安くて、早くて、ふつうにうまい。物価高の時代、その全部が叶う店というのはかなり貴重になってきた。それを望むのは、むしろ贅沢なことなのかもしれない。そんななかでも、地元の人たちのおなかを満たすまちの食堂として、奮闘しつづけているお店がある。浮間舟渡と蓮根、それぞれの駅から20分弱歩いた場所、区立舟渡小学校の目の前にある「ちゃい菜食堂KIKOBO」は、オーナーの大野広江さんが2007年に始めた中華のお店だ。ランチタイムの日替わり定食は、ライスとスープ、小鉢、おしんこがついて750円。今時なかなかお目にかかれないリーズナブルさである。それ以外の定番の定食やチャーハンなども、1000円以下で食べられるメニューがかなり多い。この日の日替わり定食は、「麻婆豆腐定食」「とりからあげ さっぱりソース定食」「餃子定食」の3種類。+250円で半ラーメンもつけられる。日替わりのからあげの定食に加え、人気メニューだという「担々麺」と「エビタンメン」を注文。すると、料理人の高松さんと並んで、大野さんも一緒に調理を始めた。KIKOBOの厨房は、基本的にふたり体制らしい。「彼(高松さん)とは、もう20年くらいになるのかな。その前にいた料理長を慕って、うちに来たの。その人が辞めて、今は彼だけ。毎日いろいろ言い合いながらやっています(笑)」大野さん自身、どこかで調理を学んだ経験はないが、前の料理長の様子を見てつくり方を覚えたのだそう。ふたりとも、流れるように調理を進めていく。その様子を撮影をしているうちに、あっという間に3品が出揃った。こちらが、日替わり定食の「とりからあげ さっぱりソース定食」。お皿に大きなからあげが4つものっていて、そのボリュームにまず嬉しくなる。しかも千切りのキャベツとトマトまで......! そして普通盛りなのに大盛りレベルの白米に、スープ、きんぴらごぼうの小鉢、おしんこ。これが、750円で食べられてしまうのだからすごい。主役のからあげはサクサクジューシー。お酢がきいたネギのソースがさっぱりしていて、油淋鶏(ユーリンチー)のような味わい。夏にもぴったり、文句なしのおいしさだ。ちなみに、お米や野菜の一部は、福島で農家を営む大野さんの両親のご実家から仕入れているのだとか。シルバーの器で登場した「担々麺」。ランチタイムは、麺類にも小鉢とおしんこがついてくる。町中華の担々麺は辛さ控えめなことが多く、ちょっと物足りなく感じることが多いのだけど、KIKOBOのそれは結構本格派。激辛というわけではないけれど、ごまの豊かな風味の中にちゃんとぴりりとした辛さ、しびれを楽しめる。写真では伝わりづらいが、通常サイズでも麺がたっぷり。満足度の高い一杯だ。最後は、隠れ人気メニューの「エビタンメン」。メニューを見ながら「エビに目がないんですよね」とぽろっとこぼしたところ、「ならこれがいいんじゃない?」と大野さんが勧めてくださった。これまたものすごいボリューム感! たっぷりの野菜に加え、エビやイカなどの海鮮がごろごろのっていて、麺が全然見えない。スープは塩気がきいていて、汗をかいた日にぴったりな味わい。がっつりおなかを満たしたいけれど、ヘルシーなものを食べたいというわがままな希望を叶えてくれるメニューである。どれも、町中華のようなほっとする懐かしさがありながらも、どこか個性的。実際に食べてみて、“本格中華”を掲げている理由がわかる気がした。このお店は、じつは2店舗目。大野さんのご実家はタイヤ屋さんで、そのお店を残すために、別のビジネスモデルの商売をしようと始めたのが飲食店だった。「それぞれの店でお客さんを呼び合えるじゃないですか。タイヤ屋さんのお客さんがご飯を食べにきてくれるし、逆にご飯を食べにきてくれた人が車を持っていたり、運送の仕事をしていたりすればタイヤも売れるし」それで居抜きの物件を探していたときに、たまたま出会ったのが川口の元中華屋さんだった。設備や食器なども含めて引き継ぐ条件で購入し、そこで知人の料理人と一緒に新しく中華屋をオープンした。だから、中華だったのはある意味なりゆきなのだ。川口店をオープンした翌年、この浮間舟渡店をオープン。今は浮間舟渡のみで、大野さんは毎日タイヤ店と中華屋をはしごしている。「ここ(浮間舟渡)にお店を作ろうと思ったのも、飯を食べたい人たちがいっぱいいるだろうと思って。昼に食べられるお店が少ないからね。たまに、昼からビールを飲む人もいたりして、それでいいと思う」以前は、中華料理屋さんにある本格的なメニューがメインだったが、逆にそれを減らして、町中華らしい素朴なものを増やしていったそう。ワインなどもメニューから除外。浮間舟渡ではビール、ウーロンハイ、レモンサワーがあれば十分で、仕入れもかなりラクになったらしい。そのなかでも、創業当時から変わらずに続けていることがある。それは、定食の小鉢と、ピッチャーで各席に用意される麦茶、そして居酒屋のようなしっかりとしたおしぼり。心遣いで始めたことだからこそ、たとえコストがかかっても、最後までやり通すつもりだと、大野さんは言う。「最初からやってきたから、なくしちゃったらお客さんも寂しいかなって。小鉢は、母が日替わりでつくって届けてくれるんです。きんぴらだったり、切り干し大根やひじきの煮付けだったり。母の協力なしには、なかなかやれていないと思います」サバサバしているけれど、とことんお客さん思いな大野さん。朝はタイヤ店に出勤し、10時に食材の買い出しをして、11時にはKIKOBOに駆け込んでくる。14時にランチタイムを終え、そこからしばし休憩時間。でも、昼からお酒を飲んでいるお客さんがいれば、14時を過ぎても何も言わず付き合うのだという。そうなればおのずと、休憩時間はなくなる。「でも、私たちと喋りにきている人もいるだろうしね。そのままカラオケに連れ出されることもあったりとか。やっぱり、地元の人たちに頼りにされている食堂だという自負がありますから。できるかぎりやっていこうかなと思っています」ちなみに、毎年夏におこなわれる板橋の花火大会では、KIKOBOも出店。焼きそば、餃子、からあげなどを1000個単位でつくって売る。パック詰めや売り子は、地元の人たちが手伝ってくれるのだという。みんなKIKOBOのお客さんであり、仲間でもある。なんだか文化祭みたいで、楽しそうだ。そう言うと大野さんは「いや、私は楽しくないけどね」とばっさり。あれれ。「でも、手伝いにくるのを楽しみにしている人たちがいるからね。仕入れからやってる私は一人で苦労しているけど(笑)。みんなが喜んでくれて、『今年もよかったね』ってビールで乾杯できれば、それがいいなって」やっぱり、大野さんはやさしい。ここは正真正銘、浮間舟渡で暮らすみんなの食堂なのだ。「仲間がいるからここまでできたし、だからこそこれからもやっていけると思います。少なくともあと10年は頑張りますよ!」