大山に、真っ赤なモヒカンの男がいる。彼の名はにーくん。お笑いコンビ「スーパー弾力素材」としても活動する芸人だ。ブラックのレザージャケットに、緑のジャージ。そんなパンクな装いで現れた彼のインパクトに圧倒される――が、そんなにーくんは、ここ「板橋シアター 咲(さき)」を、たったひとりで運営している。さらに、若手芸人たちによるお笑いライブを、自ら企画・主催しているという。2023年にオープンしたこの小劇場は、板橋区で唯一、本格的なお笑いライブが楽しめる場所。お笑いだけでなく、演劇や音楽ライブなど、レンタルスペースとしても幅広く活用されている。地下にあるこの劇場は、赤と青の提灯に照らされて、どこか怪しげ。でも、なんだかワクワクする。こぢんまりとしていながらも、最大で40席まで収容できるらしい。「毎週水・木曜日に『板橋昼寄席』というお笑いライブを1日4回ほど開催しています。遊座大山商店街を中心に、ライブ前には芸人たちが呼び込みをしたりして。主に地元の方々が、ふらっと立ち寄ってくれることが多いですね」予約は不要。1演目500円で観られる気軽さも魅力だ。いわゆる“地下の劇場”と聞くと、お笑いマニアが夜な夜な通うディープなイメージがあるが、「板橋シアター 咲」にはお笑いファンはもちろん、地元のお年寄りや、学校帰りの中学生まで、さまざまな人が訪れるという。「普通、お笑いライブって時間が遅くなるほどお客さんが増えるんですけど、うちはむしろ初回の13時が一番人が多いんです。お年寄りの方なんかは『ここの階段を昇り降りするのがリハビリになる』なんて言って、毎週通ってくださってます」1回の公演はだいたい1時間ほど。出演する芸人は日によって変わるが、にーくん自身も毎回ネタを更新して舞台に立っているそう(すごい)。この劇場に通うことが日課になっている人。ちょっとした空き時間にふらっと立ち寄る人。さまざまな客層が、この舞台を楽しみにしている。客席と舞台の距離は、わずか数メートル。その近さもあってか、出演する芸人とお客さんのあいだには、ここならではの距離感があるようだ。「商店街で呼び込みしてると、街のみんなが声をかけてくれるんですよ。下校中の中学生なんかは『最近こいつがあの子と付き合ったらしいよ~』とか、そんな普通の話をうちの芸人としたりして(笑)。 あと、お客さんからの差し入れの量は、たぶんうちが日本一多いんじゃないかなと思います。」ある時は「みんなで食べてね」と50食分のお米を差し入れるお客さんもいたとか。そんな“みんなで劇場を応援する”空気感こそが、「板橋シアター咲」の原動力になっている。「ありがたいことに、商店街のイベントでMCを任せてもらったり、お祭りのお笑いコーナーに呼んでもらえることも増えてます。『若い人が足りないから、ちょっと手伝って!』とか言われて、うちの芸人たちが駆り出されたり。本当に地域密着というか......この街には、ちゃんと恩返ししたいなと思ってます」そう語るにーくんだが、じつは出身は福井県。板橋で劇場を開くことになったのは、偶然の積み重ねだったという。そもそも、彼がお笑いに興味を持ったのは高校時代。ある人気芸人のバラエティ番組で、視聴者のハガキ一枚からアドリブでトークを繰り広げるコーナーを見て、衝撃を受けたのがはじまりだった。「自分も、ああいうふうに笑いを届けたい」そう思いながらも、卒業後は地元・福井でしばらくアルバイト生活(ちなみにこの頃からすでにモヒカンだったらしい)。転機が訪れたのは22歳のとき。同級生があのお昼の長寿番組の素人参加コーナーに出ると聞き、心がざわついた。「昔からそのコーナーが好きで、正直、嫉妬しました。『こいつが売れたら悔しい』って思って。そこで、芸人になる決意を固めたんです」ひとりで上京し、お笑いの養成所の門を叩いたにーくんは、そこから「お笑いで食っていく」覚悟を固めていく。とはいえ、その道のりは決して平坦ではなかった。はじめはピン芸人として活動していたが、養成所を卒業してすぐ、壁にぶつかることになる。「ある劇場のライブに出たとき、お客さんが2人しかいなかったんです。それがもう、きつくて。自分を俯瞰して見ちゃって、『これが売れるまで続くのか......』と思うと、ピン芸人には向いてないなって。そこから3年くらい、舞台には立たない時期が続きました」それでも、芸人になる夢は捨てきれなかった。ただの空白の3年間ではなく、アルバイトをしながらSNSなどを通じて、相方を探す日々だったという。そして紆余曲折を経て、30歳のときに養成所の同期だった現在の相方と再会。「スーパー弾力素材」結成の瞬間である。コンビとして精力的に活動するなかで、にーくんの中にはある思いが芽生えはじめていた。「駆け出しの芸人は、自主ライブというものを芸人仲間と一緒に開催することが多いんです。でも、劇場のレンタル料がけっこう高くて、ほとんど赤字。しかも場所によってはステージの使い方に細かいルールがあって、自由にできないことも多くて。僕はもっと自由にお笑いがやりたくて、だったら“自分の劇場”があったらいいなと思うようになったんです」ちょうど当時、コロナ禍でレンタルできる劇場が激減したこともあり、その思いに火がついた。その頃にーくんは練馬区に住んでいたが、理想の劇場を探すのは想像以上に大変だったという。「大山のことはそれまで全然知らなかったんですよ。とにかく手当たり次第に見て回りましたね。高円寺とか阿佐ヶ谷とか、芸人に馴染みのあるエリアも見てはいたんですけど、せっかくなら“意外な場所”でムーブメントを起こしたいと思ってて。そんな時に飲み屋でたまたま会った人に場所を探している話をしたら、大山をおすすめされたんです。で、後日ふらっと行ってみたら......『ここだ!』って、直感で思いました」街の雰囲気は気に入った。とはいえ、お笑いの劇場が1つもない土地で、本当に人が集まるのだろうか?そんな不安もあったなか、まずは今の劇場の隣にある音楽スタジオを借りて、試しにライブを開催してみた。すると、まさかの満席に。「今このシアターがある場所は、10年くらい誰にも借りられてなかったらしいんですよ。地下だから使い方が難しかったみたいで。でも逆に、それって自分がやりたい“自由なお笑い”ができる場所なんじゃないかなって。で、実際にやってみたら思った以上に良かった。結局、場所そのものより、“誰がやるか”なんだなって思ったんです。だから、ここに決めました」こうして、2023年。「板橋シアター咲」が誕生した。“都内最安のレンタルスタジオ”を謳うこの場所。驚くべきは、その安さと自由度の高さだ。平日の朝から夕方まで、まる一日借りても5,000円。需要の高まる夕方から深夜にかけても、14,000円からレンタルできる。また、深夜帯や早朝など、利用者のニーズに応じた柔軟な予約も格安で受け付けているという。ライブイベントはもちろん、芸人同士のネタ合わせや稽古、お笑い以外の活動や、動画撮影にも使える――というか、基本的に“なんでもアリ”。さらに驚きなのが、「芸人さん特別支援サービス」。芸人や、芸人を目指して活動している人なら、板橋昼寄席に出演していれば、スタジオの空き時間を無料で使えるという仕組みまで用意されているのだ。すべては、「芸人の背中を本気で押したい」という、にーくんの想いから生まれている。ちなみに「板橋シアター”咲”」という名前にも、その想いがしっかり込められている。「スナックみたいな名前だねってよく言われるんですけど(笑)。でも最初から、なにかしら笑いにまつわる名前にしようと思ってて。『笑』という漢字は、昔は『咲』と書いていたらしいんですよ。それを知って、イメージにぴったりだなと思ったんです。あと、ここに出ている駆け出しの芸人たちが、僕自身も含めて、咲いてほしい、花開いてほしいっていう願いも込めました」思い返せば、にーくんが芸人を目指したのは、同級生への嫉妬心がきっかけだった。けれど、「板橋シアター咲」をつくったことで、自分の中でも何かが変わったのだという。「最近、ここのライブに出ていたあるピン芸人が、某お笑い賞レースの3回戦まで進んだことがあったんです。ぶっちゃけ1回戦突破ですら相当難しいんですけど、その子はここで生まれたネタを武器に挑戦していて。ちょうど結果発表の日も、ここのライブがあって、出演者みんなが集まってたんですよね。もう、ほんと受験の合格発表みたいな感じで、せーので結果を見たんです。で、“合格”の文字を見た瞬間、思わず泣きそうになって......いや、泣きそうになった自分にまず驚いたというか。『ああ、俺、人のことでこんなに喜べるんや』って」もちろん今までも、芸人仲間を応援してきたし、よく知る人が売れていくのを見るのは嬉しかった。ただ、腹の底には、悔しさがいつもあった。無意識に浮かんだ涙は、そんな自分に少しずつ変化が訪れている証だったのかもしれない。0からつくった劇場で、たくさんのお客さんを笑わせながら、若手芸人たちの背中を押し、自分自身もステージに立つ。にーくんは、まさに“夢見ていた場所”を自らの手で実現した。けれど、彼の目指す未来は、いつだって原点にある。「やっぱり、最終的には“自分が売れたい”って気持ちが一番の原動力なんですよね。この場所だって、自分がずっとお笑いを続けていかないと、守っていけないし。じつは、30歳までに売れなかったら芸人を辞めようと決めていた時期もあったんです。でも、いざその歳になってみたら、『辞めよう』なんて気持ちは全然なかった。じゃあもう、俺はきっと一生お笑いやっていくんだろうなって思いました」日々、圧倒的な場数をこなす一方で、ライブで披露する“企画”の制作にも余念がない。にーくんは毎週10本以上の企画を考えては、この場所で披露している。「お客さんからお題をもらうトーク系は鉄板ですけど、それ以外にも、他の劇場じゃ絶対にやらないオリジナル企画をやってます。“人間紙相撲”とか、“エアーサウナ”とか。ステージが水浸しになったこともありますね(笑)。当然お客さんの反応で当たり外れはあるんですけど、そのぶんかなり鍛えられますよ」めちゃくちゃ面白そうな企画ばかりだ。気になった人は、ぜひ足を運んで、自分の目で確かめてほしい。笑いの可能性をとことん探り、身体を張って届けようとする姿勢には、にーくんの真剣さと情熱がにじんでいた。その人間味あふれる姿を見ていると、応援したくなるお客さんの気持ちが分かった気がする。ふと気になって、「にーくんにとって、お笑いって何ですか?」と聞いてみた。「生き様、ですかね。劇場とは関係のない話なんですけど、じつは僕の相方が今、がんの闘病中で。ステージ4の診断で、余命1年って言われていたんです。つい一昨日、手術を受けて回復したんですけど......最初の頃、相方は抗がん剤を打ちながら、それを隠してここのライブに出演していたんですよ。普通はそんな状態だと劇場に立てないんです。ドクターストップがかかるんで。でも、ここでこっそり舞台に立ちつつ、思い切ってがんを公表したら、同じように闘病中の患者さんたちが観に来てくれるようになって。そのとき気づいたんです。お笑いって、苦しみも悲しみも全部ひっくるめて、自分の“生き様”をさらけ出すものなんだって。そしてそれが、誰かに勇気を与えることもあるんだって」相方・とよひろさんが主役となり、昨年末に開催されたライブのタイトルはなんと「とよひろ 余命より生き残っちゃいましたライブ!」。物販では、本人のエコー写真を使った「すい臓がんクリアファイル」まで作られたという。全国からお客さんが駆けつけ、ライブは大盛況だったそうだ。まさに“生き様”を丸ごと笑いに変えてしまう――そんな彼らにしか出せないパワーがまぶしい。そんな経験もあって、にーくんは今、板橋区内にとどまらず、福祉施設や子ども食堂などでもお笑いライブを出張開催している。どんな人にも、観に来てほしい。そして、どんな場所でも咲けることを証明したい。取材を終えると、にーくんは「このあと、相方のお見舞いに行くんです」と言って、商店街の雑踏のなかへと歩いていった。その背中が、なんだかすごくかっこよく見えた。