大正7年創業の和菓子屋「栄太楼(えいたろう)」。お店があるのは、「板橋の田園調布」とも呼ばれるときわ台である。どちらかというと庶民的な雰囲気の南口エリアとはいえ、見るからに歴史を感じさせる渋い店構えに、「これはちょっと敷居が高そうだぞ......」と思うかもしれない。でも、4代目店主の坂本浩一さんは言う。「創業が古いとどうしても堅いイメージがあるでしょ。でもうちは、気軽なまちのお菓子屋さんですから」またまた、と思いつつも取材を進めると、浩一さんのその言葉通り、ちびっこからお年寄りまで“みんなのおやつ処”として愛される、地域に根ざしたお店だった。浩一さんの祖父・留五郎さんが、10代の頃に東京の和菓子屋で修行をし、本郷で自分の店を始めたのが大正7年(1918年)。その後、戦争が始まる前にときわ台に店舗を移し、父、兄、そして浩一さんと受け継いできた。「私は製菓学校で和菓子を学びながら、20歳の頃から家の仕事をしていました。甘いものが好きだったので、とくに迷うこともなくそのまま家業を継いだんです」和菓子屋さんを何軒か取材していると、「じつはケーキの方が好き」とか「甘いもの自体そこまで得意じゃない」なんて本音を聞いたりもするのだけど、浩一さんは小さい頃から和菓子を好んでよく食べていたという。栄太楼のお菓子の一番の特徴は、甘さひかえめ。それは、「あん団子」の色を見るとわかる。「あんこがちょっと白っぽいでしょ。うちでは『藤色』と言っていますが、通常よりも砂糖の量を減らしているので、生豆に近い色になるんです」言われてみると、あんこってもっと濃くて黒っぽいイメージがある。砂糖を多く入れることで焦げた色が付きやすくなり、濃くなるのだとか。とっぷりと甘いあんこと、ひかえめで上品なあんこ。それぞれの魅力があるけれど、土地柄でも好まれる傾向というものもあるらしい。このエリアでは、後者の淡い藤色のあんこが好まれるということで、栄太楼ではずっと甘さひかえめ。かといって砂糖を減らしすぎても和菓子のおいしさを損なってしまうので、いい塩梅を見極める必要がある。(保存がきくように、どら焼きや最中は少し濃いめとのこと)今は、浩一さんに加え、同じく学校でお菓子づくりを学んだ娘のゆうきさんも製造に携わっている。上生菓子は主にゆうきさんの担当なんだとか。同じビルの地下にある工房で、毎朝6時頃から仕込みを始め、お菓子づくりは16時もしくは17時まで続く。そのあいだ、お店番をするのは妻の留美さん。ゆうきさんと留美さんが17時頃にお店を上がったあとは、浩一さんが閉店までお店番をする。「和菓子屋さんの労働時間は長いですよ〜!」と笑う浩一さん。とにかく営業前の仕込みに時間がかかるのだ。お菓子を一品つくるのに2〜3時間。たとえば、栄太楼では看板商品のひとつである「どら焼」もおよそ80個を毎日焼いている。地域のお祭りや学校行事などで大量に注文が入ることもある。小倉あん、こしあん、うぐいすあん、白粒あんの4種に加え、小倉あんに栗がごろっと入った「栗どら焼」もあって、全部で5種類。「どら焼き味くらべ五種」として、手土産にも人気の商品だ。昔ながらの製法で、気温や湿度にもこだわってつくられている。「少し専門的な話になりますが、夏場と冬場で、粉を混ぜたときの感覚が全然違うんです。おいしいどら焼きをつくるためには、そのときの気温や湿度によって、入れる粉の量も微妙に変える必要があるんですよね」その調節が上手くいかないと、浩一さんの言葉で「カツカツ」、つまり安っぽいパサッとした食感になってしまうらしい。どら焼きはやっぱり、しっとりふわふわにかぎる。もうひとつ、栄太楼を代表する商品がこちらの「板橋とうふ」。栄太楼のお菓子のラインナップは創業当時からあまり変わっていないが、この商品は浩一さんが後を継いでから始めたものなんだそう。2022年には「板橋のいっぴん」にも選ばれた。「豆腐の和菓子......?」といまいちピンとこないので、黒ごま、苺、抹茶の3種類のあんの中でも一番人気があるという「黒ごま」を食べさせてもらった。(せっかくなので、どら焼きも一緒に!)白くて四角いのが、「板橋とうふ」。あんの入った断面が見えるようにカットしてもらっているが、本来は正方形。上から見たら、本当にあの“豆腐”である。食べてみると、ふわっと軽い口当たり。でもしっとりとしていて、今までに食べたことのない和菓子だ。しかも、なんとなく豆腐を感じる......なぜ?その秘密は、スポンジに入っている豆乳。卵白と合わせて焼き上げることで、カステラのようなふんわりとした食感になるらしい。黒ごまのあんも上品で、やさしい風味のスポンジ生地によく合う。じつは、板橋以外にも「川崎とうふ」や「越後とうふ」など、全国の地名をつけて展開されているこのお菓子。もともとは油脂会社で考案され、各地の限られた和菓子屋さんにレシピ提供をするなかで、栄太楼に声がかかった。浩一さんは実際に食べて売れると確信し、基本のレシピを独自にアレンジしてこの「板橋とうふ」を完成させた。(もちろん、板橋で食べられるのは栄太楼だけ!)全体的に甘さひかえめな栄太楼の和菓子の中でも、とくに軽やかで、罪悪感の少ないおやつ。立ち寄ったら、ぜひ一度食べてみてほしい。ちなみに、浩一さんがおすすめしてくれたこの小さくてまるっこいお菓子は、「志野(しの)」という名前のおまんじゅう。栗と小倉の2種類で、後者は小倉あんと一緒に、なんとラム酒漬けしたレーズンが入った、ちょっと洋風な和菓子なのだ。これがまたおいしい......! 入っているのはあんこなのに、ラムレーズンのおかげでなんとなく小さなパイ菓子のような趣もある。今でこそ洋風な和菓子は増えているけれど、栄太楼がこれを始めたのは50年ほど前らしい。「製菓学校で教わった話ですが、どら焼きは別として、人は40gを超える和菓子には途中で飽きてしまうそうで。この『志野』は35g。大きければいいというわけではないんですよね」たしかに、小ぶりだけど満足感があって、ちょうどおいしく食べ切れるサイズ感。ホームパーティの手土産にもよさそうだ。取材に伺ったのは、まだまだ暑さの残る8月の終わり。浩一さんによると、「和菓子屋は9月からが本番」。旧盆が終わり、お彼岸に向けた商品の切り替えのタイミングで、これからさらにお菓子の種類が増えていく。印象的だったのは、午前中にも関わらずふらっと訪れ、お菓子を買っていくお客さんたちの姿。「板橋とうふ」と「どら焼」をまとめ買いしていく人、お団子1本だけ買っていく人などさまざまだ。上品なマダムもいれば、サンダルに派手なシャツを着たおじいちゃん、お母さんに連れられた小学生の男の子も。想像していたよりももっとずっと、みんなの日常に溶け込んだお店なのかもしれない。とくべつ目的がなくても、栄太楼へ行ってみよう。その時の気分でひとつお菓子を選ぶ、くらいの気軽さで。