東京と埼玉の境目。少し歩いた白子川の向こう側は和光市、という場所に「中華料理 西遊記」はある。お店を営む有馬夫妻は、ふたりとも中国出身。妻の由依さんが店長を務めている。中国人のコックさんが腕をふるう本格的な中華を、手頃な価格で食べることができるとあって、ご近所の会社で働くサラリーマン、近隣のお店の人たち、一人暮らしをしている学生さんなど、さまざまな人が西遊記にやってくる。チンジャオロース、ホイコーロー、豚肉と玉子炒め……。メニューの文字と写真を見るだけで、おなかが空いてきた。ランチタイムの定食は、メインの一品に加え、ご飯、スープ、サラダ、おしんこに、デザートの杏仁豆腐付き。物価高の時代にも関わらず、これだけのボリュームの定食が1000円以下で食べられる。「しかもご飯は大盛無料なの!はっはっは!」と由依さんは豪快に笑う。これは、はらぺこの民にはありがたすぎる。「お米は茨城の農家さんから直送してもらっています。知り合いのお米屋さんから紹介してもらって、もう十数年のお付き合いです。いろいろ試したんだけど、やっぱりここが一番味にもブレがなくておいしかったから」王道の麻婆豆腐は、やっぱり人気メニュー。カメラマンが“麻婆豆腐好き”であることを伝えると、「本当?うちの麻婆はたぶんおいしいと思うよ」と由依さん。一口食べさせてもらうと、決してヒーヒー言ってしまうような辛さではないのだけど、たしかに山椒が効いていてぴりりと痺れるおいしさ。「とにかく辛さ命!(もはや味がわからない)」みたいな麻婆豆腐もあるが、これは辛さを楽しみながら食べられていい。そのうち、身体がじんわりと温まってきた。▲麻婆豆腐が上にのった「麻婆麺」も。ご飯と合わせるのとはまた違ったおいしさが味わえる。「日本では、塩よりも醤油や味噌系の味付けが好まれるんですよね。だから、うちではとくに醤油ベースが多いんです」立ち上げ当初、中国人のコックさんと旦那さんが試行錯誤するなかで辿り着いた、このお店ならではの味。どこか懐かしいと感じる味わいの秘密は、そういうことらしい。作り手によってブレることなく安定した味を提供するために、一品料理や丼などそれぞれのベースになる自家製のタレをつくり、料理に使っているのだそう。「ニラレバ炒め定食」も、由依さんのおすすめのひとつ。「レバーが柔らかくておいしいんですよ。レバニラが好きな人だったら、きっと気に入ってくれると思います」中華料理屋さんに来たら、さんざん悩んだ挙句に結局いつもニラレバ炒めを選んでしまう私は、有馬さんの言葉でやっぱりニラレバ炒めを注文。臭みのないレバーはたしかに柔らかくて、するんと食べやすい。味付けもちょっと濃いめで、とても好みだ。(ご飯は普通盛りでも多めで、食べきれないかも……と一瞬不安に思ったけれど、気づいたら無事完食)グランドメニューを見ると、「パイコーカレーチャーハン」というあまり馴染みのない文字が。じつはこれが、西遊記のちょっとした名物メニューらしい。カレー味のチャーハンの上に、揚げたお肉がどっさり。パイコーとは中華風トンカツのことで、お肉の衣にもカレー粉をまとわせているのだそう。これがまたやみつきになるおいしさ。ほんのりスパイシーだが辛さは控えめなので、お子さんでも食べられそうだ。ボリュームがあるので、みんなでちょっとずつシェアして食べるのもいい。「これが、結構評判がいいんですよ。ハマっちゃって、パイコーカレーチャーハンを食べるためにお店に来るお客さんもいるくらい!」明るく朗らかな由依さんは、中国の上海生まれ。上海のホテルで働いていたとき、日本から訪れる観光客を見て、海外で働きたいという憧れを抱いたのだそう。その後、留学生として日本にやってくると、由依さんはその魅力に心惹かれていく。「私が日本に来た1988年当時、日本はバブル期ですごく活気があったんですよね。渋谷109の下でアルバイトしていたんだけど、賑やかだし、勢いがあるし、上海と全然違うなって。『日本いいじゃん!』と思いました」最初は慣れない食事にこそ苦労をしたが、すっかり日本が好きになった由依さんは、大学を卒業して大手不動産企業のホテルマネジメントの会社で10年間、会社員として働いた。そのなかで、同じく中国出身の旦那さんと結婚。旦那さんが西荻窪で始めたデリバリー専門の中華料理屋「孫悟空」が、「西遊記」として中野で店舗を構えることになったタイミングで、由依さんも店長として働き始めたのだった。その後新宿、成増、中板橋と店舗を展開してきたが、今は成増店のみ営業している。……さらっと書いたが、とにかく由依さんの行動力がすごい。そもそも言語の違う国に単身やってきて、会社勤めをして、未経験のお店の経営までやるなんて、苦労したことや辛かったこともたくさんあったはず。実際、「いろいろ挫折しながら今までやってきました」と由依さんは言う。とくに、コロナ禍は大変だったそうだ。それでも、中国人のコックさん2名と、日本人のアルバイトさんたちと助け合いながら、最後に残った成増店を大切に繋いできた。「信頼するスタッフたちに助けられています」と由依さん。「今は規模を広げることにこだわらず、ひとつの店を丁寧にやっていくことが大事だなと感じています。この成増店もオープンからもう17年。このエリアの中華料理店としては、地域の方に認識してもらえているんじゃないかな」8割が常連さん。広々とした空間が、地元の子どもたちのスポーツチームの打ち上げや、商店街の新年会などにも重宝されている。背伸びはせず、身近にある地域の繋がりを大切にしながらコツコツとやっていく。それが、今の西遊記らしい在り方なのだ。「お客さんからもらう、『おいしかった!また来ます』の一言が、本当にありがたくて。それがあるから、これからも頑張って続けていこうと思えるんですよね」ちなみに、日本に来た当初はかなり抵抗があったというナマモノも、「今ではおいしくてしょうがない!」と笑う由依さん。最初はびっくりしたとしても、徐々に適応していくのだから、人間の身体はすごい。それを聞いて、今まで食わず嫌いでなんとなく避けていた中華のメニューも、このお店で挑戦してみたくなった。でもさんざん悩んだ挙句、結局間違いのないレバニラ炒めをまた頼んでしまいそうだけど。