どことなくヨーロッパの雰囲気を感じる、淡いブルーが印象的な建物。「エムズファクトリー バルビゾン」は、ドライフラワーのアレンジメント教室であり、花材や作品を販売するアトリエだ。思ったよりも重いガラス扉をぐいっと開けると、視界がカラフルな植物でいっぱいになる。天井にも、壁にも、足元にもとにかく花、花、花。花で溢れている。「入口の扉、重かったでしょ。美術館のガラスと同じ素材で、紫外線を完璧にシャットアウトしてくれるんですよ」オーナーの安齋正一さんは、そう話す。なるほど、ドライフラワーにとって紫外線と湿度は大敵。湿度は一年を通して30%以下になるようにコントロールし、照明もすべてLEDライトにしているらしい。それにかかる電気代は、必要経費である。ここで安斎さんは、ドライフラワーのアレンジメント教室をやりながら、日々自分の創作を続けている。壁に飾ってあるのは、安斎さんが実際につくった作品たちだ。値札がついているものは、その場で購入もできる。このアトリエと別に、近所に乾燥室とストックルーム、そして植物を育てる畑も持っている。高島平の花市場で競りに出て仕入れた花だけでなく、切り花として存在しない植物は自分で育て、花材にしている。「これもそう。『オレガノ・ケントビューティー』という観賞用の多年草ですが、切り花として売られることはないので、自分で育てています。ビルの屋上でやっているんだけど、そこには僕と鳥と虫くらししか来ません」時には、山に出かけ、そこにしかない高山植物を採りに行くこともある。ドライにできる美しい植物がないか、安斎さんは常にアンテナを張り続けている。「実際やってみないとわからないですからね。どんな変化が起きるか見ながら、花材に使えるか考える。花にとっては迷惑かもしれないけれど、僕に目をつけられたらとりあえず干されちゃいますよ」仕入れ、もしくは収穫をしたら、その日のうちにドライの作業に取り掛かる。新鮮なうちに丁寧にさばき、一本一本ワイヤリングをしていく。花同士の距離をつくっておかないと、きれいな花形にならないからだ。そして、完全に紫外線を遮断し、適切な湿度に保たれた乾燥室でドライする。ここのドライフラワーたちが生きているときと変わらない鮮やかさと美しさを保っているのは、このスピード感と繊細な作業があってこそ。「色素って面白いんですよ。乾燥させると色素が凝縮して、色が濃くなる。だから、鮮やかな赤いバラのドライフラワーをつくりたかったら、朱色のバラを使うんです」「面白いところだと、こんなものもありますよ」と安斎さんが見せてくれた青みがかった濃い紫色のドライフラワーは、「ブルーダイヤモンド」という名前の八重咲のチューリップ。生花のときは赤味の強い紫色をしているが、ドライにする過程でブルーの色味がぐっと強くなる。そもそも、チューリップは水分量が多く、一般的にドライにするには不向きと言われている。実際、手間がかなりかかるため、手がけているお花屋さんも少ないらしい。それをこれだけ美しくドライにし、生花とはまた違った新しい魅力を教えてくれるのが、バルビゾンなのだ。はじめからドライフラワーに興味があったわけではなかった。大山で大きな八百屋を営む家に生まれ、子どもの頃から手先が器用だったという安斎さん。絵を描くこと、料理、ヘアカットまで、自分の創造性を発揮できるものなら何でも前のめりに取り組んだ。家を出たいという一心で、現金4万円とわずかなツテを頼りに、18歳で単身パリに渡った。「ここに行けばきっと働かせてくれる」と知人が紹介してくれたバーで歌をうたいながら、イタリアンとフレンチの厨房のバイトを掛け持ちし、さらには美術と語学の学校に通う生活を送っていたのだという。「家出するつもりだったんですよ。パリまで行ってしまえば、親も当分追いかけてこられないだろうなって(笑)。今振り返れば、よくそんな無謀なことができたなと思いますけど」朝、パリの街並みを眺めながら、マルシェに行って花や食材を買う。そんな日々が、安斎さんにとっては幸せで仕方なかった。「叶うことならずっと生活していたかった」というが、やむを得ない事情で2年と少しで日本に帰国。そこから18年近く、安斎さんはなんと知人の紹介でイタリアンのシェフとして働いていたらしい。周囲からは独立を勧められていたものの、飲食店の体力的なハードさを感じていた安斎さんは、再び美術の世界を追い求めることに。そこで出会ったのが、ドライフラワーだった。パリにいる頃から、フラワーデザイナーの仕事には関心があった。でも、安斎さんが選んだのは生花ではなくドライフラワー。それは、なぜだったのか。「ドライフラワーのいいところって、生花と違って時間と水の制約がないぶん、いろいろな工夫ができることなんですよ。使う花器も自由。よりアート性の高い作業ができるというのかな」たしかに、水の入った花瓶にいける必要のある生花に比べ、ドライフラワーは吊るしたり、リースにしたりもできる。もともと好きだった、時間の経過を感じさせるヨーロッパのアンティーク調のものとの相性も良かった。そこから安斎さんは、ある先生のもとで学びながら、作品づくりにのめり込んでいく。安斎さんが大事にしているのは、植物本来の生命感と、ほかにはない独創性、そして全体を貫くストーリー性だ。「デザインをつくること自体はそこまで難しい作業ではないんです。それよりも、いかにフォーカルポイント(=焦点)を外して、自然界の景色に近いものをつくれるか。とくに日本人は安全を選びやすいので、どうしても型にはまった図形っぽいものになりがちです。それをとにかく壊して、壊して、再構築したときに、初めて人の手の匂いが消えるんです」あえてバランスを崩した上で、作品として成立させる。そのためには、とにかく練習し、感覚を養っていくしかないのだという。また、安斎さんは花器も自らデザインしている。大事な相棒だというお絵描き帳には、今までにない花器のアイデアがたくさん描かれていた。リースなどで使うワイヤーひとつとっても、時間をかけてアンティークらしい色味、質感にするというこだわりぶりだ。「みんなと同じものをつくっていてもつまらない。そういうものは、結局消費されて残っていかないですから」安斎さんの作品づくりを支えているのは、パリでの生活で養った感性。それに加え、日頃からたくさんの映画を観て、たくさん美術館に足を運んで、たくさん自然の中に身を置くようにしている。長年やってきた料理や趣味の釣りだって、安斎さんにとってはインスピレーションを生む行為なのだ。そして、講師の仕事も大切な時間のひとつ。火曜日以外は、毎日体験レッスンやスクールを開講している。生徒さんは、フラワーアレンジメント初心者の主婦の方から、自分で教室を開いている方まで、幅広い。ここから巣立って、ドライフラワーの作家になった生徒さんもたくさんいる。「教えるのが、やっぱり自分にとって一番勉強になるんですよね。僕自身、これだけアレンジメントを続けていてもミスをすることがあるんです。それに気づけるのも、生徒さんたちに教える時間があるから。だから僕は、倒れるまでいち講師でいようと思っています」ドライフラワーの仕事を始めて、20年以上が経つ。それでも、安斎さんのアレンジメントへの探求心は、とどまることを知らない。「こういうものをつくりたいという構想やアイデアは、頭の中に常に50〜60個はあるんです。でも、それを形にするには、自分のテクニックや考え方をもっと醸成させたり、変化を起こしたりしないといけない。それを一つひとつ実現させていくのが、今の僕の夢ですね」たとえ道のりは険しくても、自分が好きだと思えるものはどこまでも突き詰めていく。慢心せず、どうしたらできるかを考えて、ひたすら手を動かしていく。結果、何でもできちゃうのは安斎さんのすごいところだけど、その過程一つひとつに意味を見出して前向きに楽しめるのが、人としての強さだと思う。「この年になってわかるけれど、物事ってたぶん、遠回りした方が楽しいんですよ。努力せずに簡単に手に入れたものって、簡単に大事じゃなくなるから。反対に、頑張ってようやく手に入れたものは、ずっと大事にできる。だから、今のこの仕事が好きだし、続けていきたいと思えるんですよね」