美容室というのは、ここ10年ずっと増え続けているらしい。その数は、コンビニエンスストアの5倍なんだとか。洗練されたイマドキのおしゃれなサロンはたくさんあるけれど、昭和から続くレトロなまちの美容室だって負けていない。今も変わらずにあるのは、ベテラン美容師さんによるたしかな技術と、飾らない居心地の良さで、長く通い続けるコアなお客さんがたくさんいるからこそ。今回取材に伺った「ヘアーファクトリークマ」も、そんな昭和63年から続くまちの美容室だ。板橋区小豆沢。志村坂上の駅からは、徒歩9分ほどの場所にある。ぱきっとしたピンクの外観がレトロで可愛らしい。店頭には白くてふわふわのクマ、頭が大きめのクマ、洋服を着ているクマ、にっこり微笑むクマ。さまざまなタイプのクマのぬいぐるみがお出迎えしてくれる。店名にもつけるくらいだから、これはオーナーさんが相当なクマ好きなのか……?と思っていたけれど、由来は想定外だった。「私たち、旧姓が“熊倉”なんですよ」そう話すのは、オーナーの菅野幸子さん。“私たち”というのは、一緒に働く若月孝子さんのことで、じつはふたりは、2歳違いの姉妹なんだそう。姉が幸子さん、妹が孝子さん。たしかに、言われてみれば少し似ているかもしれない。1988年創業。昭和の終わりにオープンしたこの小さな美容室は、今日に至るまでずっと姉妹ふたりで運営してきた。姉妹そろって美容師。つい「もしかしてご両親も美容師さんだったんですか?」と尋ねてみると、「全然!」とふたりは笑う。「母は給食のおばさんで、父は職人でした」。じゃあなぜ、美容師だったのか。妹の孝子さんは、小学2年生のときから漠然と美容師になりたいという夢を抱いていたのだという。「小学校の卒業文集にも、『ちっちゃいお店を出したい』と書いていたんですよ。自分の髪の毛をいじられるのは好きじゃなかったんだけど、人が施術されているのを見ているのが好きだったんです。母親が行く美容室に一緒に付いていくのが楽しくて」そんな孝子さんは、中学卒業後にそのまま美容師になるべく、寮に住みながら浅草のお店で働き始める。一方、姉の幸子さんも自然と美容師を目指すように。「人の髪の毛をいじるのは好きでしたね。学校で友達の髪で編み込みしたりとか。手先が器用かはわからないけれど、図工や家庭科でものをつくるのはどちらかというと得意だったと思います」高校を卒業した幸子さんが働くことになったのは、孝子さんのお店から独立したお弟子さんが開いた保土ヶ谷の美容室だった。オープンで人手が欲しいからと誘われ、住み込みで働くことに。つまり、ふたりは姉妹そろって同じ系列のお店で修行を積んでいる。そこからふたりでお店を始めるに至ったのは、当時幸子さんがお世話になっていたオーナーの一言がきっかけだった。「5年くらい働いたタイミングでオーナーから、『将来のこと、どう考えてる?』と聞かれたので、『妹と一緒にいつかお店ができたらいいなと思っています』と答えました。そうしたら、思っているだけじゃダメだから具体的にいつか決めろと言われて。だいたい2年後くらいと伝えたら、『じゃあそれまでに教えられること全部教えるから』って。そこから私たちの目標ができたんです」(幸子さん)フランチャイズではなく独立型の店舗として、生まれ育った地元・板橋でお店を持つ。2年後に照準をあて、ふたりは開業準備を始めた。物件の条件は、「1階であること」と「駅のそばではない」こと。……駅近ではなく?「当時、不動産屋さんにも聞かれました。『駅のそばですよね?』って(笑)。私たちふたりだけでも回せるようにって考えると、ちょっと駅から離れた方がいいと思ったんです」(孝子さん)そうこうして念願のオープンに至ったヘアーファクトリークマ。ほかにスタッフは雇わず、ずっと姉妹ふたりでやってきた。それぞれが結婚、出産、子育てを経験し、大変なときも助け合いながら仕事と両立をさせてきた。お互いの家族の協力もあったが、途中でふたりはひとつの決断をする。「私たちが仕事のときは、母やそれぞれの旦那が交代で子どもたちの面倒をみてくれたりしたんだけど、これだと家族のコミュニケーションが全然とれないねって。それで途中から、隔週で日曜と月曜を休みにしたんです」(幸子さん)本来お客さんで混み合う日曜日を休むという決断は、経営を考えればきっと簡単じゃない。でも、小さい子どもや家族と過ごせる時間も今しかないからこそ、ふたりは思い切って決めた。その後、お子さんたちが大きくなって手が離れてからも、お休みは変えずにそのままにしている。「日曜休みだと土日休みの友達にも会えるし、代わりに火曜にやってる美容室が珍しくてお客さんからも喜ばれるから、意外とうまく回っているんですよ」と幸子さんは笑う。へアファクトリークマの特徴は、髪の毛以上に“地肌を大事にする”美容室であること。長い目で見て、次に生え変わる毛をきれいに保つために地肌から整えていく。床屋さんにあるような育毛のための頭皮マッサージや、毛穴のお掃除などのメニューがあるのも、そうした思いから。「オープンしてまず驚いたのが、地域の人たちの毛がボロボロ、チリチリだったこと。なんでこんなふうになっちゃってるの!って。そのぶん、やりがいがあって楽しかったですね(笑)」(孝子さん)お客さんの希望があっても、髪の毛の状態によってはきちんと説明をした上でパーマやカラーを見送ることもある。それも、お客さんの髪の毛や頭皮を思いやってのこと。一回限りの目先のきれいさだけでなく、長くきれいでいるための伴走をしてもらえるのはありがたいなと思う。小さな美容室ならではの細やかなサービスと居心地の良さから、ヘアーファクトリークマのお客さんは、ご高齢の方から赤ちゃんまで幅広い。なかには3代で通ってくれる家族もいて、長いお付き合いのお客さんが多いという。「小さい頃から来ていた子がもう大学生になるんだけど、イマドキの美容室に行けばいいのにずっとうちに通ってくれていて。なんでしょうね、安心するのかな」と幸子さん。高校生のときに着物の着付け教室に通っていた経験を活かし、幸子さんは成人式などの着付けを担当することも。もちろん、あわせてここでヘアセットもしてもらえる。結婚式のお呼ばれやイベントなどのヘアアレンジのために訪れる若い世代も多い。「うちに来る最高齢のお客さん、いくつかわかります?」と孝子さんに聞かれて考えていると、「101歳!」と返ってきた。101歳のおばあちゃん、息子さんが車でお店の前まで送り、帰りは杖をついて自分で帰るのだとか。すごい。この店に来るお客さんは、年齢関係なく明るいカラーやメッシュを楽しむ人も多いのだそう。最後に鏡を見たときの、「変わった」「きれいになった」というお客さんの嬉しそうな反応が、ふたりが美容師を続ける何よりの原動力。孝子さんは、こんなエピソードを教えてくれた。「『ヘアスタイルを変えたのがきっかけで、いろいろなことを始めようと思った』と話してくれたお客さんがいました。クセが強くて広がるのがお悩みの方だったんですが、うちで切ったらおさまりが良くなったって。その方、次に来たときにお化粧をしていたんですよ。肌にも気をつけるようになったらしく、そのきっかけになれたのが嬉しかったですね」美容室ってたしかに、人の行動を変えてしまうすごいパワーがある。美容師さんは、その一歩をつくる素敵な仕事だなと、あらためて思う。幸子さんも、「人をきれいにする仕事ってやっぱりいいですよね」と続ける。「お店に来たときと、帰るときのお客さんの表情が全然違ったりして。それがまた次の来店につながったときは、すごく嬉しいです」それにしても、このお店はなんだか妙に落ち着く。なんでだろうと思っていたら、「姉妹でやっているっていうのもいいのかも」と孝子さんは言った。たしかに家族ならではの空気感というか、美容室なのにふたりのおうちにお邪魔しているような感覚に近い。これこそ、正真正銘の“アットホーム”さなのかもしれない。肩の力を抜いて、どうでもいいことをゆるゆる喋ってしまいそうだ。「2週に1回、月に1回来る方たちにとっては、別々に暮らす家族や友達よりも私たちに会う頻度が高いんですよ。他人だから話せることもあるだろうし、美容室は女性たちのストレス発散の場でもあるから。髪の毛を整えるのに限らず、ふらっと寄ってもらえたら私たちも嬉しいです」(幸子さん)