午前10時よりも少し前。1件目の取材に向かう道すがら、同日の午後に取材予定だったイタリアンの前を通りかかった。「ここにあるのか」と思いながら、ゆっくり通り過ぎようとしたら、テラス席に小さなおばあちゃんがひとり。本を読みながら優雅にコーヒーを飲んでいるのが目に入った。あ、モーニングだ。この光景を見て、私は板橋で生まれて初めてアルバイトしたチェーンのコーヒーショップのことを思い出していた。オープンとともに、おじいちゃんおばあちゃんが続々と来店し、新聞や本を片手にモーニングを楽しむ。そんな文化があるなんて、上京するまでちゃんと知らなかったから、すごく新鮮だったことを覚えている。ここ上板橋にも、モーニングができるお店がチェーン店を中心にちらほらあり、この「イタリアンバル COCO」もそのひとつだ。上板橋駅の北口から徒歩2分ほど。セブンイレブンの目の前にある、木造りの建物が目印だ。一見夜しか営業していなさそうな、レストランらしい外観だが、朝8:00からオープンしている。水・木曜日以外は、毎朝8:00-11:00にかけてモーニングを提供。11:15-15:00のランチタイムのあとに一時休憩を挟んだのち、16:00からディナーが始まる。営業は夜22:00までと、少し短め。イタリアンバルでありながら、それぞれの時間帯ごとに色が変わるのがこのお店の特徴だ。モーニングでは、トーストやサラダ、ゆでたまごなど喫茶店のような軽食メニューを。ハム&チーズトーストとベーコン、スクランブルエッグ、ヨーグルトにミニサラダがついた、ちょっと豪華な「Bセット」がいちばん人気。もちろん、コーヒーなどのドリンクのみの注文もOK。昼のランチタイムは、ハンバーグやカレーライス、ステーキ、パスタ、生姜焼きなど。なかには、1000円以下で食べられるメニューも。しかも、すべてのメニューにスープやサラダ、ドリンクが付いてくるので、かなりお得だ。「ハンバーグ系は人気ですが、なかでも一番出るのは和風ハンバーグですね」と店長の阪元一厳(さかもと・かずよし)さん。デミグラスソースや、炙りチーズのハンバーグを抑えてあっさり和風が1位に躍り出るのはなかなか珍しい気がするが、それもお客さんの年齢層が少し高いというCOCOならではなのかもしれない。そして、夜のディナータイムにはよりぐっとイタリアン色が濃くなり、ワインに合うようなおつまみやパスタ、ピザなどのアラカルトメニューが並ぶ。人気のメニューを3つ用意してもらった。「じゃあ、とりあえず」にぴったりなのが、生ハム、チーズ、オリーブなどがたっぷりのったこちらの「前菜の盛り合わせ」。間違いのないおいしさ。2人前でしっかりボリュームがあって、満足感がある。まずはこれをちょこちょこつまみながら、ほかのお料理を待つのがおすすめ。こちらは、王道の「マルゲリータピザ」。トマトソース、フレッシュバジル、そしてチーズの相性がばっちりのピザだ。COCOのピザは、注文を受けてから焼き上げるのであつあつ。届いた瞬間に、チーズの濃厚な香りがぶわっと広がる。シンプルで飽きのこない、みんな大好きな味。生地が重くないので、ぱくぱく何切れでも食べられてしまう。そして、トマトソースのシーフードパスタ「ペスカトーレ」。いくつかあるパスタメニューの中でも人気の一品だ。ムール貝やエビ、あさりなどが入っていて旨味がたっぷり。ガーリックがきいていて、とてもおいしい。これは、「パスタで締めよう!」といいながら、またどんどんお酒が進んでしまいそう……。モーニング、ランチ、ディナー。このような三部構成になったのは、阪元さんが店長として働き始めてからなんだそう。もともと阪元さんは、同じ上板橋の北口で喫茶店を経営していた経験を持っている。大学卒業後、車やバイクなどを扱う会社に就職。しかし、変化のない日々を抜け出して新しいことを始めたいと思うようになる。そんなときにふと浮かんだのが、喫茶店を自分でやることだった。「飲食経験はまったくありませんでした。でも、カフェのようなゆっくりとした空間で仕事がしたいという気持ちが強くて。それで仕事を辞めて、1年半ほどいろいろなお店でアルバイトをして勉強をしたのちに、上板橋で自分のお店を始めたんです」阪元さんは赤塚出身の板橋人。たまたま上板橋で空いている物件に巡り合い、「よつば珈琲」という名前でお店をオープンした。しかし、なかなか思うようにいかず、2年ほどで閉じようと決断したタイミングでCOCOに誘われたのだという。「喫茶店にお昼ご飯を食べにきていたお客さんが、『店閉めるんだったらうちにおいでよ』と。それがCOCOのスタッフだったんです。喫茶店では食事も出していたから、その経験を活かしてモーニングをやってほしいと言ってもらえて。だから、お客さんに拾ってもらったみたいなものなんですよ」COCOの歴史は、阪元さんの知る限りでは15年ほど。代替わりをしながら運営していたが、阪元さんが誘われた当時は、シェフとホールスタッフだけで、責任者不在だったのだそう。そこで、阪元さんは転職早々、責任者としてCOCOの店長になったのだった。阪元さんの店長就任とともに始まったモーニングは、すべてみずからが担当。モーニング開始によって、地元のお年寄りのお客さんが自然と増えていったという。「駅上の星乃珈琲さんやモスバーガーさんなど、朝やっているお店がちらほらあって、皆さん自分の行きつけがあるんですよね。COCOにも、ほぼ毎日来てくれる常連のおじいちゃんおばあちゃんが何人もいます」毎朝のルーティンとしてCOCOに来ては、ひとりでゆっくり過ごしたり、ここで会ったほかのお客さんとおしゃべりしたり。ひとりじゃない。ここに来れば誰かいる、という安心感がきっと、おじいちゃんおばあちゃんの足をお店へと向かわせるのだろう。モーニング以外の時間帯は、以前からシェフとして働く柳澤さんとともに調理場に立ちながら、ホールも担当する。もう一つ、阪元さんがCOCOに来てから新しく始めたこと。それは、まさかの和風メニューの提供だ。たしかになんこつの唐揚げやネギトロユッケ、焼酎などもある。……イタリアンバルなのに?「とくにここ1~2年くらいで、和風の居酒屋メニューを増やしています。お客さんの声を取り入れていたら、どっちつかずになってしまって(笑)。でも、これはこれでいいのかなと思っています」イタリアンだけど、イタリアンにこだわりすぎない。喜んでもらうことを第一に、お客さんに合わせて変化していくお店があってもいいじゃないかという心意気でやっている。だから、たとえばモーニングやランチの時間帯でも「お酒が飲みたい」というお客さんがいれば、アルコール類を提供する。混雑していなければ、おつまみのオーダーを受けることも。朝8:00からやっているCOCOは、朝に仕事を終えるタクシードライバーさんたちからも重宝されているらしい。阪元さんのお客さん第一な姿勢は、こんなところにも。「お客さんからの誘いは断らないようにしています。『一杯飲んでいいよ』って言ってもらえたら、一緒に飲む。喋りたい、話を聞いてほしいとおひとりでいらっしゃる方も多いので」そういうお客さんとの関係性が、阪元さん自身も心地良いのだという。スタッフがリラックスしていることで、お客さんもリラックスしてくれる。それがわかってからは、接客にもある程度余白を持たせるようになった。たまたま流れ着くように、阪元さんがCOCOにやってきてからもう8年が経つ。喫茶店の経験が少しあるとはいえ、大変なことも多かったはず。「なぜ続けてこられたと思いますか?」という問いに、阪元さんはこう答えた。「なんででしょうね、わからないです。辞めたいと思ったことも何度もあるけれど、やっぱりお客さんの顔が浮かぶと辞められないというか。とくに、自分がすべて担当するモーニングのお客さんにはすごく良くしてもらっていますし、“自分のお客さん”という感覚があるんですよね」淡々としていて、落ち着いた印象の阪元さんだが、きっと想像以上に愛情深い人なんだろうなと思う。それも、一度自分のお店を畳んだ経験があるからこそ、なのかもしれない。「今考えれば、もっとしっかり計画立ててやっていたら、結果は違ったのかもしれません。でも、その経験を経て、今がありますからね。お店の外でも、たまたますれ違ったお客さんから『お兄ちゃん、おはよう』って声をかけてもらうことが増えたのが嬉しくて。この店で働き始めたからできたご縁がたくさんあるので、それを大事にしていきたいなと思っています」