東京メトロ副都心線・小竹向原駅から約14分散歩する。暑い日で、通りがかる家の庭木や、植木のバリエーションにわくわくしながらも、立ち止まるとなぜか汗が吹き出してくるから、横目で見ながら足早に歩いた。そんななか、通る人を歓迎するような植木が並べられているのが「蕎麦処 志波田」だった。彩り豊かな花々と、壁には手描きのイラストや「SHIBATA通信」が。《暑い日が続きますね。熱中症には気をつけて過ごしましょう!》お店を利用する人だけではなく、通りかかる人にも挨拶してくれているような丁寧でやさしい筆致だった。それでちょっと緊張がほぐれ、安心して扉を開ける。店内に入ってみると、手づくりのフェルト作品や、イラストが目に入る。誰かの実家に来たみたいな不思議な懐かしさがあった。「こんにちは、いらっしゃ〜い!」店の奥から顔を出したのは、店主の綱嶋幸子さん。壁に飾られている動物やイラストがかわいいですね、と伝えると、これらのほとんどが「推し」のファンアートなのだと教えてくれた。アイドルグループやテレビドラマ、アニメなどなど。幸子さんと、娘さんの好きなものに溢れた店内の一席に座る。取材のなかでも、幸子さんは楽しそうに「推し」の人物や作品の話をしてくれた。「推しがいないとやってられませんからねぇ」あっけらかんと明るい声だった。幸子さんのお父さんは、東京・大岡山にある蕎麦の名店「志波田」で修行した後、中板橋に暖簾分け一号店となる「蕎麦処 志波田」を開店。幸子さんが継いで、今年で56年になる。子どもが好きだったので、保育士の資格を取れる学校に進学したが、最終的に父の店に入ることに。でも、結果的には、地域の子どもと長年にわたって関係性を築くような接し方ができている。大学卒業後、志波田を継ごうと決めた幸子さんは、まずは他店で蕎麦を学ぶことにした。有楽町や北戸田の蕎麦店で働いた6年間はとても楽しかった、と幸子さんは言う。なにが楽しかったんですか、と訊くと、少し目線を上げて、微笑みながら「父が、」と思い出すように語る。「父がまだ元気だったので、職場まで送ってくれたり、迎えに来てくれたりしたんですよ。やっぱり娘だったから心配だったのかな。職場を出るとホンダのカブに乗った父がいて、どてらを着させてくれて、風を切って帰りました。楽しかったことは他にもあるけれど、思い出すのは父と走った光景なんですよね」志波田に入ってから36年。本当にいろいろなことがあったと幸子さんは言う。お店の歴史は、そのまま家族の歴史でもある。父が倒れて亡くなり、夫の病気が発覚し、母も倒れた。手伝いに入ってくれた叔父と2人で、3、4人分の仕事をこなした。近くの大学病院から出前の電話が来る。「オムライス10個おねがいします!」病院の5階まで、階段を登って出前を届けた。今よりずっと忙しく、息をつく暇もなかったが、賑やかな日々だった。天ざるを注文して、特別にキッチンに入らせてもらって、幸子さんが天ぷらを揚げたり蕎麦を茹でたりしながらお話をしてくれるのに耳を傾けていた。幸子さんは、今では一人でお店を切り盛りしている。出前のサービスも今はお断りしている。お客さんががっかりしない、そして自分も無理をしすぎない形を日々模索中だ。「天ざるお待たせしました」お盆が机に置かれる。幸子さんのやさしさで、フォトグラファーが食べる分も茹でてくれたので、蕎麦がもりもりでうれしい。天ぷらも、なすやえび、にんじんのかき揚げなどが乗って彩り豊か。天ぷらを食べると、衣がパリッ! と気持ちいい音を立てる。蕎麦は、ブレンドしているという蕎麦粉の香りがよく、夢中になってつるつると吸い込んでしまった。他にもいろいろおすすめのメニューがある。注文が入ってから炊き上げる、さつまいも、にんじん、お肉、エビなどの具材がたっぷりの釜飯。母からレシピを受け継いだ唐揚げ。地域の「ちびっこ祭り」では、かやくご飯をきゅっと握っておにぎりにして出している。これが子どもたちにはとても人気だ。幸子さんは、3年前の年末に大きな怪我をしたことがある。蕎麦をつくる機械に、誤って指を挟んでしまったのだ。その日は、娘さんと喧嘩をしてしまって、ちょっと気が立っていた。年末は蕎麦屋の掻き入れ時でもある。そんな焦りと不安のなかで起きた事故だった。「それからは、なるべくイライラしないように気をつけているんですよ」日々、お店の切り盛りも、家事もこなす幸子さん。2人の子育ても、苦労と工夫の連続だった。だから、植木に水をやっている時に親子が通りがかると、笑顔で挨拶して、時間があれば軽い世間話をするようにしている。近所の子が一人でお店に来ることもあるので、なるべく安全で、安心できるような空間をつくっている。お店の座敷席にはぬいぐるみが並んでいて、子どももきっと居やすいだろう。推しのファンアートや、店外に貼られた手書きの新聞、手入れされた植木に、机のひとつを潰しちゃうくらいたくさん並んだぬいぐるみ。それは、幸子さんと娘さんの趣味であると同時に、足を運んでくれるお客さんを癒やしたり、応援したりする意味合いもあるのだろうと想像する。取材中、幸子さんの電話が鳴る。ごめんなさいね、と断って奥に行き、2、3分ほどで戻ってくる。わたしと目があって、一度は真面目な顔をするけれど、もう耐えられない、って感じで口元を抑える。その隙間からふふっと笑顔がこぼれた。「母からでした。『取材どうだった? 私がいたほうがよかったんじゃない?』って。今日ずっとそわそわしてるんですよ」一人でお店を回している幸子さんだけど、きっと家族やお客さん、街の人と支え合いながら、相互にパワーを与えたり、もらったりしながら日々を送っているのだろう。「板橋は福祉が充実していて、お子さん連れでも、ご高齢でも、障がいを持っていても暮らしやすい街だと思いますよ」苦労を語りながらも、自分や人の幸せを願うことができる幸子さんは美しいと思った。また、幸子さんに会いに志波田に行きたい。