金曜日の昼下がりの16時。店の前にはたくさんの自転車。たまごっちに、プラレール、ガンプラ、シルバニアファミリー……。懐かしいおもちゃや模型がたくさん並ぶ店頭のディスプレイを眺めながら約束の時間まで待っていると、小学生と思しき女の子とそのお母さんが、お店に入っていく。「こんにちはー!」そのあとには、大学生くらいの男性が軽く会釈をし、慣れた様子でトントンと階段をのぼっていった。そして、またひとりと続く。ここは、ときわ台駅から徒歩6分のところにあるホビーストア「フジヤ」。1965年から続く、まちのおもちゃ屋さんだ。「金曜日の夕方なので、少し混み合うかもしれません」と事前に聞いていたけれど、正直半信半疑だった。でもたしかに、お客さんの出入りが結構ある。取材に来た旨を伝え、案内されるがままに2階にあがると、さらに驚いた。人が結構いる。壁沿いにぐるりとカードゲームやプラモデルなどが並ぶ空間に、男性たちが屯している。ひとりで座っている人もいれば、立ち話をしている人たちもいる。何をしているんだろう?さっき階段をのぼっていった男性がごく自然にエプロンを着けたので、「ここにいるのは皆さんスタッフさんですか?」と尋ねると、店主の藤田和央(ふじた・かずお)さんは笑いながら言った。「うちには、お客さん兼スタッフがたくさんいるんです」この2階は、売り場兼コミュニティスペース。このあと、カードゲームの大会が行われるらしい。彼らはもともとお客さんだが、各ジャンルのゲームに詳しいエキスパートとして、こうしたイベントの審判などを引き受けてくれているのだという。「『私に名前を覚えられたらおしまいだよ』ってみんなに言うんです(笑)。うちは基本的に家族経営でやっているなか、お客さん兼スタッフとしてお付き合いいただけるというのは、まちのおもちゃ屋ならではの面白さなのかなと思いますね」カードゲーム系の大会のほかにも、ミニ四駆やベイブレードなどのイベントを定期的に開催していて、40~50人集まることもあるのだとか。なんか、思っていたよりずっと活気がある……! 気づけば、ちょっと前のめりに和央さんの話を聞いていた。和央さんのおばあさんが始めたフジヤは、最初は「フジヤ製菓店」という屋号のお菓子屋さんだった。当時は、工場が数多く立ち並んでいた前野町エリア。東武東上線のときわ台駅で降りて、フジヤに寄ってお昼のパンを買っていく。働く人たちにとって、いわばコンビニのような存在だった。その後、和央さんの父・宏さんが大学を卒業してフジヤに。もともと広告代理店にあこがれ、授業そっちのけで広告雑誌を読み漁っているような青年だったが、ひとり親でお菓子屋を営む母とともに、家業を継ぐことを決めた。宏さんはただお菓子を売るだけでなく、何か新しいことができないかと、お店の隅の四畳半でおもちゃを売り始める。それが、ホビーストア「フジヤ」の原点だ。高度経済成長の波とともにベビーブームが訪れ、世の中的にもおもちゃが求められるように。食から娯楽へ。フジヤでもお菓子と玩具の割合が逆転することになった。(今もお小遣いを握りしめてくる子どもたちのためにと、お菓子コーナーは顕在。かなり気合いが入った品揃えである)両親がおもちゃ屋を営んでいるなんて、同級生に羨ましがられそうだけど、息子である和央さんは公園で遊ぶ方が好きだったという。旅行会社でサラリーマンをしながら、海外のおもちゃメーカーとのやりとりを手伝っていたが、30歳のときにフジヤに戻ってきた。「兄が結婚してそのまま新潟に行ってしまったので、家族会議の末に次男の私が継ぐことになりました。まあ、生まれも育ちもおもちゃ屋ですから、店に入ることにそこまで抵抗はなかったのかもしれません。そうか、言われてみればもう、17年くらい経つんですね」にこにこと親しみやすい和央さん。旅行会社では修学旅行を担当していたというのも、なんだかわかる気がする。はじめは「トミカ」や「リカちゃん」など、いわゆる子ども向けのおもちゃをメインに扱っていたフジヤ。もちろんそれらは今も扱いつつ、特定の分野に特化したちょっとマニアックな商品も多い。おもちゃ自体、時代の移り変わりとともにどんどん変化しているという。「おもちゃを購入する人というのが、今は下手すると7:3の割合で大人の方が多いんです。少子化でどんどん子どもは減っていますし、それを踏まえて大手のメーカーさん側もターゲットを大人に変えています。子ども向けのおもちゃは売れ筋だけを残して、規模を縮小する流れになっているんですよね」今ってそんな感じなのか、と正直驚いた。でもたしかに、子どもならではのおもちゃというのは、キャラクターものや人形、乗り物系など、自分が小学生だった20年ほど前とあまり変わっていないのかもしれない。小学生の姪っ子たちも、今は大人と変わらずタブレットやポータブルゲーム機に夢中だ。それでも、「現代の子どもたちに遊んでほしいおもちゃがある」と和央さん。メーカーの会議に参加し、現代の子どもたちに向けた商品づくりの提案を続けている。また、おもちゃによって生まれる体験を広めていくために始めたのが、2階のコミュニティスペースだ。和央さんがお店に入る前、もともと2階部分はすべて、父・宏さんが担当するミニカーと模型のコーナーだった。そのコーナーを1階に移し、みんなでワークショップをしたり、ゲームをしたりするスペースへと変身させた。「昔は、公園に行けば友達がいたりとか、その場その場でコミュニティがありましたよね。デジタルが普及した今はリアルなコミュニティが減っていますが、一方で、コロナ禍を経て人との繋がりを求める声もより強くなっている感覚があって。それに、オンラインで会話するのとはまた違う、オフラインならではの人とのコミュニケーションや、付き合い方を学べるチャンスでもあるじゃないですか。私たちのような地域のおもちゃ屋さんにできるのは、そうしたきっかけをつくることなんじゃないかなって」以来、コミュニティスペースは冒頭で紹介したように、年齢も生きてきた背景もバラバラで、本名も知らない者同士が、おもちゃという共通項で集まって一緒に楽しむ場に育ってきた。プラモデルづくりや、ミニ四駆の組み立てのワークショップを開催することもある。プラモデルをつくったことのない親世代が増えているからだ。そこで、ニッパーの使い方から親子で体験してもらう。ミニ四駆だったら一緒に組み立てて、お店の前の大東京信用組合に設置しているコースで、実際に走らせてみる。板橋区内の幼稚園の評議員もやっている和央さんは、入園式で親御さんたちにこう伝えるのだそう。「3年間なんてあっという間です」「どうせなら、おもちゃを買い与えるだけじゃなくて、一緒に遊んで思い出をつくりましょう」と。「私たちとしても、売って終わりじゃない。ご家族やご友人との楽しい思い出になるような体験や機会を提供するのが、おもちゃ屋の使命だと思っています」とはいえ、まちのおもちゃ屋を取り巻く現状は、なかなか厳しい。メーカーや問屋が直接消費者に販売する時代になり、小売店には商品がなかなか入ってこないのが現実。欲しいと言ってくれるお客さんがいるのに、商品を用意できない。それが一番苦しくて、歯がゆいと和央さんは言う。ここ数年は、転売ヤーの存在にも頭を悩ませている。そうした状況のなか、フジヤでは“おもちゃ屋存続”のためのひとつの活路として、オリジナル商品にも力を入れてきた。たとえば、和央さんが担当したボードゲーム。お店の近くにある淑徳大学の学生であるお客さんたちと一緒にルールを決め、イラストも描いてもらった。アナログゲームの祭典「ゲームマーケット」では、学生さんたちも売り子として活躍する。父・宏さんがつくる和風のドールハウスやそのキットもまた、フジヤのオリジナル商品だ。じつは、ジオラマ職人でもある宏さん。その昔、チャンピオンを目指して一般公募者が競い合うあの伝説的なテレビ番組に出演したこともある腕前で、今もバリバリ現役。2階のコミュニティスペースと場所を交換したのちも、1階の一部を工房にしてジオラマやドールハウスを制作している。ここ数年は、あの「シルバニア ファミリー」とコラボした和のドールハウスが、ときわ台駅の改札口に飾られているらしい。過去の作品の中には、再開発前のときわ台駅のジオラマもあって、ちょっぴりノスタルジックな気持ちになってしまった。春だったら新学期、秋にはお神輿など季節ごとにテーマを変えて、少なくとも年に6回新しい作品を展示中。それぞれの動物たちの衣装は、なんとすべて母・恵美子さんの手づくり。オリジナルのデザインで、一つひとつ手縫いしているのだとか。だからこれは、夫婦のコラボ作品でもある。「もうね、やり始めたらうちのおかみさんと一緒にハマっちゃって。楽しい。本当に楽しい」まるで少年のように目をきらきらさせながら、そう話す宏さん。その言葉からは、ただまっすぐに、ものづくりを楽しんでいることが100%の純度で伝わってくる。ちなみに、和央さんの言う「親父のディープコーナー」を語る上で、もうひとつ外せないのがミニカーだ。ミニカーといってもいろいろあるが、フジヤではフランスの「ル・マン24時間レース」のミニカーやグッズに特化して販売している。「ル・マン24時間レース」は、F1と並ぶ自動車の世界3大レースのひとつ。日本でもグッズが飛ぶように売れたF1が衰退期を迎え、その頃新たに魅せられた「ル・マン24時間」の商品を扱い始めた。実際のレースの情景を、宏さん自らがジオラマでつくった作品もある。日本でこれだけの数と種類のグッズを販売してるのは、フジヤだけらしい。現地でしか手に入らない商品の数々は、宏さんが実際にフランスに何度も足を運び、関係者との繋がりを丁寧に築いてきた賜物。壁には、現地でお世話になっているという家族と一緒に撮影した古い写真がいくつも飾られていた。取材の翌々月にも、宏さんはお客さんを連れて実際にフランスで「ル・マン24時間レース」を観に行くことが決まっているのだとか。ものすごいバイタリティである。フジヤはいつだって、大切なお客さんたちの求めるもの、声に寄り添い、全力で応えてきた。「昔からのお客さんが買いに来てくれて、『おもちゃ屋さん頑張ってよ』なんて言われちゃうと、やっぱりこっちも頑張るしかないわけ。でもそれには、ほかのお店やネットで買うよりも、うちで買って良かったって思ってもらわなきゃいけない。だから僕らは常に、お客さんよりも半歩先の情報を持っていないとね」壁に貼られていた今年の年賀状には、こんな言葉が添えられていた。「僕たちは家族ですが、各自お得意さんがいるライバルでもあります」。宏さん、恵美子さん、そして和央さんと妻の宏美さん。家族4人、互いにリスペクトを持ち、切磋琢磨しながらそれぞれ自分の陣地を大切に守っている。日々勉強、というよりも遊び。大事なのは、自分たちも存分に楽しむこと。宏さんは言う。おもちゃは本来、生活に必要ないと。たしかに、衣食住に比べれば、別になくても生きてはいける。でも、と宏さんは続けた。「ないとさ、“生活の句読点”にならないでしょ」ああ、いい表現だなと思った。ご褒美のたい焼きや、疲れた日の一杯のお酒のような、日常の中のちょっとした楽しみ。そこにおもちゃがぴったりハマる日が、大人にもある。おもちゃは楽しくて面白い。それをあらためて教えてくれるのが、純粋に玩具を愛し、たくさんの人に遊んでほしいと願う、フジヤのようなおもちゃ屋さんなのだと思う。またひとつ、いいお店を見つけてしまった。