「使う時も閉じたままの調味料は何?」次の取材先に到着すると、店頭にこう書かれた黒板が立てかけられていた。閉じたままの調味料......? え、なんだろう。蓋をしたまま使えるものってあった?カメラマンとそんな会話をしながら木の扉を開けると、店主が「こんにちは」と出迎えてくれた。あいさつもそこそこに答えを聞くと、「あはは、黒酢ですよ。くろーず(CLOSE)」と教えてくれた。ああ、なるほど。ここは、成増駅から歩いてすぐの洋風居酒屋「寿-TOSHI-」。こうして不意のなぞなぞに引き寄せられて立ち止まる人が、たびたびいるのだという。古典的だけど、その素朴な感じがなんだかいい。「よく言われるんです。何のお店かわからないって」店主の吉野寿一さんは、そう笑う。たしかに、外観だけだとなんとなくバーかスナックっぽい。和フォントの「寿」の文字から、お寿司屋さんを連想する人もいるかもしれない。そして、中の様子もほとんど見えないので、入るのにはちょっぴり勇気がいる。でもひとたび扉を開ければ、こぢんまりとした居心地の良い空間が広がる。席はカウンターのみ。その中心で、吉野さんが調理をする。イタリアンを中心とした創作料理が、この店の自慢だ。▲ 季節野菜のバーニャカウダ前菜やサラダ、一品料理、パスタ、ピザまでいろいろ揃う。本日のカルパッチョに白子のフリット、つぶ貝のガーリックオーブン焼き。基本的に吉野さんひとりで調理しているというのに、かなり種類が多い。「季節に合わせて、おすすめメニューも出しています。春はたけのこを使ったり、初夏はアスパラがおいしいから豚バラ巻きにしたりとか。夏以降はトマトのような夏野菜に変わっていきますね」「おいしそう」と言いながらメニューをぱらぱらとめくっていると、見慣れない文字が目に飛び込んできた。「ダチョウのレバテキ」に「カンガルーのステーキ」......? そう、寿にはちょっと変わったメニューがいくつかあるのだ。なかでもダチョウ料理は、このお店の名物メニューになっている。「たまたまうちのお客さんに、ダチョウ牧場を経営している方がいらっしゃって。勧められて、途中からダチョウを扱い始めたんですよ」▲ 店内にはリアルなダチョウの卵の殻が。大きい。ちなみに、メニューのカバーもダチョウの革でできているらしいダチョウってどんな味がするんだろう。興味はあるけれど、未知なのでちょっとだけ不安でもある。吉野さん曰く、「鳥だけど、鶏肉っぽくはない」らしい。「どちらかというと、牛の赤身に近いと思います。たぶん、『ダチョウのもも肉のステーキ』を何も言わずに出されて食べても、牛と勘違いするんじゃないかな」ダチョウの肉は高たんぱく、低脂肪。低コレステロールでさらに鉄分豊富とあって、栄養的にもかなり優秀なんだとか。(とくにからだづくりをしている人は、この字面だけできっとワクワクするはず)吉野さんおすすめの「ダチョウのレバテキ」を出してもらった。ダチョウのレバーをさっと焼き上げて味付けしたものである。「くさみがなくて、すごく食べやすいですよ」と言われ、おそるおそる食べてみるとたしかに全然くさみがない......! ぷりぷり食感かつ、ごま油と塩がきいたお酒に合いそうな絶妙な味付け。普段レアなレバーをあまり食べない人でも楽しめそうだ。寿に来たら、ぜひ一度は味わってみてほしい。ちなみに、これは寿の人気メニューの「マッシュポテト」。常連さんたちの中にもファンが多いらしい。一見、ポタージュスープのようなビジュアルで、「これが本当に......?」と思わず言いたくなるけれど、れっきとしたマッシュポテトなのだ。調理の様子を見ていても、まだマッシュポテトをつくっているとは信じがたい。最初はクリーム色のさらさらとした液体だけど、裏ごししたじゃがいもが入っていて、火を加えることで、だんだん固まってくるのだという。そうして完成したのがこちら。目で見てもじゃがいもの存在感はゼロだけど、バゲットにつけて一口食べると、圧倒的なじゃがいも感......! クリーミーで、濃厚で、これがめちゃくちゃおいしい。ふたりでシェアしても十分な量だけど、できればこれはひとり一皿いってほしい。気づいたらバケットがなくなっているので要注意。(もちろんバケット追加もおすすめ)空間も、メニューも、外観のイメージとはいい意味でギャップがある寿。この建物はもともと金券ショップで、さらに隣では吉野さんの両親が八百屋を営んでいた。高校のときにたこ焼き屋さんでアルバイトをし、つくるのが楽しいと気づいた吉野さんは、調理の専門学校へ。当時流行っていた料理のテレビ番組の影響で西洋料理にあこがれ、学校で学んだあとは洋食レストランに就職した。その後、いくつかの店を渡り歩いて、寿をオープンしたのは33歳のとき。ゆくゆくは自分のお店を持ちたいという思いがあったなか、運よく両親が営む八百屋のお隣が空き、そこで寿を始めることに至ったのだ。「広くはないので少し悩みましたが、いっそカウンターだけの店にしてしまおうと思って。お客さん同士で話をしながら、和気あいあいと過ごせる場にしたいなと考えていましたね」2009年のオープン以来、メニューを含めて少しずつアップデートしながらお客さんを増やしてきた。寿に来るのは、ほかとはちょっと違ったおいしいものが食べたい人たち。当初思い描いていたように、お客さん同士が自然とつながり、輪が広がっていくような空間が育まれてきた。常連さん率は多いが、幅広い世代の人たちに来てほしいと吉野さんは言う。「なかなか入りづらい雰囲気があるのは自覚しているんです(笑)。でも、思いきってどんどん入ってきてほしいなって」店頭の黒板に書かれたなぞなぞも、まちゆく人たちに足を止めてもらうきっかけになればと始めたこと。それに今、常連さんがたくさんいるのも、一度訪れさえすればまた来たくなる魅力が、寿にはあるということなのだろう。「うちはお通しも毎日変わりますし、ある程度こだわってつくっています。たとえば、ウインナーをあたためて出すだけ、とかはやりたくない。それだったら、誰でもできますから」言葉ではあまり多くを語らない吉野さんだけど、ひとクセあるメニュー構成も含め、料理人としてのプライドがあちこちに垣間見える気がした。最後に、「料理をつくることは好きですか?」とストレートに尋ねると、「好き......?」と少し戸惑いながらも、吉野さんは「そうですね」と答えた。「好きなんですよね、たぶん。試作をしながら、もっとこうしようとか考えるのが楽しくて。もちろん、おいしいと言ってくれるお客さんあってこその仕事ですが、好きだからこそ、ここまで続けてこられたところはあるんだと思います」慣れ親しんだ地元であり、かつて両親が商売をしていたまちでもあるこの成増で、吉野さんはこれからも自分の料理を探求しつづける。寿の料理に興味がわいたなら、ぜひ何も考えずに、ふらっと飛び込んでみてほしい。