この日、板橋は朝からどしゃぶりの大雨。大きな傘を差していても、風に連れられた細かく鋭い雨で肩が濡れてしまうような天候のなか、成増に古くから根付いた、レンガ造りの老舗和菓子屋にやってきた。川越街道沿いにある「田中屋本店」だ。いたPayさんぽでご紹介するお店は、いわゆる“老舗”と呼ばれるような歴史が長いところも多い。先日ご紹介した板橋区役所前の「鳥新」は明治生まれの創業135年だったけれど、この田中屋本店はさらに長く、来年で170年を迎える。みんな業種も成り立ちも違うから、比べられるものではないけれど、シンプルに長さだけで言えばまた記録を更新してしまった。成増や板橋のまちにちなんだ銘菓などが楽しめる田中屋本店。一番古くからある北海道小豆100%の香ばしい「八坂最中」をはじめ、どら焼きや大福、おまんじゅうなど、素朴で懐かしいお菓子が並ぶ。安政3年創業。安政ということは、江戸時代末期である。(「安政の大獄」や、井伊直弼が暗殺されたあの「桜田門外の変」よりも前……)正確な記録は残っていないが、初代は農家をやりつつ、時代劇でよく見るような街道沿いでお団子を売るような小さなお店から始まったのではないかと言われている。本格的な和菓子屋になったのは、4代目から。現在、お店を切り盛りする7代目・田中宏信さんのひいおじいちゃんが商人に転身し、今のスタイルになった。「6代目にあたる私の母は一人娘で、当時はほかに職人さんもいたので、父は婿養子として経営側に入ったそうです。でもそのあと職人さんが独立したり辞めたりして、父が自ら和菓子づくりをしなければならない状況になってしまって。苦労したみたいですね」サラリーマンから一転、和菓子職人へ。学校で学び、代々受け継がれてきたレシピをもとに田中屋の味をつないだ父・佳昭さん。宏信さんが生まれた頃には、家にはあんこを煮ている匂いや、焼き菓子の甘い香りが常に漂っていた。それがあまりに日常的すぎて、子どもの頃は和菓子よりもケーキの方が好きだったという。それでも、父がたまにお菓子の切れっぱしをくれるのは嬉しかった。「母が厳しかったので、『お店のものを食べたいなら、おこづかいで買いなさい』と言われていたんです。お父さんが一生懸命つくったものだからって」丹精込めてつくられたものを前に子ども扱いしない、かっこいいお母さんだ。これだけ歴史があるお店となると、継承することへの重みや責任も大きそうだが、しかし、佳昭さんは宏信さんに継ぐことを無理強いしなかったという。当時、宏信さんは毎日が野球漬けの高校球児。名門大学への推薦も決まっていたが、卒業後の進路を考えるとそのまま野球を続けるべきなのか、ひとつの選択を迫られることに。そして、宏信さんは一般大学に進学し、和菓子屋を継ぐことを決めた。「プラモデルとか、ものをつくるのはもともと好きだったんです。だから、大学4年間はサークルや旅行とか思い切りやりたいことやって、そのあとは和菓子屋をやるか、と」大学卒業後、同じ板橋区の和菓子屋さん仲間の縁で、日本の名工にも選ばれた青森の師匠のもとへ修行に。想像以上に雪深い自然の中で、およそ4年間。「腕がなくてもとにかくどんどんつくってみろ」という方針のおかげもあり、宏信さんはどんどん知識や技術を吸収し、和菓子づくりの腕を磨いていった。修行を終えたあと、しばらくは父・佳昭さんとともに2人体制でお菓子づくりをしていた宏信さん。そのときから、時代の変化に合わせて、今までのレシピを変える試みをおこなうことに。甘さを控えめにしたり、くちどけの良さにこだわったり。江戸時代から代々受け継がれてきた味を変えるというのは、ちょっと、いやかなり勇気がいりそうなもの。今までの味に馴染みのあるお客さんも多いだろうし、ファンが離れてしまうのでは……?と思いながら聞くと、宏信さんは「当時は考えなかったですね」とあっさり。「一時期は分担して、親父は親父、私は私でそれぞれの味で大福を2種類出したりとか。どちらが売れるかちょっとした競争みたいな感じでしたね。それで、バランスを見ながら調整していきました」では、今の田中屋らしい和菓子とは何か。こだわりを聞くと、少し意外な答えが返ってきた。「そんなたいそうなこだわりってないんですよ。どこのお店でも、おまんじゅうをつくるには、あんこの糖度はいくつ、とある程度決まっている。基本、レシピというのはほとんど変わらないんです。そのなかでこだわるとしたら素材ですよね。ただ、うちは板橋のまちで1個150〜200円くらいで販売している。その値段を守りながら、最大限こだわった素材を仕入れています」そう、田中屋のお客さんは、ご近所の人や学校帰り、もしくは塾に向かう学生さんたちがほとんど。ほっと一息つくお茶の時間に、塾でもうひと頑張りする前の糖分補給に。都心で高級和菓子として販売するならいくらでも素材にこだわれるけれど、そうもいかない。まちの人たちに1個から気軽に買ってもらえる価格と、それに見合う一番いい素材を見極めることも、宏信さんの大事な仕事なのだ。「もちろん、和菓子屋のプライドとして、大量生産にはない手づくりならではのおいしさにはこだわっています。スーパーの野菜に農家さんの写真が載っているみたいに、誰がつくったのかがわかる安心ってあるじゃないですか。ここに来れば私がいて、『このおじさんがつくったんだ』とわかってもらえるのもいいのかなって」そうやって、宏信さんが一つひとつ丁寧につくった魅力的な和菓子が、毎日店頭に並ぶ。学生さんたちが、学校帰りに「今日はどれにしようかな?」と悩む姿を想像すると、ちょっとほっこりする。ひょうきんな表情をしたうさぎのデザインが可愛い「すきっぷ通り」は、板橋のいっぴんにも選ばれたパイ生地のお菓子。駅前の「スキップ村商店街」にちなんで名付けられた、成増の代表銘菓だ。4種類あり、バターの香りがいっぱいのパイ生地に、それぞれかぼちゃ、くり、おぐら、くるみのあんがずっしり入っている。手土産にもぴったり。まんまるな形が可愛い「どら焼き」は、お店の鉄板で一個一個手焼きされている。「うちは、焼き色をちょっと濃いめにしています」と宏信さん。某国民的アニメのどら焼きこそが理想ということで、あえてこんがりさせているのだとか。香ばしい香りに、やさしい甘さのあんこがぴったり。どら焼きを食べると、ほんのり懐かしい気持ちになるのは、なぜだろう。子どもの頃にしょっちゅう食べたわけでもないのに。定番商品だけでなく、宏信さんが新しく始めた商品もたくさんある。「和菓子の歴史は長いので、まったく新しいものをつくるというのは難しいんですよね。だから、あんの味をちょっと変えてみたりとか。夏場は水まんじゅうを出すんですが、今年はいちごあんとラムネあんにしました。その売れ行きを見て、また翌年どうするか考えます」ラムネあん……? この“想像できない味”こそが宏信さんの狙い。ぜひ買って試してほしいという気持ちで、好奇心をくすぐるようなちょっとユニークな和菓子も用意している。この日店頭に並んでいた「レモン水ようかん」も気になる……。宏信さんがつくっていて一番楽しいと話すのは、生菓子。あんこを練って切った、繊細なお花の形とグラデーションが美しい生菓子。およそ2か月ごとに、新しいものに変わる。繊細な手仕事だからこそ、つくり手の心の状態があらわれてしまう。100個つくるとなったら、その100個すべてを同じクオリティにする。それが一番難しいのだそうだ。宏信さんは3色のあんこを手際よく練り、気づいたら小さな菊が咲いていた。魔法みたいだ。「私の一番の原動力は、『おいしい』以上に、『きれいね』って言われることなんです。『おいしい』は、人それぞれの味の好みによるけれど、『きれい』はより感覚的なものだと思うから、嬉しいですね」それをモチベーションに、宏信さんは日々和菓子をつくる。決して儲かる商売ではないから、4人いるお子さんたちにも継いでほしいとは言わない。「店を続けているのはもう、“文化の継承”のためでしかないです。これからお店がどんどんなくなっていったとしても、和菓子屋というものがあったんだよ、ということは未来に残ってほしいなと思うので」田中屋は来年で創業170年の節目を迎える。すごいことだ。でもきっと、宏信さんはただ実直に和菓子をつくりつづけるのだろう。お客さんからの、「きれいですね」の言葉を力にして。