういった作り手さんとのつながりから、食べものにも同じように、作っている人の顔が見えるものを意識するようになっていきました。」体調を崩した経験も、食の選び方を見つめ直すきっかけになったという。「食べるものを変えたら、少しずつ調子が良くなっていったんです。すると、『自分が口に入れたくないものを人に売るのはちょっとしんどいな』と思うようになったんです。」店のメニューが菜食中心になったのも、当時の状況から。お店で提供するメニューは、藤巻さんの実感と、無理のない等身大の判断から生まれている。 「一時期菜食だったこともあって、自然と動物性の食材は使わない方向にしました。でも、菜食カフェと打ち出したことはないんです。あくまで、今の自分が心からおすすめしたいと思えるものを提供しているだけです。」ランチメニューは、もともと「自分のまかないを常連さんにおすそわけする」くらいの気軽なスタートだったが、今では店の看板メニューのひとつに。この日提供していたのは、ポタージュのようにやさしい口当たりのスパイスカレー。自然農法で育てられた玄米と黒米をベースに、店内で販売している野菜や調味料を使ったデリが彩りよく添えられている。一皿の中に、「体にやさしく、美味しいものを届けたい」と言う藤巻さんの思いが、ぎゅっと詰まっている。「調理や仕入れの管理も含めて、当時の自分にできる範囲でやろうと思ったら、自然と野菜中心になったんです。最近は平飼い卵を使った茹で卵も提供していますし、今後は信頼できるお肉も使ってみたいと考えています。」こだわりはある。でも、それはあくまで「今の自分にとっての正解であり、絶対ではない」と藤巻さんは言う。「今はいいと思って出してるものも、知識がアップデートされたら、わりとすぐ変えちゃいます」という柔軟さが、肩肘張らない店の雰囲気にもつながっているのだろう。「これが一番とか、これが正しいとは思っていなくて。世の中に山ほどある選択肢の中から、ほんの少しだけど、今の自分がいいなと思えるものを選んで置いている。ただそれだけです。」店の人気メニューのひとつ、「高活性コンブチャ」も、思いがけない出会いから生まれた。「今の店を始める前、スパイスのワークショップをやっていたときに、たまたまギャラリーの前を通りがかった方が立ち止まってくれて。声をかけてお店に入ってもらったら、その方が『発酵飲料のコンブチャを教えています』と話してくれて。自宅で試飲させてもらったらとっても美味しくて、すぐに自宅で仕込みを始めました。」最初は、手間がかかるコンブチャをお店で提供することに難しさを感じていたものの、日々飲み続けるうちに、自然と「お客さんにも出してみよう」という気持ちに変わっていった。「自分が飲みたいし、お客さんにもよく『これ何?』って聞かれるようになって。だったら、ちゃんとお出ししようと思って、提供を始めました。」現在は、紅茶・緑茶をベースにした定番のコンブチャに加え、季節限定のフレーバーも提供。以前好評だった「サングリア風」のコンブチャの提供は終了しているが、その時々で旬の味わいが楽しめるのも魅力だ。こんな風に、下町のハチドリでは、藤巻さんの「好き」や「気になる」が、誰かとの出会いや会話をきっかけに商品やサービスとして形になることが少なくない。大学時代からの出会いを通じて選ばれてきたものが並ぶ店内は、まさに藤巻さんの人生の集大成のような場所だ。「ここは、自分ひとりじゃ絶対にできなかったお店です。他の人とのコラボレーションによってできあがってると、心から思います。」最後に、将来の展望を尋ねてみると、藤巻さんは少し笑ってこう答えてくれた。「展望って特にないんです。そのときどきに「素敵だな」、「好きだな」と思ったものを、ここに来てくれる人たちと一緒に楽しめる場所であれば、それでいいと思っています。誰かを家に招いているような気持ちというか、みんなが自分の“好き”を素直に言っても許されるような、そんな場であり続けられたらと思っています。」藤巻さんと、来てくれる人と、作り手と。みんなのコラボレーションが、ゆるやかに続いていく場所。暮らしのにおいが残るこの町で、自分にできるひとしずくを丁寧に積み重ねながら、今日も元気にお店を開いている。