大学生の頃、通学のために毎日通っていた上板南口銀座商店街。その途中、いつもきまって威勢のいい声が聞こえてきた。「はーい、いらっしゃい!いらっしゃい!コロッケ、ハムカツ、メンチカツございまーす!」それは、まだ人がまばらな平日の午前中から始まることもあって、ちらっとお店を横目に通り過ぎながら、変わらないこのまちの日常に安心していたことを思い出す。上板橋で暮らした約3年間。思い入れのある場所はいくつかあるけれど、そのなかでもとりわけ印象深く、私にとってまちのシンボル的存在だったのがこの「肉のマルサン」だ。商店街に面した店舗は、いかにも昔ながらのお惣菜・お肉屋さんで、小さい子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで、いつも地域の人たちでにぎわっていた。コロッケ、ハムカツ、メンチカツ、焼豚……。定番からちょっと変わり種まで、みんなが好きな揚げ物、焼き物が豊富に揃う。私自身も、このまちにいる間に何度もお店に立ち寄った。ちょっと頑張った日、疲れて何にもつくりたくない日、とにかくおいしいお惣菜が食べたい日。買うのはきまってコロッケ、余裕があればてりやきやハムカツも一緒に包んでもらった。飾らないほっこりと懐かしい味は、上京して一人暮らしをしていた私の気持ちを落ち着かせてくれた。昭和33年に創業し、水産のマルイチ、青果のマルニとともにマーケット内のいち店舗としてオープンしたマルサン。70年近い歴史を刻んできた趣のある建物は、じつは今はもうない。建物の老朽化にともない、一度すべてを壊し、新しく生まれ変わることになった。その再出発までの期間、マルサンは精肉とお惣菜に分かれて、それぞれ仮設の店舗で営業している。精肉は旧川越街道の「魚長」のおとなり、お惣菜はもとの建物のすぐ先。すっかり取り壊され、工事中の跡地を見てほんのり寂しい気持ちになりつつ、そこから30mほど先にあるお惣菜の店舗に伺った。仮設店舗は、こぢんまりとしたプレハブ小屋。まだオープン前のお店にお邪魔すると、耳馴染みのある声が出迎えてくれた。「こんにちは!お待ちしていました」声の主は、マルサンの専務である尾形文教(おがた・ふみのり)さん。ほぼ毎日のように声を聞き、顔を見ていたのに、今回取材をさせてもらわなければ、尾形さんの名前もきっと知らないままだったんだな、とぼんやり思う。プレハブの半分が厨房、半分が売り場。小さな建物の中にすべてがぎゅっと詰まっている。その中で、尾形さんとともに焼き物担当の中西さん、揚げ物担当の坂井さんが手早くお惣菜の仕込みをしていく。この3人がメインでこちらの店舗を回しているらしい。手は動かしつつも時折冗談が飛び交い、和やかな雰囲気だ。「8時ぐらいに来て、しゃべりながら仕込みをして、時々爆笑して、オープンの時間にはみんなちょっと疲れてるんですよ」と中西さんは笑う。尾形さんがマルサンにやってきたのは、今から14年ほど前。キャリアは意外にも、誰もが知る大手アパレルブランドからスタートしていた。「アルバイトから入って、最終的には副店長までやりました。トータルで10年くらい。これで衣食住のうち“衣”はやったし、“住”はうちの親父が池袋で貸ビル業をやっていたので、じゃあ次は“食”にいこうかなと。ラーメンが好きだったので、ラーメンやつけ麺の店で働き始めたんです」ゆくゆくは、独立をして店を構えることを見据えていた尾形さん。それがなぜ、肉屋で働くことになったのか。理由は、「自分でラーメン屋をやるときのために、お肉のコネクションをつくりたかったから」。「普通だったら、働いているお店に出入りしている業者にそのままお願いすることが多いですよね。でも、もっとおいしい肉があると思っていたし、肉に関する知識も全然なかったから、ちゃんと自分で知りたいというのがこの店に入る一番のきっかけでした」その当時、すでに独立後にお願いする製麺所や麺の配合率まで決めていたという尾形さん。たまたまマルサンの募集を見つけ、「1年だけ」と面接のときに伝えた上で働きはじめた。「1年で辞める気満々だったんですけどね(笑)。ただ、働いているうちに仕事も増えてきて、今の社長に代わってからは、やりたいことをいろいろ挑戦させてくれたので、辞める理由がなくなってしまって。シンプルに、ここでの仕事が楽しくなったんです」やり方を変えたら、この店はもっと伸びるのではないか。そう思った尾形さんは、アパレルでの経験を活かし、さまざまな取り組みをしてきた。たとえば、発信。SNSを使って情報発信をしつつ、今まで一切避けてきた取材を受け入れ、店を外に開いた。「立って待っているだけで売れるような甘い商売じゃないですからね。とにかく、皆さんに知ってもらわないと始まらないので」時には、お楽しみイベントの企画も。移転中の2年間はお休みだが、お子さんにコロッケをひとつプレゼントするハロウィン企画では、平日でも平均1000人が集まる。スタッフさんも各々仮装をし、一気ににぎやかな雰囲気になるという。クリスマスチキンや、お正月に向けて売り出す福袋のお肉版「肉袋」も大人気だ。尾形さんの“呼び込み”も、数字を伸ばすために自ら始めたこと。本心で言えば「やらなくていいならやりたくない」。でも、やるかどうかで如実に売上が変わるとわかった以上、尾形さんにやらない選択肢はなかった。今何が揚げたて・焼きたてなのか、今日のお買い得商品はどれか。お客さんへのアピールはもちろん、仲間のモチベーションを保つ意味も込めて、尾形さんは自分の中のスイッチを入れ、朝から夕方まで声を張り上げつづける。これから出かけるであろう、駅に向かう人たちが多い朝の時間帯にも呼び込みするのは、帰ってきたときに寄っていってほしいという願いを込めて。こうした取り組みは、確実に結果へとつながっていった。自由にやらせてくれる上村清竹(かみむら・きよたけ)社長、そしてともに働く中西さんと坂井さんの存在が欠かせないと、尾形さんは言う。ちなみに、板橋生まれの中西さんと坂井さんは中学の同級生。マルサン歴で言えば、ふたりとも尾形さんより長い。「数字を伸ばしたいと話したときに、とくに協力してくれたのがこのふたりでした。僕は調子よく言ってるだけで、実際に焼いて、揚げているふたりと戦おうとしても絶対に勝てないんですよ。お客さんをたくさん呼び込んだその先に、きちんと商品を提供できるように準備するのは中西と坂井がやってくれているので、ふたりがいないとダメなんです」お惣菜屋で一番大事なのは、毎日同じ味を提供しつづけること。その味を求めて買いにくるお客さんのために、ブレてはいけない。さらに、その日のうちに売り切れるように計算しながら量をつくる。簡単なようで難しいことを、中西さんと坂井さんは毎日各々の持ち場でやりつづけている。みんな、それぞれにプロなんだなあと思う。「『美味しかったからまた来たよ』と、気に入ってリピートしてくれるお客さんをひとりでも増やすのが仕事ですから。同じことをバカみたいにずっと続けられるやつが勝ちですよね。だから、毎日毎日変わり映えしないことをやってますよ」ははは、と笑う尾形さん。「このふたりが辞めるなら、僕も辞めます」。こんな言葉が言えるのは、それだけゆるぎない圧倒的な信頼があるということ。このチームワークが、マルサンの味を支えているのだ。ちなみに、スタッフ同士でライブに行ったり、飲み会をしたりもするらしい。(仲良し……)帰り際、焼き物人気NO.1の「てりやき」と「塩こうじ焼き」と一緒に、思い出深いコロッケをひとつ買った。たまらず、道端でひとくち。そうそう、これこれ。この味。ちょっと甘めで、胃にもたれなくて、おやつ感覚でぱくぱく食べられちゃうこの素朴なコロッケが、とても好きだった。建物が新しくなっても、調理をする機械がぴかぴかになっても、この味はきっとずっと変わらない。尾形さんは言っていた。「大事なのは、どれだけまちのお店や人が入れ替わっても、できるだけ長く続けていくこと」。肉のマルサンが刻んできた歴史は、働く人たちとお客さんみんなの思いをのせて、また未来へとつながっていく。これまでのマルサンも、これからのマルサンも、心から応援したいなと思う。