「本が欲しいときは、こみや書店」ここはどんな本屋かと尋ねると、2代目店主・小宮仁さんはそう答えた。そんなふうに、昔から地域の人たちの合言葉のようになっていたことを想像して、何だか胸がいっぱいになった。昭和39年にはじまり、今ではこのまちに残る唯一の新刊本屋さんとなった「こみや書店」。ちびっこからおじいちゃんおばあちゃんまで、たくさんの人が本を求めてこの本屋を訪れてきた。現在は、仁さんとその妻・寿子さんのふたりで営んでいる。店内には、雑誌や文芸、児童書、コミックなど、まちの本屋らしくさまざまな年代の人に向けた幅広い本が並ぶ。そのなかでも、こみや書店では今、児童書を厚めに置いているという。コーナーに案内してもらうと、最近メディアでも話題の絵本が並んでいた。「よく来る近所の子もいるし、おじいちゃんとおばあちゃんがお孫さんに『好きな本を買ってあげるよ』って一緒に来たりとか。ちっちゃい子が買っていってくれると嬉しいから」小さなお客さんたちが本を好きになって、また書店に来てくれるようになれば。そんな思いから、仁さんはこのコーナーを大事につくっている。その横には、お年寄りに人気だというナンプレやクロスワードの雑誌が種類豊富にどーんと並んでいて、なんとなく、ここを訪れるお客さんたちの顔が見えてくるような気がする。「今いろいろな出版社が出していて、力を入れているみたい。案外売れるんですよ」このこみや書店、前身はなんと日本蕎麦屋さんだったらしい。上板橋で生まれ育った仁さんのお父さんが、この場所で蕎麦屋を始めたものの、しばらくしてから書店に転業した。かなり大胆なジョブチェンジだ。「あの頃は高度経済成長で、ここらへんにいっぱい中小企業の工場があって。出前でかつ丼が毎日何百と出たらしいんです。毎日残業、残業で、あんまり忙しいから嫌になっちゃったんじゃないかな」なぜ本屋だったのかは、「父の友達に出版社の方がいた」ということ以外、仁さんもあまりわからないらしい。なんせ、物心が付いた頃にはすでに書店へと変わっていたからだ。こみや書店として再出発したのち、仁さんのお父さんは蕎麦屋時代の出前のつながりを活かして、すぐに雑誌の配達を始めた。そう、書店にはこういう配達の仕事もあることを、消費者の私たちはあまり知らない。知らないというか、意識の中にない。でもたしかに、美容室とか、喫茶店とか、まちのさまざまなお店に雑誌はある。そうした場所をはじめ、学校や図書館などに本や雑誌を納めにいくのも、書店の仕事のひとつなのだ。今も配達は店頭販売以上に割合が多く、学校だけでも板橋区、練馬区、北区とまたいで配達に行く。小学校から高校まで。教科書の場合は、「教科書供給所」と呼ばれる問屋があり、そこから担当を割り振られることが多い。最近は店を畳んでしまう書店も多いため、そのうちのいくつかをこみや書店が請け負ってきた。「ここの空間(お店の奥)、春には教科書でぜんぶ埋まるんですよ。天井くらいまで教科書がどーんって積まれるの」3月の卒業式が終わって、4月の始業式までの2週間、仁さんたちの闘いが始まる。いわゆる超繁忙期だ。このときばかりは、「忙しいと言ってられないくらい忙しい」と仁さんは笑う。本は重い。引っ越しの時に段ボールにぎちぎちに本を詰め込んで、そのあまりの重さに心が折れた経験がある人なら、この苦労は想像できる。取材に伺った7月はそこまで量は多くないものの、2学期に向けて小学校の教科書の“下巻”が準備されていた。そうか、小学校は上下巻に分かれていたのだな、と遠い記憶がくすぐられる。私は国語の教科書を勝手にどんどん読み進めてしまう子どもだったので、下巻をもらえるのが待ち遠しかった。それも、手に入れたらまたすぐに読み進めてしまうのだけど。こうやって、まちの本屋さんが必死な思いで届けてくれたものだと知っていたら、もうちょっと丁寧に扱っていただろうか。仁さん自身、もともと本屋を継ぎたいという気持ちはなかったという。でも、気づいたらこの道を選んでいた。「僕が21歳くらいのときに、親父の具合が悪くなって、学校に行きながら手伝いを始めたんです。うちの母ちゃんは車の運転ができないから、代わりに配達したりしてね。あんまり考えないで、本屋になっちゃったんですよ」子どもの頃から本は好きだったのかと尋ねると、「いやあ……」と仁さんはちょっと気まずそうに微笑んだ。あ、これはそうでもないやつだ、とこちらもつい笑顔になる。「本当に読まない。今も読まない。本屋が本を読まないでどうするんだっていうね。読みたい気持ちはあるんだけど、毎日のことに追われて終わっちゃうんですよ」今でこそ、デジタル化にともなって本の発注作業などは以前よりもずいぶんラクになった。(以前は、注文の入った本を一点一点電話で出版社に問い合わせていたというから、おそろしい)それでも、朝は早いし、届く本の荷ほどきや納品書の作成、返品作業など、こまごまとした日々の業務は多い。たしかに、本って時間にも心にも余裕がないと、なかなか読めないものだよなと思う。そんな仁さんだが、本屋の仕事を大事に思っていることは、控え目な言葉のなかからもなんとなく伝わってくる。売る力のある大型書店に比べると、小さなまちの本屋には売れ筋の本はあまり入ってこない。取次会社によって、どの書店にどのくらい納めるのかが決められてしまうからだ。そこにジレンマを抱えつつも、お客さんの「欲しい」という声にはなるべく応えられるように心掛けている。「欲しい本がうちになかったってこともあると思うんです。そういうときは取り寄せることになるんだけど、読みたいときが買い時だってこともわかっているから。少しでも早く取り寄せてお客さんに届けることを第一に考えています」消費者としては「わざわざ取り寄せてもらうのは申し訳ない」と思ってしまうけれど、「大丈夫ですよ」と仁さん。出版社に在庫があるものであれば、基本的にどんな本でも取り寄せてくれるという。ネットを使えばいつでもどこでも欲しい本が手に入るけれど、こういう書店員さんとの小さなコミュニケーションが、思わぬ出会いをくれたりするのだ。まちから本屋が消え続けている今。日々、どこかのまちで書店が閉店するニュースを見聞きする。最近も、学生時代によく通ったお店がなくなった。さまざまな理由と事情があるのだろうけれど、身勝手に寂しい気持ちになってしまう。そして、60年以上続いてきたこのこみや書店も、仁さんの代で終わることが決まっている。お子さんは、薬剤師の道を歩んでいるそうだ。お店がいつかはなくなることへの気持ちを尋ねると、仁さんは穏やかな口ぶりでこう言った。「大丈夫。うちの子は、自分のやりたいことを見つけて、その道に進んでくれたんだから、それでいいんです。本屋は別に継いでくれなくても」仁さんは、「寂しくない」とは言わなかった。きっと、寂しさはある。でも、家族のことを第一に考えているからこそ、「大丈夫」と仁さんは笑う。「体がもつ限りはね、頑張りますよ。あと何年かな」本屋も体力勝負。最後に、何か日々気を付けていることがあるのかと聞いてみた。「別に気にしてないです。好きなものを食べて。やっぱり寿司が好きですね、寿司があれば頑張れる」この書店に流れる、穏やかでゆっくりとした時間は、仁さんの人柄がつくりだしているものなんだなあ、と確信する。目的がなくても、近くにきたらふらっと寄りたい、いい書店。本屋っていいな~と、人生で何度脳内で呟いたかわからないことを、またあらためて思うのだった。