シェフの川島紀彦さんは、食べることが好きだった。群馬県の大泉生まれ。子どもの頃から体格に恵まれ、よく食べた。母がつくってくれる料理が、とてもおいしかったから。家族でのたまの外食も楽しみだった。地元の老舗洋食屋の「アリンガ」がお気に入りで、注文するのは決まってハンバーグ。おいしそうなパスタやオムライス、ステーキが並んでいても、やっぱりハンバーグがとくべつ。お店の味も雰囲気も大好きで、自然と憧れを持った。工業高校に通いながら、強豪校出身の先生のもとでバスケットボールに励んでいた頃、世の中では料理をテーマにしたバラエティ番組やドラマが人気を博していた。田舎を出て、東京で料理をやりたい。もともとあった憧れがより強くなり、川島さんは料理の専門学校へと進む。きっと、シェフになるべくしてなったであろう川島さんの料理人生は、こうして始まった。「洋食専門店かわしま」。大山駅北口から徒歩4分ほど、遊座大山商店街に2019年にオープンした洋食屋さんだ。おいしそうな洋食の写真が並ぶ看板が目印、お店は階段を上がった2階にある。平日は近所で働く会社員の方で賑わう。ランチ時に食べられるのは、ちょっと懐かしい雰囲気の洋食メニュー。ハンバーグをはじめ、生姜焼きやスパイシーポークカレーなどなど。日替わりランチや、数量限定メニューもある。ハンバーグ好きの川島さんがつくる自慢の「粗挽きハンバーグ 目玉焼き添え」は、粗さの違うひき肉を使用。だから、お肉の存在をしっかり感じられてとてもおいしい。みじん切りの玉ねぎを使った特製ソースはにんにくが効いていて、これがまた食欲をそそる。「もともと焼肉のソースがベースなんです。前に働いていた職場の会長がBBQ好きで、『ソースをつくれ』と言われて試行錯誤したのがこれ。ハンバーグにもいけるなと思って」ディナータイムになると、カジュアルなバルのような雰囲気に。「ホホ肉のワイン煮込み」や「鮮魚のポワレ」など、ディナー限定の本格的な一品料理も楽しめる。洋食をメインにしながら、イタリアンやフレンチなどの要素も垣間見えるメニューには、川島さんのこれまでのキャリアがぎゅっと詰まっている。「専門学校時代は和食、中華、洋食とそれぞれ学んだなかで、やっぱり洋食がいいなと。イタリアンとフレンチは繊細なイメージが強かったけれど、洋食だったら味のブレも主張もそこまでないし、自分に向いていると思ったんです」専門学校卒業後は、新宿の某有名老舗洋食屋に就職。その後は、食堂やワインバルなど、さまざまなお店を経験してきた。そして、川島さんは28歳のときに、ひょんな出会いから洋食からフレンチに一度転向している。働くことになったのは、お客さんとして通っていた西新宿のフレンチレストラン「パリ4区」。オーナーシェフの川久保さんと顔見知りになったのをきっかけに、初めてフレンチの世界に飛び込んだ。しばらく働いたのち、今度は「ブラッスリー・モリ」で雇われシェフに。「ブラッスリー・モリ」と言えば、板橋では名の知れた名店。下板橋にある本店の建て替えで、一時的に大山で仮営業することになり、オーナー同士親交のあった「パリ4区」の川久保さんが推薦してくれたのだという。それから1年半ほどの仮営業を終え、川島さんが独立という形で、この場所をそのまま引き継ぐことになった。それが、今のかわしまである。もとはといえば、板橋にほとんど縁がなかった川島さん。「導かれるように板橋に来たんですね」と言うと、「本当にそうですね」と笑った。「実力はまだまだですけど、タイミングやお金関係がなんとか上手く一致して、自分のお店を持てたという感覚です」と、あくまで謙虚だ。川島さんが最初に思い描いたのは、「誰もが入りやすいまちの洋食屋さん」。“かわしま”とひらがなの表記にしたのは、ブラッスリー・モリ時代のスタッフさんの意見なんだとか。まあるい輪を囲むように、牛と豚とにわとりが自由にたたずむロゴも可愛らしい。かわしまのこだわりは、手づくりであること。そして、魚介類などを豊洲市場から直接仕入れていること。食材を運んできてもらって、“豊洲市場直送”と謳うお店は多いけれど、ここでは川島さん自身が週に2回、市場に実際に足を運んで仕入れをしている。仕入れの方法は、過去に働いたワインバルで教わった。その経験を武器に、フライにするエビや魚、小鉢用のマグロなどを買うのに、大きな市場の中でも一番適したところから仕入れることができる。自分で店をやる以上、懸命に磨いてきた料理の技術にはもちろん自信がある。その上で、「ほかの洋食店ではやっていないことを」という思いから始めたこの仕入れは、今ではすっかりルーティンになった。体力的にしんどいこともあるが、自分で決めたことだから手間は惜しまない。この日は食べられなかったが、仕入れた魚介類をふんだんに使った「豊洲ランチ」は、かわしまの名物メニュー。エビフライやカニクリームコロッケ、サラダなどのワンプレートに、マグロの山かけ小鉢、ご飯、味噌汁がついてとっても豪華。数量限定&仕入れ状況によって内容が変わるので、もし遭遇できたらぜひ食べてほしい。ワインを提供するにあたっても、若手時代にホールで働きながら学んだときの知識が活きている。自家製のデザートだってそうだ。川島さんにとってこのお店は、さまざまな経験のなかで培ってきたものたちの集大成。何も無駄だったことなんてないし、この先も満足せずに理想を追い求めていく。「教わってきた基本の型があって、それ自体は大切にしながらも、自分の個性を出したい。おいしいのはもちろんだけど、できるだけ唯一無二でありたいと思うんですよね」唯一無二であろうとすること。それは、同時に自分らしさを探究しつづけることでもある。もしかしたら、ただ“おいしい”を極めること以上に、負荷がかかることかもしれない。自分と向き合いつづけるのは、体力的にも精神的にもパワーがいる。「メニューを考えるにも、なかなか決まらなくて悩んだりとか」と川島さん。そのあとに続けたのは「でも楽しいんです」という言葉だった。「考えることが好きなんでしょうね。答えが出なかったり、上手くいかないことがあったりして苦しいときもあるんですが、そのぶんやりがいに繋がっているのかなと思います。少なからず来ていただいているお客さんがいますし、その信頼を守りたいなあと。自分を信じて、ぶれずにやっていきたいですね」川島さんが目指すのは、お客さんから「間違いないね」と言われる店。かわしまは、いつ行ってもおいしい。そう思ってくれる人たちの信頼を守るためにも、考え、動き続ける。最後に、川島さんは「よかったらどうぞ」と、私たちにデザートを出してくれた。お手製の「ヌガーグラッセ」。アイスともまた違う、ふわふわと軽やかなくちどけの南フランス発祥の冷たいデザートだ。甘夏のピール(皮)が入っていて、すっかり過ぎ去ってしまった夏を思い出させる、とても爽やかな味わいだった。デザートまでおいしい洋食屋さん、かなり理想的である。