北陸を旅すると必ず記憶に残るのが、海の幸と日本酒だ。港町ならではの新鮮な魚介に、地元の酒蔵で造られた旨口の一杯。そのどれもが、ほかでは味わえない唯一無二の美味しさを持っている。「あんなに美味しい料理を、東京でも食べられたら…」そう思っていたある日、偶然にも、板橋でぴったりのお店に出会ってしまった。大山駅から徒歩5分。商店街を抜けた先に、ふっとあらわれる一軒の居酒屋、「千代鶴」だ。金沢おでんをはじめ、都内ではなかなか手に入りにくい北陸の地酒がそろっている。しかも、下町らしいあたたかさに包まれながら、夕方から一杯やれるとなれば、これはもう、のぞかずにはいられない。中に入ると、ふわりとたちのぼる金沢おでんの湯気に包まれ、店内には都内ではなかなか見かけない地酒や北陸の味がずらりと並んでいる。いか黒造り、能登なまこ、きびなごの唐揚げ…はじめて出会うラインナップに、思わず胸が高鳴る。オーナーの有澤弘文さんは、北陸出身。東京にやってきたのは30年以上前のこと。大学時代、居酒屋などでアルバイトをするうちに、自然と飲食の世界へ足を踏み入れたのだという。卒業後は、新宿に自分の店を構え、試行錯誤しながら飲食業を続けてきた。新宿の店舗は現在も営業を続けており、オープンから23年が経つ。「お客さんから、たまに『20年ぶりに来ました』って言われることもあるんですよ。その人たちの思い出に残っているんだと思うと、お店をやっていてよかったなと思います。」そして2019年、有澤さんが新たなチャレンジとしてオープンさせたのが、ここ「千代鶴」だ。「もう1店舗やりたいと、ずっと思っていたんです。新宿では九州料理を出しているんですが、千代鶴では北陸の料理を出していこうと最初から決めていました。」さらに、店名にも不思議な縁があった。「最初は、テレビで見た刀鍛冶(刀を作る職人)の話に『千代鶴』という名前が出てきて、響きがいいなと思って店の名前にしたんです。でもあとから、富山に『千代鶴』という日本酒の蔵があると知って。まったくの偶然だったんですけど、不思議とご縁を感じましたね。」「故郷である北陸の味を、東京で届けたい。」そんな思いから、有澤さんが千代鶴の看板メニューに選んだのが「金沢おでん」だった。まだ東京ではなじみのなかったこのおでんを、地元そのままのスタイルで出すことにこだわったという。金沢おでんは、石川県金沢市を代表する郷土料理のひとつ。地元金沢の食材を使っていることが特徴で、味わいはお店や地域によって異なるのだとか。「金沢おでんの具材は、魚介が多いんですよ。つぶ貝やハマグリ、赤巻きのかまぼこなど、北陸らしい具材が入っているのが特徴ですね。馬肉のおでんなんかもあるんですよ。」さらに季節限定で、11月から12月にしか獲れない「香箱ガニ(ズワイガニのメス)」も登場することがあるという。その贅沢な味わいを目当てに、遠方から足を運ぶ人も多いそうだ。出汁にも、北陸らしいひと工夫がある。「うちは金沢の大野醤油っていう、魚を使った醤油を使ってるんです。秋田でいう『しょっつる(秋田県を代表する伝統的な魚醤)』みたいなもので、ナンプラーも同じ仲間ですね。これを加えると、魚介の風味がぐっと引き立つんです。」昆布や鰹節、煮干しで取った出汁に、その大野醤油をひとさじ。ふわりと漂う海の香りに包まれながら、ほくほくに煮込まれたおでんを口に運ぶと、あっさりとしながらも、出汁の旨みがしっかりと染みわたってくる。普段は見かけない具材に、「こんなおでんもあるのか」と、驚きと発見があるのも金沢おでんの魅力のひとつだ。千代鶴の魅力は、金沢おでんだけじゃない。そのほかの料理にも、北陸ならではの美味しさがぎゅっと詰まっている。この日いただいたのは、能登の幻と呼ばれるがす海老の刺身、能登なまこ酢、そして富山名物のいか黒造り(イカ墨入りの塩辛)。どれも都内ではなかなか出会えない、北陸の奥深い味覚ばかりだ。がす海老は、ねっとりと甘く、それでいて臭みがまったくない。見た目は小ぶりながら、その旨みは「甘海老以上」とも言われるほど。ひと口食べれば、その理由にすぐ納得するほどの逸品だ。能登なまこ酢は、コリッとした食感とやさしい酸味が印象的で、お酒が欲しくなる一皿。いか黒造りは、その名のとおり真っ黒な見た目をしている。富山ならではのイカ墨を使った塩辛で、見た目のインパクトとは裏腹に、塩気は控えめ。深みのある味わいが、じわりとあとを引く。千代鶴では、料理に使う食材はもちろん、金沢おでんに欠かせないかまぼこや車麩、すり身団子といった具材の多くを、北陸の各地から取り寄せているという。それらはすべて、有澤さんが地元で育んできた縁を通じて届けられるものばかり。出汁はもちろん、具材の一つひとつに本場が宿っている。その丁寧さこそが、千代鶴の魅力なのだろう。こうなると、やっぱりお酒も欲しくなる。千代鶴のもうひとつの魅力が、日本酒のセレクト。しかもそのラインナップは、富山・石川・福井の北陸3県に完全特化している。「北陸のお酒って、本当に美味しいんです。福井も、石川も、富山も、それぞれ個性があって。コロナ禍をきっかけに、思い切って全部北陸に絞ったんですよ。」店内の棚には、滅多にお目にかかれないような銘柄もずらりと並ぶ。「たとえば『勝駒(かちこま)』なんかは、あまり聞いたことないと思うんですけど、日本酒好きの人にはすごく知られてるんですよ。『ここで飲めるんだ』って言って来てくれる人も多いです。」北陸出身である有澤さんならではの人脈と情報網で集められた銘酒たちが、料理の味を一層引き立ててくれる。北陸の食材と酒を通じて、「ここでしか味わえないもの」を追求し続ける千代鶴。では、なぜ大山という地を選んだのだろう?その背景を尋ねると、有澤さんから返ってきたのは、少し意外な答えだった。「特に理由はないんですよ。物件の形で選びました。当時は大山のことも全然知らなかったですね。店を作っていくうちに、自然とこの町になじんでいったと言う感じです。」偶然に始まった大山との関係。けれど後になって、思わぬ縁があることが分かった。「板橋のこの辺りって、江戸時代に加賀藩の大名行列の中継地だったらしくて。僕の出身地である石川県とのつながりが昔からあったみたいなんです。だから、大山には今も石川県民会館があるんです。これはラッキーだなと思いましたね。」調べてみると、確かにこの地域には加賀藩との深いつながりが残っている。江戸時代には、中山道の宿場町「板橋宿」や加賀藩の下屋敷が置かれ、今も落ち着いた雰囲気の町並みが息づいている。そんな歴史ある町に、北陸の味を届ける店を構えたことで、石川県出身の人たちが自然と集まってくるようになった。「地元のおっちゃんたちが、ふらっと立ち寄ってくれるんですよ。偶然なんですけど、不思議と縁を感じますよね。」そして千代鶴は、テレビなどのメディアでも取り上げられるようになり、少しずつ知名度を上げていく。中でも、2020年1月にTBSの情報番組「Nスタ」でおでん特集として紹介されたときの反響は、大きな転機になった。「放送中から電話が鳴りっぱなしでした(笑)。予約も一気に増えて、千葉とか八王子とか、遠くから来てくれる人もいたんですよ。」手応えを感じ始めた矢先、まさかの試練が訪れる。放送直後は、一ヶ月先まで予約が埋まり、「これはいける」と手応えを感じていた。しかしその矢先、コロナ禍が直撃。すでに入っていた予約は、すべてキャンセルに。オープンから1年——「ここからだ」と思っていたタイミングでの、思いもよらないブレーキだった。「最初は、常連さんも含めて年配の方が多かったんです。でも、コロナを境に少しずつ変わっていきました。営業の仕方を見直したり、細かい工夫を重ねたりしながら続けていくうちに、気づけば家族連れや若い方も増えてきたんです。今では、幅広い世代の方が来てくださるようになりましたね。いろいろありましたけど、なんとかやってこれたという感じです。」落ち着いた口調でそう語る有澤さんの言葉からは、変化を受け入れながらも丁寧に店を続けてきた、ある種の覚悟のようなものが伝わってきた。決して派手な宣伝をするのではなく、できることを、できる範囲で。北陸の味を信じ、丁寧に届け続けてきたことが、いつの間にか人を呼び寄せる力になっていたのだろう。そんな有澤さんの姿勢は、能登半島地震の後にも表れていた。「被災した酒蔵さんの中にも、お付き合いがあったところがあるんです。だからこれからも、応援の意味を込めて、これまで以上に北陸の地酒を紹介していきたいと思っています。」北陸出身ということもあり、これまでも数多くの地酒を揃えてきた有澤さん。お酒の向こう側にある、土地や作り手への想いを忘れず、静かに向き合い続けてきた。その誠実な姿勢は、落ち着いた店内の空気や、どこかほっとするような接客の一つひとつからも伝わってくる。「また来たい」と思わせてくれる居心地の良さは、きっとそんな日々の積み重ねがつくり出しているのだろう。最後に今後の展望をたずねると、有澤さんは少し間を置いて、こんなふうに語ってくれた。「ここでやらせてもらっている以上、ちゃんとあり続けたいんですよね。『あそこに行けば北陸の美味しいものが食べられる』って、自然に思ってもらえるような店でありたいなと。」地道に、美味しいものを丁寧に届け続けること。その積み重ねが、いつしか誰かの記憶に残る場所になっていく——新宿で20年以上店を守り続けてきた有澤さんだからこそ、「続ける」ことの意味を深く知っているのだろう。「ふとしたときに、『そういえばこの辺に、金沢おでんのお店があったな』って思い出してもらえるような、そんな存在になれたらうれしいですね。」地域に根ざしながら、北陸の味を伝え続ける。千代鶴はきっとこれからも、大山の片隅で、そんなふうに日々の暮らしに寄り添いながら、変わらずそこにあり続けてくれるはずだ。