サーフィンと聞いて、どんなイメージを抱くだろうか。山に囲まれた海なし県に生まれ育った私にとって、東京に来るまでサーフィンもサーファーも、映像や漫画の中でしか見たことがなかった。それこそ、「ちょっとチャラい人たちがやるもの」というイメージだったように思う。しかし、2020年の東京オリンピックには、五輪競技として正式に採用されたり、大人になってできた友人の中にはサーフィンを趣味にしている人もいたりして、以前より身近に感じるのは間違いない。とはいっても、結局は遠い世界のことだ。そういえば、海にすら久しく行っていない。そう思っていたのに、「BARCE SURF(以下、バースサーフ)」の取材を終える頃にはすっかり興味が湧いてきた。それは、オーナーの大月さんの話が、とっても面白かったから。浅黒く焼けた肌にロマンスグレーの短髪、そして顔いっぱいに笑うこの男性が、バースサーフのオーナー・大月久さん。ワイルドな風貌ながら、にこにこした笑顔には人の良さが滲み出ている。1991年に西台でオープンしたこのお店は、都内全域で見ても老舗のサーフショップだ。最新のサーフボードやスーツなどをはじめ、アパレルや雑貨などを扱っている。バースサーフオリジナルのサーフボードも人気で、サーフィンを愛する人たちが板橋区内からやってくる。サーファーはチャラい。そのイメージは、ひと昔前であればあながち間違っていなかった。1970〜80年代にかけて、日本では暴走族の若者たちがサーフィンを始めるというのがトレンドだったらしい。さらに、当時若者向けのサーファーファッションや文化をテーマにした雑誌『Fine』が創刊され、よりおしゃれな若者カルチャーとして根付くようになる。バイクで一緒に走り回っていたヤンチャな仲間たちと、朝方に何台もの車を連ねて海に向かう。若き日の大月さんもそのひとりだったと、少し恥ずかしそうに教えてくれた。板橋区・徳丸に生まれ、仲間にならって19歳からサーフィンを始めたが、何度か海に行くうちにその過酷さを思い知ることになる。「僕らもいきがって海に行くんだけど、まずサーファーの人って身体が強いのよ。胸筋も腹筋もすごいし、首も太くて、喧嘩すると負けちゃうの(笑)。しかも、板の上に乗りながら自分の手で漕いで沖に出て、そこから波待ちをして乗るって、めちゃくちゃ難しいんですよ。そのあまりの過酷さを知って、『ああ、チャラチャラしてたらできないんだなあ』ってわかったんだよね」その後、大手精密機器メーカーの営業マンになった大月さん。サーフィンは趣味として続けていたが、30歳手前にはやめるつもりだったという。サーフィン=若者の遊びというイメージが強かった当時、30代に入っても続けるのはみっともない、という空気感があったからだ。しかし、28歳のときに転機が訪れた。よく通っていたサーフショップのオーナーさんが店を閉じることになり、そこを使ってお店をやることにしたのである。それが、バースサーフの原点だ。「当時は、家を買う頭金くらい稼げたらいいなと思っていました。だから、副業として3年くらいしかやるつもりがなかったんですよ」そんなことを言っていたら、今度は世界的なサーフィンブームが到来。カリフォルニアから伝説的なサーフスターが出現し、サーフィン人気がさらに加速することになった。ようするに、大月さんはナイスすぎるタイミングでブームの波に乗ったのだ。「その波に乗っちゃったら、あっという間に10年、15年経って、もうやめられなくなっちゃったんですよ(笑)。多いときは、この辺りだけでも、サーフショップが10軒くらいありました」最初に引き継いだ店舗から、今の建物に移転してきたのは13年ほど前のこと。それも、もともと一緒にサーフィンをやっていた後輩から、「マンションを建てるからこっちに移ってきたら?」と誘われたらしい。バースサーフでは商品の販売だけでなく、お店主催のアマチュア大会も年に2回、春と秋に開催している。春に行うのは、大会を目標に、オフシーズンである冬場にもしっかり練習してもらうため。全国大会に向けた予行練習として、バースサーフ主催の大会に出る選手もいる。驚いたのは、今のサーフィン人口のボリュームゾーンは、40〜60代であるということ。「30までやっているなんてみっともない」。そんな時代は終わり、むしろ20代で一度辞めたのちに子どもの成人とともに戻ってくる、「カムバックサーファー」なる人たちが増えているらしい。「海行くとさ、僕みたいな白髪のおじさんなんか当たり前にいるもんね。でも、みんな頑張ってるんですよ。最初は太っていたおじさんが、ここにカムバックサーファーとして来るじゃない。1年、2年と続けるうちにどんどんスリムになっていくの。自分のできなさに気づいて、ジムに通ったり、たばこやお酒を辞めたりとかして。やらされているわけではなくて、自分からやりたくなっちゃうんだよね」彼らが20代の頃に比べれば、サーフグッズの性能も品質も進化していて、“カムバック”するハードルは低い。そして、上手くなりたいからと、日々練習や基礎体力づくりに励む。そこから大会に挑戦する人も少なくない。なるほど、聞く限りいいことしかない。頑張り次第では、年を重ねても楽しめるスポーツであるということだ。ただ、そういうものはほかにもきっとある。あらためてなぜ、サーフィンなのか。どっぷりとハマってしまう魅力は、どこにあるのだろうか。すると、自身も63歳で現役サーファーである大月さんは言った。「やっぱり難しさじゃないかな」と。「沖にいく、波が来る、戻される。それでもなんとかして沖に出る。ちきしょう、負けねえぞって。コントロールできない自然を相手にしながら、結局自分の力で乗り越えるしかないんですよ。そういうのって、仕事や人生も同じじゃないですか」がむしゃらに立ち向かえばいいというわけではない。努力をしてもその方向性が違えば、上手くいかない。挑んでは戻されてを繰り返すなかで、波に合わせるコツを掴む。その過程が、肉体も精神も鍛えてくれる。上手く波に乗れたとき、大きな喜びがある。さらに、大月さんは嬉しそうにこう続けた。「海で自分の体の上から波がパーッて落ちてくると、母なる海がさ、自分の嫌なものを全部受け取ってくれたみたいな感覚になるんだよね。60歳過ぎてもまだ感じるんだよ」その言葉を聞いて、経験もないのに目の前が晴れていくような心地がした。そういえば、全身で自然と対峙するなんてこと、久しくしていない。サーフィン……ちょっとやってみたいかも。生まれて初めて思った。大月さんは今も、お店の定休日である水曜日と、日曜日に海に出かける。日曜は朝から海に行って、午後からはお店に出る。車の移動だけで往復3時間。でも、その時間が至福なんだという。そんな大月さんがこの店を続けるモチベーション。それはちょっと意外で、でもすごくしっくりくる答えだった。「僕はたぶんね、学校の先生になりたかったタイプなんですよ。初心者から始めた人たちが、一緒に伴走していくうちにどんどん上手くなっていくのを近くで見られるのが嬉しくて。ただものを売るだけじゃなくて、その人の人生のサポートをできるのが一番幸せなのかもしれない」そういえば取材に訪れたとき、若い男性が大月さんと談笑をしていた。24歳だという彼もまた、初心者から始めて、大会で4位にまでなったらしい。3位に届かなかったことを一緒に悔しがり、練習メニューを見直してまた海やスケートボードのパークに行く。大月さんは定休日や営業時間外を、こうしたお客さんのサポートにもあてている。何でもネットで手に入る時代に、こういう地道な人と人のコミュニケーションやサポートを通して、バースサーフは続いてきたのだ。なぜかお店の中に置かれた折り畳みテーブルと椅子が、ここがコミュニティの場でもあることを物語っている。取材終わり、「もし時間があるならコーヒー飲んでいく?」と大月さんが誘ってくれた。撮影をしてくれたカメラマンはじつは趣味でサーフィンをやっていて、大月さんの話を聞きながら何度も大きく頷いていた。「大人になって、あんなできないことってあるんだなって」「本当にそうだよね。めちゃくちゃ悔しいよね」「タイミングを掴めるかどうかも自分次第で、まさに人生だなって思います」やっぱり、サーファーだからこそ分かち合える感覚があるのだろう。サーフィンという共通言語をもって語れるふたりが、何だかうらやましくなった。何より、大月さんと話しているとこちらまで元気が出てくる。これからサーフィンを始めたくなった人、もしくは“カムバック”したくなった人は、ひとまずバースサーフの大月さんを訪ねてみるといい。年齢も性別も関係ない。人生にサーフィンがあれば、きっと生きるのがもっと楽しくなる。