「昔はね、どこの酒屋にも必ず立ち呑みコーナーがあったんですよ。うちも周りに町工場がたくさんあったから、職人さんたちが帰りに一杯ひっかけてさっと電車で帰る、なんてことが日常的でした」前野町は、明治から昭和にかけて特殊金属の生産や光学機器の製造などがさかんだったまち。今は大きな住宅が立ち並び、その面影はあまり感じられない。ここで時代が移ろうさまを見てきた酒の吉徳屋は、わかっている範囲でも創業から70年以上。今ではだいぶ珍しくなった、いわゆる“角打ち”を続ける貴重な酒屋だ。「うちは、これが基本なんです」社長の隆さんがにこにこと得意気に指し示す先に書かれていたのは、「お酒はおいしく楽しく呑みましょう」の文字。文字までにこにこと楽しそうに踊るこのキャッチフレーズは、隆さんの妹であり店主の優子さんが書いたもの。右下には、隆さんの妻・祥子さんも一緒に描かれた3人の可愛らしいイラスト。(そっくり……!)17~19時の間のみオープンする立ち呑みコーナーでは、「1人3杯まで」というルールを守りながら、見知らぬ者同士が他愛もない話をつまみに、グラスを交わす。不思議と愚痴やネガティブな話題は聞こえてこない。「お酒は、楽しく飲まなきゃつまらないですから」吉徳屋の本当の始まりは、明治時代の終わりまでさかのぼる。詳しいことはわかっていないが、いわゆる万屋として商いをするところからスタートした。吉田家は前野町で代々米屋を営んでいたが、長男である隆さんのひいおじいさんは身体を悪くし、米屋の後継ぎを弟に任せることに。その代わりに、新たに土地をもって始めたのが、万屋だった。「当時新しく商売を始めるっていったら、万屋をするのが一番手っ取り早かったんでしょうね」と隆さん。今のコンビニエンスストアのように食品や日用品、雑貨などを幅広く販売。実家との棲み分けのための米と生鮮食品以外、生活に必要なものはなんでも扱っていた。この頃からいち商品としてお酒を販売していたが、昭和27年に酒税法が変わり、正式に酒屋としてお酒を売るようになったという。子どもの頃から両親のお手伝いをしていたという、隆さん優子さん兄妹。ゆくゆく店を継ぐつもりだった隆さんは、大学卒業後にそのまま吉徳屋で働き始めた。別の道を進むという選択はなかったそうだが、その理由はお母さんの存在が大きかったという。「『商売はいいよ』と四六時中言われていました。当時は従業員も何人かいて、年中がやがや楽しい雰囲気の職場だったから、それも含めて魅力的だったんですよね」優子さんは、今から15年ほど前にお店に入り、以来店長としてお酒の仕入れを担当している。今の吉徳屋は、一言で言えば日本酒をメインに扱う酒屋。しかし、以前はオールマイティにあらゆるお酒を取り揃えていた。ワイン、焼酎、リキュール、ビール。いわゆる、まちの酒屋という趣き。方針を変える大きなきっかけになったのは、2011年の東日本大震災。あちこちで節電が叫ばれるなか、吉徳屋でも販売スペースを半分に。必然的に置けるお酒の数が限られるようになり、日本酒に絞ってやっていくことにした。また、このタイミングで優子さんは、数年前に休止していた「立ち呑み」を復活させたらどうかと、隆さんに提案。昔を懐かしむお客さんたちからの熱い要望もあり、夏のワンシーズンだけ店内で生ビールを提供することに決めた。暑い夏に、きんきんに冷えた生ビール。それを居酒屋に行かずとも、帰り道に気軽に楽しめるなら、自分だったら週2で立ち寄ってしまうかもしれない。(週のまんなかの水曜日と、一週間頑張った金曜日!)実際、ひと夏限定の生ビールは大好評。酒屋の一角で老若男女が空きケースを積み重ねてつくったテーブルを囲み、懐かしい賑わいが生まれた。「ずっと続けてほしい」というリクエストと同時に、お客さんからは当然このような声が上がることに。「日本酒もあったら嬉しいのに」そんなリクエストに応え、のちに立ち呑みコーナーには日本酒も並ぶようになるのだけど、そこにはこんな裏話がある。「私ね、自分では日本酒を全然飲まなかったんですよ。わからないからお客さんにも出せなかったの。でもそれだとやっぱり悪いから、じゃあ勉強してからかなと思って。利き酒師の資格をとって、よし、と思えるようになってから提供を始めました」生ビールの提供を始めるときにも、優子さんはわざわざサッポロ社でビアマイスターの資格をとっている。日々ビールサーバーを清潔に保ち、ていねいに管理しているからこそ、なめらかな泡で透明感のある味わいの生ビールが飲めるのだ。「『あそこはおいしい』とお客さんから聞いたお店に見学に行ったり、勉強のために実際に飲みに行ったりもしましたね」それを聞いて、思わず「真面目……!」と口にしてしまった。それを聞いて、みんな一斉にはははと笑う。「真面目ですよね(笑)。でも、性格的にそうしないと嫌なの。新しいことを始めるからには、ちゃんとやりたいんです」そんな優子さんが仕入れる日本酒は、いい意味で自分の好みに偏った、お気に入りのものたち。年に数回ある試飲会に出向き、おいしいと思ったものを仕入れてくる。最近は、フルーティーで旨味の強いものが多い。「結局、自分たちが好きなものじゃないと売れないもんね」と、隆さん。ちなみに、隆さんのお気に入りの山形県のお酒「杉勇(すぎいさみ)」は、お店に入ってから20年以上、常にバリエーション豊富に取り揃えている。「季節に合わせたお酒を置きたい」という思いから、冷蔵庫の中の生酒をはじめとしたお酒たちは、短いスパンでどんどん入れ替わっていく。扱う商品はもちろん、自信を持って勧められるものばかり。でも見た目や口頭の説明だけではなかなかわかりづらいお酒の魅力を知ってもらうために、吉徳屋では、さまざまな取り組みをしてきた。たとえば、お客さんに向けた試飲会。大きいもので年に4回、だいたい15種類ほどのお酒をワンコインで試せるようにしている。見知らぬ者同士、みんなでワイワイ飲み比べながらお気に入りのお酒を見つけ出す、楽しい会だ。コロナ禍前には、お客さんに募集をかけて日本酒とそれに合う食事を楽しむ会を開催。隆さんの妻・祥子(さちこ)さんがつくる10種類のおかずも大好評で、いまだにお客さんから再開催の要望がくるという。ほかにも、落語家さんを呼んで店内で寄席をやったり、地域センターのホールを借りてボジョレ・ヌーボの解禁パーティー(フラメンコダンスを添えて)をやったり……。真冬に店の外にテントとストーブを置いて、「立ち呑みコーナー 屋外ver.」をやったこともあった。「そう考えると、イベントが好きだったんだね」と、今さら気づいたように隆さんは言う。店内の春らしい桜の飾りも、5月が近づけば五月人形、7月前には七夕飾りに、といった具合に、季節を少しずつ先取りしながら変わっていく。手づくりすることもある。さすが、イベント好きな皆さん。と思いきや、「面倒くさいですよ」と優子さん。「でもやると、気持ちがいいじゃないですか。基本的には毎日365日同じことの繰り返しなんだけど、そこにちょっと季節を感じられるものがあったら楽しいし、お酒を買う買わないに関わらず『そんな季節だね』って皆さんに感じてもらえたらいいんじゃないかなって。どうせやるなら、自分も楽しまないとつまらないから、つい一生懸命やっちゃうんです」季節の移ろいや行事を大切にするのは、ご両親譲り。お酒を飲むのも、飾り付けやイベントをするのも、「せっかくなら楽しまないと」というのが吉徳屋の根幹にあるスタンスだ。そういえば、ここ最近はひな祭りのちらし寿司も、子どもの日の柏餅も結局やらずじまいで、ほんのり後悔が残っていた。でももしかしたら、なんとなく義務的に感じてしまっていたのかもしれない。自分から楽しんでやれたら、きっともっと気持ちがいい。今年の七夕には、小さな笹を買って、自分でつくった短冊に願い事を書こう。そのときには、吉徳屋の皆さんの顔を思い出すだろう。それを報告しがてら、すっかり夏らしいラインアップになったお店に、長い夜を楽しむための涼やかな夏酒をお迎えしにいきたいと思う。