「なんだかもう必死でね。子どもたちが大人になるまでは、なんとか頑張りたいと思いながらやっていたら、28年になっちゃった」平成10年オープンの「やなせ庭(てい)」。もう結構長いんですね、と言うと、オーナーの見澤勝さんは笑いながら、少しだけ遠くを見た。その数秒の間、見澤さんの頭にはいったいどんな場面が浮かんでいたのだろう。東武東上線 成増駅から徒歩5分。地下鉄の成増駅からも同じくらいの場所にあるやなせ庭は、落ち着いた雰囲気でお好み焼き・もんじゃ焼きを楽しめるお店だ。ビルの入口からはなかなか想像ができないが、地下に向かって階段を下りるとゆったりとした空間が広がる。カウンター、テーブル、座敷あわせて45席。10人ほどが入れる個室もあって、平日からたくさんの人で賑わう。ここで食べられるお好み焼きは、いわゆる関西風。生地と具材を混ぜてから焼くのが特徴で、生地にもふっくらと厚みがある。やなせ庭では、席に備え付けられた鉄板でお客さんが自分で焼いて楽しむスタイルだ。成増で生まれ育った見澤さんが、関西風のお好み焼き屋を始めるまで。そこには、“紆余曲折”という言葉でまとめるのは少し気が引けるくらい、さまざまなことがあった。「もともと家業として、親父がパンとケーキのお店をやっていたんです。今のお店から50メートルくらい先のところ。僕自身も、あちこちのケーキ屋さんで住み込みで修行させてもらって、パティシエとして働きました。見習いから数えると10年ですね」そう、見澤さんはパン屋生まれの元パティシエ。修行後は、家族が営むお店でケーキづくりを担当した。地域に根付き、まちの人たちに愛されるお店だった。しかし、そこが立ち退きになってしまい、今のビルへと引っ越すことに。そのタイミングで、家族は家業を辞めることを決断。新たにケーキ屋を始めるには、設備にお金がかかりすぎるが、独立心の強かった見澤さんは「何か別のことをできないか」と模索しはじめた。このとき、まだ幼い3人の子どもがいた。「何かやるにしても、生活のためには働かないといけないので、アルバイトで友人の建築業を手伝うことになったんです。そこで大変なことが起きてしまって」なんと、電動ノコギリで指を切断する事故が発生。手術で再接着はできたものの、それは見澤さんにとってこれからの人生を考える大きな出来事だった。そこから、辿り着いたのがお好み焼き屋である。......なぜ?という心の声が表情に出ていたのか、見澤さんは「不思議でしょ」と笑った。「たまに子どもたちと行くお好み焼き屋さんがね、光が丘にあって。そこがいつも大繁盛だったんですよ。それでふと、成増をまちを思い浮かべたときに、そういうお店がないなと。パンやケーキを扱っていたから粉ものはある程度身近なものだし、勉強して生地さえしっかりつくれれば、もしかしたらやっていけるんじゃないかなって。甘い考えですけど」そこから、見澤さんの勉強の旅がはじまった。都内のお好み焼き屋さんをかたっぱしから食べ歩き、それだけでなく大阪に住む妻・広子さんのお姉さんを頼って、本場のお好み焼きにも何度も触れた。そのなかで、自分の理想とするもののイメージを膨らませていった。「生地にこだわりたかったから、関西風でやっていきたいなと。当時、毎日家でつくっては子どもたちにも食べてもらっていました。途中からは、いいかげん嫌がっていましたけどね(笑)」小学5年生の長男、2年生の長女、幼稚園の年中さんの次男という、育ち盛りの3人の子どもたちを抱えながらの挑戦。しかも独学で、いちからのスタート。きっと、見澤さんにとっては並々ならぬ覚悟だったのだろう。およそ半年ほどの試行錯誤を経て、見澤さんは理想とする生地へと辿り着いた。「生地だけで食べられると言ってくれるお客さんもいる」という生地のこだわりは、一応「内緒」とのこと。でも、ほんの少しだけとくべつに教えてくれた。「かつおや昆布を使って和風の出汁をとることが多いんだけど、うちでは豚の脂を使ったりとか。あとは僕がパティシエだったので、じつはバターを生地に混ぜ込んでいるんです。焼いたときにふわっと香りが出るといいなと思って」そんなところにルーツを忍ばせているのも、なんだか粋だ。ベースは和風でも、ほんの少し別の要素を組み込んで、オリジナリティを出す。ちなみに、出汁はお好み焼きももんじゃ焼きも、どちらも同じものを使用。やなせ庭の味を支える、大黒柱的な存在である。本来は、自分で焼くスタイルだが、この日はとくべつに見澤さんが焼いてくれた。いか、えび、たこ、ほたてが入った「シーフード天」だ。おいしく焼くコツは、まず生地全体を下からしっかりまんべんなく混ぜること。「ずっとぐりぐり混ぜたくなるんだけど、卵を潰して、しっかり生地と合わさればOK。だらだらと混ぜすぎないのがコツです」鉄板に流し込んだあとは、触らずにじっと我慢。ひっくり返すタイミングは、表面にぷちぷちと泡のようなものが出てきたとき。それまでは、ぺちぺち叩いたり、焦ってひっくり返したりせずに、ひたすら耐える。こんがりといい焼き色。香ばしい匂いがしてくる。ここまで来たら、ふたたび裏面がしっかり焼けるのを待つのみ。早く食べたくて仕方がないが、この時間がおいしさを倍増させると信じて、じっと耐える。そして、ついに完成......!ホットケーキのように、ふっくらとした生地につやつやのソースとマヨネーズ、そして青のりを纏った美しいお好み焼きである。家のホットプレートで焼く気軽なお好み焼きもいいけれど、アツアツの分厚い鉄板で焼くと、やっぱりふっくら感が段違いだ。そして、たしかに生地がおいしい。ほのかに、ふんわりとバターが香るような気がする。存在感のある海鮮にも嬉しくなる。ああ、お好み焼きってこんなにおいしい食べ物だったっけ。そんな軽率な言葉をつい口走りそうになるくらい、幸せな気持ちで満たされた。じつはお好み焼きが焼けるのを待つ間、鉄板の空いている部分で見澤さんは「黒毛和牛角切りステーキ」を焼いてくれた。「柔らかくていいお肉を食べたい」というお客さんからの要望で、扱い始めたメニューらしい。「うちでは、近江牛か宮崎牛を仕入れています。自分で実際に食べて、おいしいと思ったものを扱うようにしていますね」おいしくないわけがないと思いつつも、本当に脂が甘く、口の中でするんと溶ける。間違いなくおいしい! お好み焼きやもんじゃ焼きの前に、こういうお肉や海鮮を焼いて、ちまちまつまみながらお酒を飲むのもいいなあ、と思う。「本当に簡単なことじゃなくて、山あり谷ありでしたけどね」独学で走りはじめて28年。これまでの日々を、見澤さんはそう振り返る。8年前には胃がんのステージ3を経験し、今では全快したものの、コロナ禍ではほかの飲食店同様に苦しんだ。ほかにも、語り尽くせないくらい、いろいろなことがあった。ただ、大変なことと同じくらい、楽しいこと、店をやっていてよかったなと思う瞬間があると、見澤さんは言う。「オープンからありがたいことに順調にお客さんが入ってくれたのは、成増の友人や知り合いのおかげ。やっぱりほら、子ども3人抱えて怪我した元パン屋の親父がお好み焼き屋を始めるってなったら、みんながチラシを配ってくれて(笑)。オープニングスタッフも全員知り合いが入ってくれたんですよ」ちなみに、今に至るまでスタッフの募集はしたことがないそうだ。妻・広子さんと娘さんのほかにも、知り合いやもともとお客さんだった人がアルバイトに入ってくれるのだという。すごい人望である。それもきっと、パン屋さんの頃から地域とのつながりを大切にしていたからこそなのだろう。最後に、取材のお礼を伝えると、見澤さんは「こんなに喋ると思わなかった!」と笑いながらこう言った。「僕ね、じつは無口だったんです。でも、今ではいろいろ話せるようになりました。やっぱり、商売をやるようになったからなのかな」終始穏やかに、そして真摯に取材に応じてくれた見澤さん。なんだか、喫茶店のマスターと話すような心地良さがあった。まちの人たちが見澤さんを慕い、応援したくなる気持ちが、わかった気がした。