フランス・パリや、オーストリアのリンツのメーカー、福井県は鯖江の職人が手がけた眼鏡など、品質の高い眼鏡が並ぶ眼鏡店「あん.しゃらら」。安さが売りの大型店に比べるとお値段はちょっと高めだが、かっこよくて美しいデザインの眼鏡ばかりで、心が高鳴る。たとえばこれは、羽のように軽い素材が特徴の、オーストラリアのメーカー「Silhouette(シルエット)」のもの。まるでなにもつけていないかのような快適さで、なおかつ洗練されたデザインはアクセサリーのように顔周りを彩ってくれる。綺麗に陳列された眼鏡を見ていると、お店の奥から、凛とした表情の店主が現れた。途端に私のなかに不安がよぎる。比較的安価なアパレルショップでも店員さんが近づいてくると身体が強張ってしまう小心者なので、もしかして、自分が来るには敷居の高いお店だっただろうか……? とどきどきしてしまう。そんなわたしの表情を見て、店主の依田夏子(よだ・なつこ)さんは顔を緩ませ、微笑みかけた。「緊張しなくても大丈夫なんですよ。誰でも気軽に眼鏡を見に来てほしい、というのがうちのテーマですから。試しに着用するだけでもいいし、レンズの交換や、他店で買った眼鏡の調整もぜひ相談してほしいんです」そういえば、店頭には駄菓子が置かれたコーナーが。眼鏡に関しては妥協せず、品質の良いものを置きたい。しかし、同時に、多くの人に開かれたお店であってほしい。そんな依田さんの姿勢が現れているようにも思える。今年で17年目になる眼鏡店「あん.しゃらら」。都営地下鉄三田線の板橋区役所前駅から、徒歩9分。個人店が賑わう板橋宿不動通商店街を進むと「めがね専門店」の看板が見えてくる。「あん.しゃらら」がオープンする以前、ここには40〜50年続いた「藤沢眼鏡」というお店があった。「藤沢眼鏡」の店主が亡くなって、奥さんは同じ建物で眼鏡店を続けてくれる人を探すことに。依田さんが勤める眼鏡店にも仲介業者を通して募集情報が回ってきて、「私は駄目かしら?」と自ら手を挙げ、引き継ぐこととなった。突然舞い込んできた独立の話に、緊張と喜びがないまぜになったのを覚えていると依田さんは話す。しかし、藤沢さんの奥さんは、お店のお客さんすべてに「この度、眼鏡店は閉店しました」というお知らせのハガキを送ってしまったのだという。「その時は、これから私がお店を引き継ぐのに、とショックを受けたけれど、それが奥さんなりの区切りのつけ方だったんでしょうね」「藤沢眼鏡」のお客さんのカルテは、すべて「あん.しゃらら」が引き継ぐことになった。カルテは、店にとっての大切な財産。原則として他人に手渡されることはない。これは、今までのお客さんが通いやすいように、そして、依田さんが早く町に馴染めるようにという、奥さんの心遣いだったのだろう。リニューアル後から働いていたスタッフが震災後に抜け、一人でお店を切り盛りすることとなった依田さんを、藤沢さんの奥さんは週に数日サポートしてくれた。依田さんは人手が必要だったし、奥さんにとっては寂しさを紛らわすケアの時間になっていたのかもしれない。大手の眼鏡店で20年、コンタクトメーカで6年、眼科の検査担当として5年と、眼に関する知識には自信があったけれど、経営に関しては右も左もわからなかった依田さん。眼鏡の展示会で、会社勤務の時と同じようにツケで眼鏡を買おうとして「ちょっと待ってくださいね」と止められたり、先輩に何回も心配されたり。でも、なにを心配されているのか当時は理解できなかったという。「今から思えば、常識を知らなかったんですよね」はらはらすることばかりだったけれど、持ち前の明るさで、軽快に、ほがらかに乗り切ってきた。動物が大好きな依田さん。お店がオープンしてからの14年間、姉と、飼い猫と一緒に暮らす千葉県・成田の家から、毎日電車で片道2時間かけて板橋のお店に通っている。愛する猫たちのためなら、この距離も苦ではない。以前、動物に関わる仕事に就きたくて、2年ほどトリマーをしたこともある。眼鏡以外でひときわ存在感を放つのが、お店に入ってすぐのエリアに設置された駄菓子コーナー。眼鏡店とは思えない充実した品揃えで、大人でもわくわくしてしまう。これらは、年末セールに来てくれたお客さんにサービスとして配っていた際の名残だという。そろそろ撤去しようと思っていた頃には、すでに小さなお客さんたちに「お菓子屋さん」として定着していた。10円だけ握りしめて来る近所の子のために、駄菓子は定価より少し安めの値段設定に。喜んでくれる人のために、利益は考えず仕入れ続けている。最近では、会社員やご高齢の方も、ふらりと来て駄菓子を買っていく。「花見のつまみにするんだって、エコバックにパンパンになるくらい買ってくれる人もいますよ」この駄菓子コーナーが、思いがけず、いろいろな人がお店に来るきっかけをつくっているのだ。さすがに駄菓子を買うように、とまではいかないが、眼鏡も気軽に見に来てほしいというのが依田さんの開店当時から一貫した願い。試しに、スワロフスキーが散りばめられた「caviar(キャビア)」というブランドの眼鏡をつけさせてもらう。自分には絶対に似合わないと思っていたけれど、意外とありなのかもしれない……! なんだか意外で、嬉しくて、心が踊った。依田さんも一緒にはしゃいでくれる。はずむ声で、次々と眼鏡の紹介をしてくれる依田さんに「本当に眼鏡がお好きなんですね」と言うと、「でもね、昔は嫌いだったの」。お客さんに似合ってないと思われるのが嫌で、眼鏡店に勤めているのに眼鏡をかけるのを拒否したり、他社製品をかけたりして、その度に先輩に怒られていた。しかし、いつからか、自分のなかで心の持ちようが変わってきたという。「眼鏡をかけて、綺麗になってほしいし、格好よくなってほしいという思いは今でもずっとあります。でも、だんだん、似合う似合わないじゃなくて、かけること自体が“おもしろく”なってきたの」レジ横には依田さんの眼鏡コレクションがずらりと並んでいる。展示会に行く度に自分の眼鏡が欲しくなってしまうので、ぐっと我慢しているのだとか。上品な装いの時はこれ、遊び心を出したい時はこれ、気分を上げたい時はとっておきのこれ……。眼鏡を変えるたびに、印象がぐっと変わる。そのことは知っていたはずなんだけど、依田さんと一緒だと、まるで手品みたいに思えてくるから不思議だ。「眼鏡ってすごいでしょ。楽しいでしょ」こんなにも嬉しそうに話す依田さんと、生活を彩る眼鏡を選ぶのは、きっと楽しいに違いない。依田さんのそんな魅力を知っているお客さんが板橋以外の町にもたくさんいて、ふらっと気軽にお店に立ち寄ってくれるのだとか。毎朝、板橋区役所前駅で電車を降りて商店街を歩く。知り合いとすれ違わない日はない。「おはようございます」と挨拶を交わし合っていると、いつのまにかお店に着いている。たまたま縁があってこの町にお店を持つことになったけれど、こんなに気持ちが楽なところはないですよ、と依田さんは微笑む。毎日、いろいろな人が眼鏡を選びに来たり、メンテナンスの持ち込みに来たり、お裾分けを持って来たりしてくれるから、一人で寂しいと思ったことはない。それはお客さんも同じで、眼鏡はもちろん、依田さんとのちょっとした会話を目当てにお店に立ち寄る人もたくさんいる。だから、あなたもぜひ、ふらりと遊びに行くような感覚で「あん.しゃらら」を訪れてみてほしい。